人生行路の旅,出会いと別れのソナタ

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2006_イタリア方面へ-旅だより (3)

2006-07-30 | 2006_イタリア方面へ
● クアラルンプールの市内電車試乗と午後の半日観光
 7月27日(木),朝8時頃起床,ホテルで朝食,いわゆるバイキング形式であった.大きな食堂で,かなり混みあっており,料理もマレーシア風から中華風,インド風,西洋風,日本風などと豊富にとりそろえてあり,客も地元風の人から中国人,インド人,西洋人といろいろな人種がごった返していた.どういうわけか,いつも,どこへ行っても遭遇する日本人団体客の姿がない.時間が遅いせいか,それともこのホテルを日本の旅行社はあまり使わないからだろうか,かわりに韓国人の姿はちらほらとあった.

 朝食後,ホテルの前の路上でタバコを吸っていると,見知らぬ青年に中国語で話しかけられた.キョトンとして振り返ると,中国人ではないのかという.いや,日本人だというと,それはそれはどうも,「おはようございます」と日本語が返ってきた.てっきり私を中国人と思ったようだ.彼は中国系のマレーシア人で,クアラルンプールの中心街に住んでいるらしい.近々,妹が日本の埼玉県に行くので,自分も日本語を勉強しているとのことだった.たいへん陽気で屈託のない青年だったが,姉や妹を含めてまた夕刻にもう一度会わないかという.いろいろと楽しく話し合おうというのだ.一瞬応じてもいかと思ったが,午後の半日市内観光が何時ごろ終わるのかわからなかったので,丁重に断ることにした.

 ホテルの周りの風景を少しカメラに収めてから,午前中は一人で,市内のいろいろな交通機関に試乗してみることにした.クアラルンプールの市内交通機関は,多少複雑である.空港から市の中心部に向かう広軌の高速鉄道のほかに,タイからシンガポールに向かう狭軌の在来線鉄道が中央駅で合流している.また別に,KTMコミュータ(通常の電車)という2路線,スターLRT(第三軌条で給電する日本の銀座線のような電車)という2路線,プトラLRT(上記に同じ),それに最近開通したというKLモノレールがある.バスも縦横にたくさん走っているようだ.短時間のうちにこれらすべてに乗ってみるのはとても無理なので,空港往復で使う以外の,なるべく多くの路線に乗ってみることにした.

 まず,ホテルの最寄り駅からモノレールとの乗換駅までLRTに乗る.料金は40円ほど.モノレールは全線を乗ってみた.料金は85円ほど.これは高架を走る路線なので,終点まで約20分くらい乗っていると,主な市内の建物はすべてカメラに収めることができる.終点は空港へ向かうエクスプレスと連絡している中央駅だが,今度はそこからKTMコミュータに3駅ほど乗ってLRTとの接続駅まで向かう.この鉄道は,日本でいえばJRの普通の電車のようなものだが,駅の間隔はかなり長いようであった.走行中,架線の停電か何かで5分ほど電車が止まってしまったのには驚いた.そして再びLRTに乗り,ホテルに戻ったのは12時30分だった.

 午後の半日観光は,このホテルでのピックアップなので,昼食は朝と同じくホテルのレストランで済ませることにした.やはりビュッフェ形式で,肉と野菜のピリ辛風炒め物にビールを2杯,これで66RM(約2,000円)と高めについた.これでリンギットはほとんどなくなってしまった.午後1時半きっかりに,半日観光の迎えのマイクロがきた.よく時間厳守するものだと,妙に感心する.マイクロはいくつかのホテルを回って予約客をピックアップし,大型観光バスの出発点に向かう.西欧系とアラブ圏からの客が多い.日本人は,私ひとりだった.ガイドはインド系の中年男で,陽気によくしゃべる.運転手はやはり中年の中国系の男だった.ここでは,市内観光で写したいくつかの画像のみを紹介しておこう.
マレーシアでの昼食 レストランでのビュッフェ風景
ツインタワーを臨む(1) ツインタワーを臨む(2)
クアラルンプールの街並み 訪れた染物工場
バティックの実演風景 衛兵の立つ王宮
国籍不明の観光客 マレーシア国立博物館
博物館の展示物 蒸気機関車の屋外展示
ディーゼル機関車の屋外展示 博物館の外庭公園
中央駅付近で解散 走行中のLRT(コミュータの車窓から)

 夕刻(6時半ころか)には市内観光も終え,KL中央駅の近くでバスを降りて,やはり列車で空港へ向かうことにした.ところが,気がつくと空港行きの列車に乗る金がない.あわてて近くの両替屋でほんの小額をリンギットに替えた.フライトの時刻は23時59分だから,まだかなりの時間はあったが,国際線のチェックインをしなければならず,それに夕食のこともあるので,早めに空港へ向かった.ローマ行きMH014便のチェックインは難なく終えた.ちょっと時間がありすぎる.夕食でもゆっくりとろうと空港内の中華風レストランに入った.たぶん高めだとうと思って,控えめに青菜とイカボールの炒め物だけにしたが,やはり高かった.現金で払うことができず,やむなくカードで支払った.
空港レストランでの夕食 夜のクアラルンプール空港

 まだ9時半(21:30)だった.さらに時間があるので,探しに探してやっと空港内の「スモーキング・バー」を見つけた.ここでビールを飲みながら,ゆったりと時間待ちをすることにした.隣に座った中年女性がライターを貸してくれという.一度貸した後にも,この女性5~6本のタバコを吸っていたが,不思議にも火は続いたようだ.チェーンにチェーンを重ねて,何やら書類などをいじりながら連続して吸い続けたようだ.なにもあんなに立て続けに吸わなくても,何回でもライターは貸してあげたのに...などと思う.途中でついに火が続かなかったのか,私がバーを出ようとすると,もう一度ライターを貸してくれと,かなり遠慮がちに声をかけてきた.

 ローマへ向かう便はほぼ満席,若干の遅延もあったので離陸したのは日付もかわった7月28日の午前0時15分ころだった.11時間50分のフライトだとのアナウンスが入る.クアラルンプールからローマまでの距離は,10,500kmほどあるらしい.途中,インドやサウジアラビアなどの上空を通過するなどと,かなり詳細な機長の説明が放送で流れた.ローマの空港には,現地時間で朝の6時ころ到着の予定である.今日に続いて,明日のローマでもかなりきついスケジュールを組んでいるので,機内ではもっぱら睡眠これ努めることにする.
(2006/07/28,クアラルンプールからローマへ向かう機内にて,筆者)

2006_イタリア方面へ-旅だより (2)

2006-07-26 | 2006_イタリア方面へ
● とりあえず,クアラルンプールで道草を!
 7月26日(水),朝6時40分ごろに東京の自宅を出る.久しぶりに天気は晴れ模様,といってもやや曇り空だが,今年の梅雨はどういうわけかずれ込んで,このところ東京はずっと雨が続いていた.九州をはじめ西日本はたいへんな大雨に見舞われたという.とにかくか傘をささずに出かけられたことはよかった.成田空港には8時半頃に着いて,マレーシア航空のチェックインもすんなりと済ませた.クアラルンプール経由で,通常ならその日の乗り継ぎ便でイタリアへ向かう選択もあったのだが,せっかくだからと1日をこのマレーシアで過ごすことにした.

 成田空港の免税店では,この先2週間あまりを持たせるためのタバコを買い込んだ.キャスターマイルド2カートン.〆て3,400円が買い物のすべてだった.飛行機は,ほぼ定刻に離陸した.MH0089便,10時30分発のクアラルンプール行きである.乗客率は80%ほどであろうか,中央よりの5人がけの列の通路側だったが,3人分の空席をはさんで反対側には若い静かな女性が座っていた.やはり1人旅であろうか,団体客ではなさそうな様子だった.声をかけることもなく,ひたすら眠ることとする.約6時間40分のフライトであった.
マレーシア航空に乗る クアラルンプール空港での歓迎パフォーマンス

 クアラルンプールには,16時17分(現地時間)に着いた.日本とは1時間の時差がある.たいへん立派で大きな空港だ.入国手続きに少し並ばされたが,17時ころには無事入国できた.まずはおもてに出て一服,それから KLIA Express という特急列車に乗り,KL Sentoral (綴りは間違っていない,これはマレーシア語表記である!)という中央駅に着く.これはちょうど日本の「成田エクスプレス」のような列車で,新幹線と同じ広軌(再来線は日本同様に狭軌のようだった)の電化鉄道だ.各車両(といっても2輌連結だが)にはテレビがあって,軽音楽が車内に流れていた.約30分をノンストップで走って,都心部の終着駅に着く.料金は35RM(リンギット),日本円にして約1,200円ほどだ.
KL Expressの室内 クアラルンプール中央駅

 中央駅に着いてからがたいへんだった.日本からインターネットで予約を入れておいたホテルへは,地下鉄(といっても大部分は地上を走る)を2路線乗り換えて向かわなければならない.これが,日本と違って,通し切符が買えないのである.ほんの一駅か二駅を乗るのだが,仕方なく路線ごとに別々に切符を買い求めて,混んだ列車を乗り継いだ.ちなみに,これらの路線のことは「地下鉄」とはいわないらしい.地下を走るよりも高架を走る部分が多いせいか,正式には LRT (Light Rail Transit) というようだ.都心部には,これとは別にモノレールも走っているが,今日のところは乗る機会がなかった.LRT の料金(初乗り)はいずれの路線も 1.2RM (日本円で約40円),タクシーに乗るよりもはるかに安上がりである.

 ホテルには18時45分頃に着いた.自宅のプリンタで印刷しておいたバウチャーをフロントに提示して,チェックインもすんなり終えた.荷物を部屋に置き,一休みしてから夕食に出かける.にぎやかな中華街が近くにあったので,そこの路上レストランでビールに肉野菜炒め,少し甘辛い味だったがまあまあうまかった.ビールは Big Tiger という大瓶が出た.あわせて 1,000円程度だったろうか.ヨーロッパ系の観光客もかなりいて,たいへんに賑わっていた.というよりも,露天なども出てごった返していたので,ひじょうにごみごみしていたといったほうが正しいかもしれない.
チャイナタウンの賑わい クアラルンプールのホテル室内

 マレーシアの第一印象は,あまり悪くはなかったが,ひとつ気がついたことがあった.それは,街を歩く女性の姿である.ここでは,公式宗教がイスラム教ということで,やはり女性の多くは頭にスカーフをまとっている.ところが,よく見ると,それはマレー系の女性にのみ一般的であって,他にもたくさんいる中国系やインド系,あるいはボルネオ島方面からの人種にはあまり見かけない.宗教的な理由もあるかもしれないが,あの姿はマレー系の女性によく似合うファッションのような気がした.中国人やボルネオ島出身の人があのスカーフを巻いても,ちょっとさまにならないのではないかという気がしないでもない.

 ほとんど赤道に近いこの街は,たしかに暑いのだが,日本の蒸し暑さほどではないようだ.飛行場に着くとき,外の気温は39度との放送が流れてそれなりの覚悟もしたのだが,実際にはそれほどでもなかった.汗はかくのだが,適度なそよ風も吹いて,路上レストランで一杯やっていたときなど,けっこう快適に過ごせたような気がする.ホテルの部屋では,空調をかけているとかえって寒いくらいである.そんなわけで,明日は丸1日をこの街で過ごしてみる.午前中は近くを散歩する程度でゆっくりし,午後からは,これまた日本からインターネットで予約をした「半日市内観光」に参加してみる.空調の効いた大型バスのガイド付きで 1,600円というから安い限りである.もっとも,日本語のガイドはないということだが....

 ひとつ失敗したことがあった.この地のホテルの電源コンセントは,イギリスタイプの3極プラグの仕様だった.そんな気も少しはしたのだが,まあホテルくらいは大丈夫だろうと,ヨーロッパ標準のBとCタイプしか持参しなかったのである.だから,このパソコン操作も,電池の続く限りということになる.そして,明日の旅だよりのアップロード,そして画像を含めた今日の分の再編集は,たぶんローマに着いてからの作業になるだろう.
(2006/07/26,マレーシア・クアラルンプールにて,筆者)

2006_イタリア方面へ-旅だより (1)

2006-07-23 | 2006_イタリア方面へ
● 久しぶりのイタリア訪問,旅の道草も楽しみに!
 この夏,久しぶりにイタリアを旅する機会がやってきた.記憶によれば,これが私にとっては4度目のイタリア訪問となるはずである.最初の訪問は1978年のこと,あの忘れもしない,イタリア首相アルド・モーロの誘拐・暗殺事件が起こった年であった.当時私は,2月下旬からフランス,スペイン,イタリアの三国を巡る初めての海外旅行に出かけていた.約30名からなる日仏文化センター主催の国際文化交流の旅であった.最後の訪問国イタリアを移動中のこと,3月16日と記録にあるが,私たちを乗せた大型バスは,ちょうどローマからポンペイの遺跡へと向かっていた.もうすぐ着くかと思われるころだったが,途中でバスは急に警察隊(軍隊だったかも?)によって足止めをくらった.乗客と乗務員は全員降ろされ,道端に一列に並ばされて臨検(?)が始まった.小型の自動小銃を胸に突きつけられながらのパスポート検査などとなる.

 最初の瞬間は,いったい何が起こったのかよくわからなかった.このような場面の体験も初めてだったことから,多少気も動転していたのだろう.銃をもった人たちに,どうにかしてソフトに質問してみようとするのだが,思うように言葉が出ない.とにかく相手は,「われわれの政治的な頭(かしら)が誘拐された」という意味のことをしきりに言っていた.そして,「いまイタリア全土がゼネストに入っているから,ポンペイへ行っても意味がない,そこもストライキで閉鎖中」との由である.イタリアがゼネストの盛んな国であることは知っていたが,どうも起こった事件との脈絡がさっぱり掴めない.ようやく臨検が一通り終わって,何人かタバコに火をつけるゆとりが出始めてから,何やら政府の高官(それがモーロだったということは後で知ることになった)が極左武装集団によって誘拐され,それに抗議するストライキが全土に広がっているらしいということが判明した.

 仕方なく,われわれのポンペイ行きの旅程はそこで中止となった.そして,バスの運転手の機転により,少し回り道をしながらナポリの美しい海岸に出て,快適なドライブを楽しむこととなった.あのサンタルチアで有名な素晴らしい景色を見ることで,われわれの心もなごみ,それはそれで意義あるエクスカーションともなった.ちなみに,このモーロ誘拐事件の顛末は,後に氏が射殺体で発見されるという悲劇的な経緯となった.この事件を題材に,2003年には映画『夜よ,こんにちは』(ベロッキオ監督)がつくられ,最近(2006)日本でも公開されて話題になった.1978年といえば,日本でも成田空港の開港に反対する激しい闘いもあった頃で,いろいとと思い出すことも多いが,ここでは趣旨が違うので触れないことにしよう.

 2度目にイタリアを訪れたのは,1982年3月のことだった.たまたま親しい友人がフランスのパリに長期滞在していたので,その人を訪ねることが旅のきっかけだったかと記憶する.パリに入る前に,まずはロンドンに着き,そのあと一気にイタリアのローマへ飛んで,フィレンツェやミラノなども回っている.このときは,ポンペイの遺跡もしっかりと見学した.そして,4月に入ってからパリの友人宅を訪れた.この友人は,1960年代以来の旧友の一人で,付き合いの密度はときに濃くなったり,ときに薄くなったりしながらも,その親交は今に到るも何とか維持されている.ごく最近(2006)にも,私はこの友人に会う機会をもったが,お互い,相応に歳もとったせいか,その後のメール交換では心なしか潤滑油の不足する会話となってしまった.寂しい気もするが,このテーマもここでは趣旨が違うのでこれ以上は触れまい.

 3度目にイタリアを訪れたのは,1991年の暮だった.少年期・青年期を通じ,私はずいぶんと親不孝をしてきたという思いをかねがね持っていた.学業のこと,就職のこと,生活のことなど,ことごとく親の意向に逆らって生きてきた面があったからだ.そして父親が還暦を過ぎ,私も青年期を脱し始めたころから,父と子の新たな対話が始まったような気がする.父は明治末期の生まれで,大正デモクラシーの時代に学生生活を送ったたいへん開明的な思想の持ち主ではあったが,やはり時代の子なのだろうか,戦後民主主義の時代に育った私の生き方に理解を示し始めたのは,もう70歳をはるかに過ぎてからのことだった.この父は,若いときからヨーロッパには一度行ってみたいと言っていた.アジアの国々には,かつて日本がさんざん迷惑をかけたので,絶対に観光旅行などでは行かないとも言っていた.そしてこの年,父は84歳を迎えていたのだが,私はヨーロッパの4都市を巡るハイライトツアーに行かないかと誘ってみた.最初で最後になるかもしれないこの海外旅行に,父は行く決心を固めた.70代の母と,その姉(伯母)を含めた4人の旅がここに実現した.訪れたポンペイ遺跡では,この84歳の父,カメラのシャッターに忙しく走り回っていた姿が今も偲ばれる.

 そして,今回のイタリア訪問が,私にとっては4度目ということになる.この旅の動機は,ちょうど1年前(2005)の夏,リトアニアをかわぎりにバルト3国を訪れた際と類似のものである.このときの旅だよりは,すでにこのブログにも掲載されているので,詳細は そちら をご覧いただきたい.今年の国際イベントは,このイタリアの地・フィレンツェで開催されることになっている.これに参加することが今回の旅の目的ではあるのだが,私の場合には,目的外が実はより大きな目的であることが多い.つまり,道草こそが最大の目的ともいえるわけである.そんな訳で,成田を出発した往路では,マレーシアのクアラルンプールにまずは1泊して,ゆっくりと市内を歩いてみることにした.イタリアのローマに着いてからは,すべての移動を列車の旅で組み立て,帰路には旧ユーゴのスロベニアとクロアチアにも立ち寄る企画を練っている.出発は,7月26日(水)である.前日までは職場の勤務もあることゆえ,旅の準備もままならない.が,例によって,パソコンの国際ローミング運用だけは準備も怠りない.なので,この旅に興味と関心をお持ちの方は,ぜひこのブログの折々のチェックをお忘れなきように....
(2006/07/23,出発準備の合間に/東京にて,筆者)

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2006-07-05 | 番外雑記 (近況など)
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(2006/07/05,東京にて,筆者)

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2006-07-02 | 番外雑記 (近況など)
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(2006/07/02,東京にて,筆者)