◆ アルゼンチン北部サルタ(Salta),フフイ(Jujuy)2州への小旅行(4) ◆
この小旅行4日目(8/28・木)は,サルタからフフイへバスで2時間かけて移動した.フフイ市は,正式には「サン・サルバドール・デ・フフイ(San Salvador de Jujuy)」という長い名前をもつ.標高1260mの高地にあり,人口は約17万人ということだ.サルタ市の人口が約47万人というから,比べるとかなり小ぶりで,街が建設されたのもサルタが1582年,ここフフイは17世紀初頭だという.いずれも古いコロニアルな建物が多く残るが,街並みはきれいで素晴らしい.
フフイのバスターミナルに着くと,すてきな若い女性がわれわれ4人を出迎えてくれた.いきなり「こんにちわ」というのでちょっと驚いたが,この女性はフフイ観光文化局に勤めていて,かつて研修のために日本に行ったことがあったという.今回の旅仲間の一人,やはりボランティアでブエノスアイレスにきている同僚の知人とかで,この人を通じて今回のフフイの旅も実現した.この女性,われわれを自分の車まで案内しがてら,ひょいとタバコに火をつけたのでとても安心した.4人の旅仲間のうち喫煙者は私だけだったため,いつも疎外感を味わっていたからだ.
彼女のさっそうと運転する乗用車で,まずはフフイ州観光文化局の事務所に案内された.立派な応接間に通され,マテ茶をご馳走になりながら,州政府のお偉いさんたちやたくさんの事務局の職員に紹介された.そして,ちゃんと用意してくれたと思われる当地の観光資料がびっしり入ったお土産袋も渡された.一通りの挨拶を済ませ,事務所を出ようとしたら,どういうわけか私だけが広報班だという女性職員にマイクを向けられ,インタビューを受ける羽目となった.急なことで,ほんの2~3分ほどしゃべったようだが,何を話したかはまったく覚えていない.
この小旅行の費用の払いはいったいどうなっているのだろうか,そんなことがふと私の頭をよぎった.というのは,サルタの場合にはたしかにホテル代やバスツアー代など何がしかの費用は各自負担したのだが,ここフフイに関しては何も払っていなかった.同僚友人に聞くと,いやこれはフフイの招待旅行なのだからと,分かったような分からないことを言う.実際,フフイの観光文化局の人たちはみんな熱心で,お隣りサルタに負けまいと観光振興にたいへん力を入れている様子がうかがえ,きっと日本からの観光客誘致に大きな期待をもっているのだろうと思った.
やおらするうちに,英語もできるというガイドのおじさんが現われた.え?,彼女の案内じゃないのと一瞬思ったが,きっとわれわれ4人には英語のほうがベターと判断されていたのだろう.午前中は,この人と彼女を含む2人の職員の案内で市内の要所を見学し,説明は英語で主にこのおじさんがしてくれた.州政府の建物,カテドラル,博物館などを,その内部まで案内してくれた.そして昼近くになり,彼女たち職員とは別れを告げて,今度はおじさんが運転する四輪駆動車に荷物もろとも乗り換え,ビーニャという高台(Altos de la Viña)にあるホテルのレストランまでドライブし,そこで昼食となった.
2時間以上はたっぷりとった昼食時,いつもながらにワインは嗜んだがメインの料理が何であったかは覚えていない.運転手でもあるこの案内人おじさんも一緒に少しは飲み,話が弾んだようだ.じつによくしゃべる.一所懸命英語を使って,自分の身の上話などもしてくれた.若いころは医学を勉強したが,その後何度も職を変えて今日にいたっているという.かなりのインテリで,政治向きの難しいテーマでもおくせず喋りまくっていた.食後の休憩は,シエスタとまではいかなかったが,ホテルの裏庭でフフイ市街を一望できる丘の上に立ち,パノラミックな遠くの山々をしばらく見つめていた.
午後(といっても3時をゆうにまわっていたが)の行程は,フフイ市から約1時間ほど車を北に走らせたところにあるプルママルカ(Purmamarca)という町までのドライブである.ここは実は昨日のサルタからのマイクロバスツアーでも通ったルートだが,今度は少し小刻みに,途中でボルカン(Volcán)やトゥンバヤ(Tumbaya)という小さなスポットにも立ち寄って,夕刻早めにに到着した.当夜のホテルは,ここプルママルカの Manantial del Silencio という,その名の通り静かな山間の村の宿舎であった.チェックインのあとしばしの自由時間があったので,シャワーや洗濯などでくつろぎ,夜9時半頃からホテルのレストランでの夕食となった.フフイでの第1夜が,こうして暮れていった.
この小旅行4日目(8/28・木)は,サルタからフフイへバスで2時間かけて移動した.フフイ市は,正式には「サン・サルバドール・デ・フフイ(San Salvador de Jujuy)」という長い名前をもつ.標高1260mの高地にあり,人口は約17万人ということだ.サルタ市の人口が約47万人というから,比べるとかなり小ぶりで,街が建設されたのもサルタが1582年,ここフフイは17世紀初頭だという.いずれも古いコロニアルな建物が多く残るが,街並みはきれいで素晴らしい.
フフイのバスターミナルに着くと,すてきな若い女性がわれわれ4人を出迎えてくれた.いきなり「こんにちわ」というのでちょっと驚いたが,この女性はフフイ観光文化局に勤めていて,かつて研修のために日本に行ったことがあったという.今回の旅仲間の一人,やはりボランティアでブエノスアイレスにきている同僚の知人とかで,この人を通じて今回のフフイの旅も実現した.この女性,われわれを自分の車まで案内しがてら,ひょいとタバコに火をつけたのでとても安心した.4人の旅仲間のうち喫煙者は私だけだったため,いつも疎外感を味わっていたからだ.
彼女のさっそうと運転する乗用車で,まずはフフイ州観光文化局の事務所に案内された.立派な応接間に通され,マテ茶をご馳走になりながら,州政府のお偉いさんたちやたくさんの事務局の職員に紹介された.そして,ちゃんと用意してくれたと思われる当地の観光資料がびっしり入ったお土産袋も渡された.一通りの挨拶を済ませ,事務所を出ようとしたら,どういうわけか私だけが広報班だという女性職員にマイクを向けられ,インタビューを受ける羽目となった.急なことで,ほんの2~3分ほどしゃべったようだが,何を話したかはまったく覚えていない.
この小旅行の費用の払いはいったいどうなっているのだろうか,そんなことがふと私の頭をよぎった.というのは,サルタの場合にはたしかにホテル代やバスツアー代など何がしかの費用は各自負担したのだが,ここフフイに関しては何も払っていなかった.同僚友人に聞くと,いやこれはフフイの招待旅行なのだからと,分かったような分からないことを言う.実際,フフイの観光文化局の人たちはみんな熱心で,お隣りサルタに負けまいと観光振興にたいへん力を入れている様子がうかがえ,きっと日本からの観光客誘致に大きな期待をもっているのだろうと思った.
やおらするうちに,英語もできるというガイドのおじさんが現われた.え?,彼女の案内じゃないのと一瞬思ったが,きっとわれわれ4人には英語のほうがベターと判断されていたのだろう.午前中は,この人と彼女を含む2人の職員の案内で市内の要所を見学し,説明は英語で主にこのおじさんがしてくれた.州政府の建物,カテドラル,博物館などを,その内部まで案内してくれた.そして昼近くになり,彼女たち職員とは別れを告げて,今度はおじさんが運転する四輪駆動車に荷物もろとも乗り換え,ビーニャという高台(Altos de la Viña)にあるホテルのレストランまでドライブし,そこで昼食となった.
2時間以上はたっぷりとった昼食時,いつもながらにワインは嗜んだがメインの料理が何であったかは覚えていない.運転手でもあるこの案内人おじさんも一緒に少しは飲み,話が弾んだようだ.じつによくしゃべる.一所懸命英語を使って,自分の身の上話などもしてくれた.若いころは医学を勉強したが,その後何度も職を変えて今日にいたっているという.かなりのインテリで,政治向きの難しいテーマでもおくせず喋りまくっていた.食後の休憩は,シエスタとまではいかなかったが,ホテルの裏庭でフフイ市街を一望できる丘の上に立ち,パノラミックな遠くの山々をしばらく見つめていた.
午後(といっても3時をゆうにまわっていたが)の行程は,フフイ市から約1時間ほど車を北に走らせたところにあるプルママルカ(Purmamarca)という町までのドライブである.ここは実は昨日のサルタからのマイクロバスツアーでも通ったルートだが,今度は少し小刻みに,途中でボルカン(Volcán)やトゥンバヤ(Tumbaya)という小さなスポットにも立ち寄って,夕刻早めにに到着した.当夜のホテルは,ここプルママルカの Manantial del Silencio という,その名の通り静かな山間の村の宿舎であった.チェックインのあとしばしの自由時間があったので,シャワーや洗濯などでくつろぎ,夜9時半頃からホテルのレストランでの夕食となった.フフイでの第1夜が,こうして暮れていった.
【フフイ州・観光文化局の建物】 |
【フフイ市のカテドラル】 |
【カテドラルの内部】 |
【フフイ州政府の建物】 |
【フフイ市のたたずまい(1)】 |
【フフイ市のたたずまい(2)】 |
【ラバージェ博物館の内部】 |
【丘から見下ろしたフフイの市街】 |
【昼食に立ち寄った高台のホテル】 |
【ホテルの裏庭・早春の花飾り】 |
【石灰岩を削った山肌脇をドライブ】 |
【運転手兼案内役の四駆でドライブ】 |
【荒涼たるサボテンと山肌の景色】 |
【かつてはボリビアまで伸びていた鉄路の跡】 |
【サボテン庭に建つ銅(?)像】 |
【鉱物元素に彩られた山肌】 |
【荒野の放牧風景】 |
【プルママルカの観光案内図】 |
【夕陽を浴びてはしゃぐ犬たち】 |
(2008/09/27,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)