人生行路の旅,出会いと別れのソナタ

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2008_アルゼンチン便り (26)

2008-09-27 | 2008_アルゼンチン便り
◆ アルゼンチン北部サルタ(Salta),フフイ(Jujuy)2州への小旅行(4) ◆

 この小旅行4日目(8/28・木)は,サルタからフフイへバスで2時間かけて移動した.フフイ市は,正式には「サン・サルバドール・デ・フフイ(San Salvador de Jujuy)」という長い名前をもつ.標高1260mの高地にあり,人口は約17万人ということだ.サルタ市の人口が約47万人というから,比べるとかなり小ぶりで,街が建設されたのもサルタが1582年,ここフフイは17世紀初頭だという.いずれも古いコロニアルな建物が多く残るが,街並みはきれいで素晴らしい.

 フフイのバスターミナルに着くと,すてきな若い女性がわれわれ4人を出迎えてくれた.いきなり「こんにちわ」というのでちょっと驚いたが,この女性はフフイ観光文化局に勤めていて,かつて研修のために日本に行ったことがあったという.今回の旅仲間の一人,やはりボランティアでブエノスアイレスにきている同僚の知人とかで,この人を通じて今回のフフイの旅も実現した.この女性,われわれを自分の車まで案内しがてら,ひょいとタバコに火をつけたのでとても安心した.4人の旅仲間のうち喫煙者は私だけだったため,いつも疎外感を味わっていたからだ.

 彼女のさっそうと運転する乗用車で,まずはフフイ州観光文化局の事務所に案内された.立派な応接間に通され,マテ茶をご馳走になりながら,州政府のお偉いさんたちやたくさんの事務局の職員に紹介された.そして,ちゃんと用意してくれたと思われる当地の観光資料がびっしり入ったお土産袋も渡された.一通りの挨拶を済ませ,事務所を出ようとしたら,どういうわけか私だけが広報班だという女性職員にマイクを向けられ,インタビューを受ける羽目となった.急なことで,ほんの2~3分ほどしゃべったようだが,何を話したかはまったく覚えていない.

 この小旅行の費用の払いはいったいどうなっているのだろうか,そんなことがふと私の頭をよぎった.というのは,サルタの場合にはたしかにホテル代やバスツアー代など何がしかの費用は各自負担したのだが,ここフフイに関しては何も払っていなかった.同僚友人に聞くと,いやこれはフフイの招待旅行なのだからと,分かったような分からないことを言う.実際,フフイの観光文化局の人たちはみんな熱心で,お隣りサルタに負けまいと観光振興にたいへん力を入れている様子がうかがえ,きっと日本からの観光客誘致に大きな期待をもっているのだろうと思った.

 やおらするうちに,英語もできるというガイドのおじさんが現われた.え?,彼女の案内じゃないのと一瞬思ったが,きっとわれわれ4人には英語のほうがベターと判断されていたのだろう.午前中は,この人と彼女を含む2人の職員の案内で市内の要所を見学し,説明は英語で主にこのおじさんがしてくれた.州政府の建物,カテドラル,博物館などを,その内部まで案内してくれた.そして昼近くになり,彼女たち職員とは別れを告げて,今度はおじさんが運転する四輪駆動車に荷物もろとも乗り換え,ビーニャという高台(Altos de la Viña)にあるホテルのレストランまでドライブし,そこで昼食となった.

 2時間以上はたっぷりとった昼食時,いつもながらにワインは嗜んだがメインの料理が何であったかは覚えていない.運転手でもあるこの案内人おじさんも一緒に少しは飲み,話が弾んだようだ.じつによくしゃべる.一所懸命英語を使って,自分の身の上話などもしてくれた.若いころは医学を勉強したが,その後何度も職を変えて今日にいたっているという.かなりのインテリで,政治向きの難しいテーマでもおくせず喋りまくっていた.食後の休憩は,シエスタとまではいかなかったが,ホテルの裏庭でフフイ市街を一望できる丘の上に立ち,パノラミックな遠くの山々をしばらく見つめていた.

 午後(といっても3時をゆうにまわっていたが)の行程は,フフイ市から約1時間ほど車を北に走らせたところにあるプルママルカ(Purmamarca)という町までのドライブである.ここは実は昨日のサルタからのマイクロバスツアーでも通ったルートだが,今度は少し小刻みに,途中でボルカン(Volcán)やトゥンバヤ(Tumbaya)という小さなスポットにも立ち寄って,夕刻早めにに到着した.当夜のホテルは,ここプルママルカの Manantial del Silencio という,その名の通り静かな山間の村の宿舎であった.チェックインのあとしばしの自由時間があったので,シャワーや洗濯などでくつろぎ,夜9時半頃からホテルのレストランでの夕食となった.フフイでの第1夜が,こうして暮れていった.
フフイ州・観光文化局の建物
【フフイ州・観光文化局の建物】
フフイ市のカテドラル
【フフイ市のカテドラル】
カテドラルの内部
【カテドラルの内部】
フフイ州政府の建物
【フフイ州政府の建物】
フフイ市のたたずまい(1)
【フフイ市のたたずまい(1)】
フフイ市のたたずまい(2)
【フフイ市のたたずまい(2)】
ラバージェ博物館の内部
【ラバージェ博物館の内部】
丘から見下ろしたフフイの市街
【丘から見下ろしたフフイの市街】
昼食に立ち寄った高台のホテル
【昼食に立ち寄った高台のホテル】
ホテルの裏庭・早春の花飾り
【ホテルの裏庭・早春の花飾り】
石灰岩を削った山肌脇をドライブ
【石灰岩を削った山肌脇をドライブ】
運転手兼案内役の四駆でドライブ
【運転手兼案内役の四駆でドライブ】
荒涼たるサボテンと山肌の景色
【荒涼たるサボテンと山肌の景色】
かつてはボリビアまで伸びていた鉄路の跡
【かつてはボリビアまで伸びていた鉄路の跡】
サボテン庭に建つ銅(?)像
【サボテン庭に建つ銅(?)像】
鉱物元素に彩られた山肌
【鉱物元素に彩られた山肌】
荒野の放牧風景
【荒野の放牧風景】
プルママルカの観光案内図
【プルママルカの観光案内図】
夕陽を浴びてはしゃぐ犬たち
【夕陽を浴びてはしゃぐ犬たち】

(2008/09/27,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)

2008_アルゼンチン便り (25)

2008-09-21 | 2008_アルゼンチン便り
◆ アルゼンチン北部サルタ(Salta),フフイ(Jujuy)2州への小旅行(3) ◆

 この小旅行の3日目(8/27・水)は,本来ならここサルタに発着する高山鉄道「雲への列車(El Tren a las Nubes)」に乗る1日観光のはずだったが,前述のごとく技術的なトラブルとかで運休中だったので,ほぼ同一コースを行くマイクロバスの混成ツアーに参加することとなった.総勢20名程度の参加者がいたが,東洋系はわれわれ4人の日本人だけだった.元気な男性青年ガイドが付き添ったが,最初のうちはスペイン語と英語で案内をしていたのに,いつのまにか英語は省略されていき,スペイン語主体の説明となっていった.

 サルタ市自体が標高1190mの高地にある街だが,このツアーではさらに3000mほど登って,最高所は4200m近くまで行くというので,さぞかし寒いのでは,また空気も薄くなるだろうと案じていたのだが,実際にはそれほど感じることもなく,快適な1日ツアーであった.最初のうちは上述の高山鉄道の曲がりくねった線路,また乾いた渓谷沿いの道を高度を上げていき,途中から東に峠を超えて,お隣のフフイ州に入った.鉄路では,もう少しそのままチリとの国境方面に進んで,終点のサン・アントニオ・デ・ロス・コブレス(San Antonio de los Cobres)駅まで続いている.ここには,日本の余部鉄橋を思わせる巨大なラ・ポルボリージャ(La Polvorilla)鉄橋があるというので楽しみにしていたが,残念ながらこれを見ることはできなかった.

 フフイ州に入ると,荒涼とした高地の大自然の中に車を走らせ,途中このコースでの最高地点4170mとの標識のあるところで車を降り,一服休憩した.たしかに空気は希薄で,ちょっとした動作も努めて緩慢にしなければ息が続かないようだったが,高山病などの予想した現象はいっさい起きなかった.これも人(体質)によるようで,中には軽い頭痛に悩まされた人もいたようだ.フフイから北へ,ボリビア国境のラ・キアカ(La Quiaca)という町まで伸びる国道のプルママルカ(Prumamarca)に出て,そこからウマワカ渓谷沿いに北上し,ティルカラ(Tilcara),ウキーア(Uquia),ウマワカ(Humahuaca)などの街に立ち寄った.このウマワカ渓谷は,最近(2003)ユネスコの世界遺産に登録されたという.

 実は,われわれのこの小旅行は,次の日にはフフイ州をゆっくり訪れることになっていた.その意味では,すでに予習をしてしまった感もあったが,それはそれで,混成ツアーの体験も併せて良い選択であっただろう.丸1日フルタイムのマイクロバス・ツアーも,日暮もすぎた夜の9時近くに,サルタ市のセントロに帰りついた.われわれは,ホテルに帰る途中レストランに寄って夕食をとり,ほどよい疲れとともに明日に備えて早めに就寝することにした.
サルタ1日観光のマイクロバス
【サルタ1日観光のマイクロバス】
混成ツアーマイクロの車内
【混成ツアーマイクロの車内】
運行中断中の雲への列車線路
【運行中断中の雲への列車線路】
渓谷沿いに走る観光マイクロ
【渓谷沿いに走る観光マイクロ】
渓谷沿いに走るはずの列車線路
【渓谷沿いに走るはずの列車線路】
山並みと光線が織りなす景色
【山並みと光線が織りなす景色】
渓谷にはサボテンと多少の緑が
【渓谷にはサボテンと多少の緑が】
豊富な鉱物資源を含む山々
【豊富な鉱物資源を含む山々】
観光途中でのトイレ休憩
【観光途中でのトイレ休憩】
小さな村の博物館前
【小さな村の博物館前】
別な観光団体のいかついトラック部隊
【別な観光団体のいかついトラック部隊】
途中で見かけたリャマの群れ
【途中で見かけたリャマの群れ】
銅山の集落にもパラボラアンテナが
【銅山の集落にもパラボラアンテナが】
砂漠の村落に建つ歴史のある教会
【砂漠の村落に建つ歴史のある教会】
広がる巨大な塩湖
【広がる巨大な塩湖】
岩塩製の土産物を売る地元の人たち
【岩塩製の土産物を売る地元の人たち】
標高4170mの峠道の道標
【標高4170mの峠道の道標】
標高最高地点で観光客は記念撮影
【標高最高地点で観光客は記念撮影】
バスの車窓から見た葛折りの峠道
【バスの車窓から見た葛折りの峠道】
色づく鉱山に囲まれた集落
【色づく鉱山に囲まれた集落】
とある集落の土産物市場
【とある集落の土産物市場】
鉱山街の夕暮れ風景
【鉱山街の夕暮れ風景】

(2008/09/21,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)

2008_アルゼンチン便り (24)

2008-09-13 | 2008_アルゼンチン便り
◆ アルゼンチン北部サルタ(Salta),フフイ(Jujuy)2州への小旅行(2) ◆

 翌日(8/26・火)は,サルタ市の1日市内観光となった.この小旅行を手配してくれた同僚の知人で,当地で観光関係のマネジャーをしているという素敵な女史がホテルまで自家用車で迎えに来てくれた.早速この綺麗な小型乗用車に乗り込み,彼女の運転で市内を走り回っては途中で駐車しながら,あちこちの見どころを見学した.市の中心にある7月9日広場,荘厳なカテドラル,旧市庁舎だったカビルド,サンフランシスコ教会などに加え,2004年にオープンしたばかりという高山考古学博物館(MAAM:El Museo de Arqueología de Alta Montaña)などを訪れた.

 この考古学博物館には,当地が旧インカ帝国の南端に位置したことから,アンデス文明と文化に因む多くの装飾品や衣類などの展示があるが,中でも圧巻は1920年代前半にサルタ近郊のチュスチャ(Chuscha)山で発見された「山の女王(La Reina del Cerro)」と呼ばれる少女のミイラ(厳密にはミイラ処理されたものではなく,驚くほど良く保存された当時のままの死体)の展示である.2体が保存されている由だが,安全のため,1体ずつしか公開はされない.もちろん撮影は禁止なので写真は撮ることができず,別なルートでその画像は入手しているものの,著作権の関係からここに掲載するのは控えておこう.

 途中,念のためにと鉄道の駅に寄り,翌日に予定していた「雲への列車(El Tren a las Nubes)」の運行状況を聞いてみたが,案の定「運休中」とのことだった.駅員の説明によると,なんでもブレーキ系統の不具合で安全が確保できないというのが理由らしい.それにしても,ついこの間営業を再開したばかりではないか.試運転なども十分にやったはずである.と,つい日本人的に考えてしまうのだが,どうやら理由はそれだけではないような話も聞く.愚痴を言ってもしかたがないので,われわれ4名は相談の結果,代替案であったバスによる類似コースの混成ツアーに参加することにし,早速女史の紹介する旅行社に申込も済ませた.

 市内見物のあとは,ドライブを兼ねて少し近郊の休憩地点まで車を走らせた.そこでコーヒーなど飲みながら歓談していると,運転兼案内をしてくれていたこの女史が突然,今晩は自分の家でアサード(焼き肉)パーティーをやるので招待したいと言い出した.旦那さんからケイタイ電話で連絡があったようだ.もちろん当方としては渡りに船である.それではお言葉に甘えましょうと,早めに市内に戻り,彼女を解放してからわれわれ4人はロープウェイ駅に向かい,小高い丘に登って夕陽と夜景を眺めることにした.

 彼女の旦那さんとは,すでに市内観光の際,道すがらに出会っていて,お互いに挨拶は交わしていた.ひょっとして好感をもたれたのだろうか.こちらでは,アサード・パーティーを主催するのは男性の役目と聞く.きっと気をきかせていろいろと準備をしてくれたのだろう.夜も8時を過ぎたころ,ふたたび女史がホテルまで車で迎えに来てくれた.一般家庭で行うアサード(焼き肉)の様子を以下に画像で示すが,残念ながら参加者の顔ぶれの掲載はちょっと遠慮して控えたい.当家のご夫婦にわれわれ4名,総勢6名のアサード宴会は,スペイン語と英語,それにちょっと日本語を交えながら深夜まで続いた.
サルタで泊まったホテル
【サルタで泊まったホテル】
ホテル前の通り
【ホテル前の通り】
サルタのカテドラル
【サルタのカテドラル】
サルタの7月9日広場
【サルタの7月9日広場】
サルタの街並み(1)
【サルタの街並み(1)】
サルタの街並み(2)
【サルタの街並み(2)】
高山考古学博物館
【高山考古学博物館】
カテドラルの内部
【カテドラルの内部】
サルタのカビルド(旧市庁舎)
【サルタのカビルド(旧市庁舎】
サルタ州政府の庁舎
【サルタ州政府の庁舎】
サルタ市郊外の休憩所
【サルタ市郊外の休憩所】
サルタに沈む夕陽
【サルタに沈む夕陽】
小高い丘から見下ろす市街
【小高い丘から見下ろす市街】
サルタ市の夜景を見下ろす
【サルタ市の夜景を見下ろす】
夜はアサード(焼き肉)パーティー
【夜はアサード(焼き肉)パーティー】

(2008/09/13,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)

2008_アルゼンチン便り (23)

2008-09-06 | 2008_アルゼンチン便り
◆ アルゼンチン北部サルタ(Salta),フフイ(Jujuy)2州への小旅行(1) ◆

 8月(2008)25日から1週間,職場では夏休み(こちらでは冬休み?)をいただいて,アルゼンチン北部の2州をまわる小旅行に出発した.この旅は,観光関係のテーマでブエノスアイレスに派遣されている元日本の大手旅行会社に勤めていたという同僚が企画し,コルドバから私が,そしてラプラタ市,カタマルカ市からそれぞれ1名ずつの同僚が参加して,総勢4名の男性によるグループ旅行となった.各自が別々の都市からの参加のため,集合は現地・サルタ市のホテルとし,私は月曜日(25日)の朝ここコルドバをバスで出発し,サルタへはその日の夜22時ころに到着した.

 コルドバからサルタまでは,およそ800~900kmもあろうか,長距離バスで約13時間半ほどかかった.バスは快適な車両で,インターネット予約サイトから切符を手配し,2階の最前列で一番見晴らしのいい席を確保できていた.ちなみにこのバス料金は,セミカマ(Semicama)という2等並みのリクライニングシートで,133アルゼンチン・ペソ(約4,700円)である.東京から西へ下れば,およそ岡山か広島あたりまでの旅程であろうか.途中,トゥクマンというアルゼンチンの独立では由緒ある美しい街を経由し,一路北へと向かった.昼食には,サンドウィッチとジュースが車中で配られたが,もちろんこれはバス料金に含まれている.

 やがて日も暮れて,車中でウトウトしている間に,夜もふけた22時過ぎにサルタ市に到着した.他の3名の同僚は,すでに夕刻までには到着していて,その頃はどこかフォルクローレの実演があるレストランで食事でもしている時刻である.とりあえずタクシーでホテルに直行,チャックインのあと荷物を部屋に残してケイタイで連絡をとり,その同僚が向かったというレストランに駆け付けた.ちょうどフォルクローレのショーが始まる時刻であった.店は,観光客であふれていた.ブエノスアイレスを含むアルゼンチン国内の各地から,またヨーロッパの国々からの観光客が多かったようだ.アジア系の人間は,我々以外に見かけることはなかった.

 この小旅行の日程は,ここサルタに3泊,その後フフイに移動して,そこに2泊の予定である.サルタでの観光の目玉は,何と言っても標高5,000m近くまでスイッチバックで登っていく「雲への列車(El tren a las nubes)」に乗車することなのだが,この鉄道は近年しばらく運行を中止していて,つい最近の8月6日に営業を再開したばかりである.はたして大丈夫なのかと心配していたが,やはり営業再開直後に何らかの技術的理由により,運行を中断している由であった.われわれの予約切符は,翌々日の水曜日の日付だが,たぶんダメだろうと,代替案を模索しながらその日の行程を終え,ホテルに戻って一息つくこととした.

 以下には,この小旅行初日に撮影したスナップ写真の一部を掲載しておこう.
サルタへ向かうバス(1)
【サルタへ向かうバス(1)】
サルタへ向かうバス(2)
【サルタへ向かうバス(2)】
サルタ行きのバスの車窓から
【サルタ行きのバスの車窓から】
どこまでも伸びる自動車道路
【どこまでも伸びる自動車道路】
途中の通過駅トゥクマンのバス停
【途中の通過駅トゥクマンのバス停】
車窓から見たトゥクマンの街並み(1)
【車窓から見たトゥクマンの街並み(1)】
車窓から見たトゥクマンの街並み(2)
【車窓から見たトゥクマンの街並み(2)】
サルタでの第1夜(フォルクローレ1)
【サルタでの第1夜(フォルクローレ1)】
サルタでの第1夜(フォルクローレ2)
【サルタでの第1夜(フォルクローレ2)】

(2008/09/06,アルゼンチン・コルドバ市の自宅にて,筆者)