◆ 職場は徒歩で通える距離-メタボ対策も兼ねて! ◆
新居に引越した翌日(4月16日)には,早速にも職場に初出勤(?)した.もっとも,前の週の土曜日には,どういうわけか赴任先の担当者がしっかりと私の生年月日などを覚えていて,「誕生日パーティー」なるものを有志数人で行ってくれた.直接の配属先部署の面々以外にも,2~3人の若い同僚たちが集まってくれた.最初が肝心とばかりに,私は努めて陽気に,そして快活に喋りまくった.当地のスペイン語では,まだヒアリングは馴れないが,喋るほうは何とか通じるようだった.一人の若い女性職員に「カッコいい」などと言われて,少し上機嫌に話しも弾んだようである.
私の職場となる事務所までは,アパートから徒歩で約20分前後かかる.往きは少し上り坂ぎみなので,早足で歩けば15分程度,ゆっくり歩いても25分程度で着く.帰りはその逆で,なだらかな下り坂だ.ゆっくり加減に歩いても20分程度で帰り着く.雨の日などどうするのだろうと,着任前に担当者に問い合わせていたのだが,「バスは待つのがやっかいだから,タクシーを拾えばいい」とのことだった.当地に来てみて,およそ雨はめったに降らないし,タクシー料金もたいへん安いことがわかった.事務所ビルは,ゲートで警官が常時警備をする知事公邸への通路内にあった.いずれにせよ,歩くことは健康にとって大事なことである.そんなわけで,この何日かは,アパートの室内を含め毎日かなり歩いているようだ.すでにメタボ対策の効果が現われている.ズボンのベルトの穴が,1つか2つは確実に締まってきているからだ.
出勤初日は,いちおう常識的に,背広・ネクタイ姿で赴いたが,これは正解だった.約30名ほどいる職場の同僚たちに順に紹介されて,挨拶回りを行ったからだ.私は,分りやすいようにと胸に名札を付けてみたが,どうも当地の人達の習慣では馴染まないらしい.握手や,場合によっては抱擁を含む挨拶がてらに,それぞれ名前を名乗るのだが,いずれもカトリック系の聞きなれない名前ばかりで,とても一度には覚えきれそうにない.相手側は私一人を覚えればいいわけだから,すぐに覚えてくれたようだった.そして,簡単な打合せの後,この日のスケジュールは終わったのだが,帰りに私は,毎日背広・ネクタイで出勤するのはどうも自分には馴染まないが,と言ってみた.服装は自由だという.式典や公式スケジュールがある時以外は,必ずしも背広・ネクタイは必須ではないとのことだ.ホッとした次第である.
私が配属となる直接の部局は,いちおう「国際協力部」というところであった.職員構成は,責任者クラスの中年女性に若い男女1名ずつの計3名である.主として英語とスペイン語を中心とした,幅広い国際的な産業情報を扱っているようだ.当地の職場内では,あまり職制を意識した上下関係はみられないようで,みんなファースト・ネームで友達のように呼び合っている.たぶんそういうことだろうと思って,私もとびきり短い愛称のようなものを用意して,それを自己紹介にも用いてみた.けっこう親しんでもらえたようである.いちいち「セニョール ○○」などと呼ばれては,すっかり興ざめしてしまうからだ.
出勤二日目には,早速にも,郊外への出張があった.といっても単独ではなく,前述した部局の3名と共に車を45分ほど走らせて,市の北部にある某大学のキャンパスに赴いた.折から「国際協力フェア」というのが開かれていて,その中のセミナーの一つに参加するために向かった.内容は,EUがらみの国際協力活動についてものだったが,PowerPointを使ったプレゼンをたいへん魅力的に行っていたのは,ベネズエラ出身という素敵な女性だった.この行事には,一つのアトラクションとして抽選会があって,私もそれに参加した.何と,これが当選したのである.湯呑セットや色鉛筆などの粗品程度のものだったから,何等賞なのかははっきりしないが,職場から参加した4人のうちで当たったのは私一人であった.きっと際先がいいのかも知れない,と思った.
職場では,目下一日一日が発見の連続である.勤務時間のこと,昼食のこと,休憩時間のこと,退庁時間のこと,仕事の仕方など,書けばきりがないほど日本のそれらとは異なった実態に触れている.これらは,また回を改めて少しずつ紹介することにしよう.以下には,とりあえず,職場の周辺のスナップ写真を添えて,まずは外面からの概要をお伝えすることとする.
新居に引越した翌日(4月16日)には,早速にも職場に初出勤(?)した.もっとも,前の週の土曜日には,どういうわけか赴任先の担当者がしっかりと私の生年月日などを覚えていて,「誕生日パーティー」なるものを有志数人で行ってくれた.直接の配属先部署の面々以外にも,2~3人の若い同僚たちが集まってくれた.最初が肝心とばかりに,私は努めて陽気に,そして快活に喋りまくった.当地のスペイン語では,まだヒアリングは馴れないが,喋るほうは何とか通じるようだった.一人の若い女性職員に「カッコいい」などと言われて,少し上機嫌に話しも弾んだようである.
私の職場となる事務所までは,アパートから徒歩で約20分前後かかる.往きは少し上り坂ぎみなので,早足で歩けば15分程度,ゆっくり歩いても25分程度で着く.帰りはその逆で,なだらかな下り坂だ.ゆっくり加減に歩いても20分程度で帰り着く.雨の日などどうするのだろうと,着任前に担当者に問い合わせていたのだが,「バスは待つのがやっかいだから,タクシーを拾えばいい」とのことだった.当地に来てみて,およそ雨はめったに降らないし,タクシー料金もたいへん安いことがわかった.事務所ビルは,ゲートで警官が常時警備をする知事公邸への通路内にあった.いずれにせよ,歩くことは健康にとって大事なことである.そんなわけで,この何日かは,アパートの室内を含め毎日かなり歩いているようだ.すでにメタボ対策の効果が現われている.ズボンのベルトの穴が,1つか2つは確実に締まってきているからだ.
出勤初日は,いちおう常識的に,背広・ネクタイ姿で赴いたが,これは正解だった.約30名ほどいる職場の同僚たちに順に紹介されて,挨拶回りを行ったからだ.私は,分りやすいようにと胸に名札を付けてみたが,どうも当地の人達の習慣では馴染まないらしい.握手や,場合によっては抱擁を含む挨拶がてらに,それぞれ名前を名乗るのだが,いずれもカトリック系の聞きなれない名前ばかりで,とても一度には覚えきれそうにない.相手側は私一人を覚えればいいわけだから,すぐに覚えてくれたようだった.そして,簡単な打合せの後,この日のスケジュールは終わったのだが,帰りに私は,毎日背広・ネクタイで出勤するのはどうも自分には馴染まないが,と言ってみた.服装は自由だという.式典や公式スケジュールがある時以外は,必ずしも背広・ネクタイは必須ではないとのことだ.ホッとした次第である.
私が配属となる直接の部局は,いちおう「国際協力部」というところであった.職員構成は,責任者クラスの中年女性に若い男女1名ずつの計3名である.主として英語とスペイン語を中心とした,幅広い国際的な産業情報を扱っているようだ.当地の職場内では,あまり職制を意識した上下関係はみられないようで,みんなファースト・ネームで友達のように呼び合っている.たぶんそういうことだろうと思って,私もとびきり短い愛称のようなものを用意して,それを自己紹介にも用いてみた.けっこう親しんでもらえたようである.いちいち「セニョール ○○」などと呼ばれては,すっかり興ざめしてしまうからだ.
出勤二日目には,早速にも,郊外への出張があった.といっても単独ではなく,前述した部局の3名と共に車を45分ほど走らせて,市の北部にある某大学のキャンパスに赴いた.折から「国際協力フェア」というのが開かれていて,その中のセミナーの一つに参加するために向かった.内容は,EUがらみの国際協力活動についてものだったが,PowerPointを使ったプレゼンをたいへん魅力的に行っていたのは,ベネズエラ出身という素敵な女性だった.この行事には,一つのアトラクションとして抽選会があって,私もそれに参加した.何と,これが当選したのである.湯呑セットや色鉛筆などの粗品程度のものだったから,何等賞なのかははっきりしないが,職場から参加した4人のうちで当たったのは私一人であった.きっと際先がいいのかも知れない,と思った.
職場では,目下一日一日が発見の連続である.勤務時間のこと,昼食のこと,休憩時間のこと,退庁時間のこと,仕事の仕方など,書けばきりがないほど日本のそれらとは異なった実態に触れている.これらは,また回を改めて少しずつ紹介することにしよう.以下には,とりあえず,職場の周辺のスナップ写真を添えて,まずは外面からの概要をお伝えすることとする.
【職場となる事務所ビルの外観(1)】 |
【職場となる事務所ビルの外観(2)】 |
【珍しい幹の形をもった並木】 |
【州知事公邸と見られる入口ゲート】 |
【事務所付近のビルと並木道】 |
(2008/04/27,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)