人生行路の旅,出会いと別れのソナタ

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2006_コスタリカ研修・旅だより (20,最終回)

2007-03-18 | 2006_コスタリカ研修_
● 旅は未完に! コスタリカの実像は?
 1月15日(月)の夕刻には,コンチネンタル航空CO-007便にて予定通り成田に帰国.旅の疲れもあってか,まっすぐ帰宅の途につく気がしなかった.空港の喫茶店でコーヒーを飲みながら,約1ヶ月にわたった今回の旅程を振り返りつつしばらく休憩した.翌日からは,すぐに職場へ出勤した.たまっていた仕事,旅行がらみの種々な残務処理,留守宅に届いていた年賀状の整理などで,その週は忙殺される中に過ぎ去った.やっとほっと一息つこうかとした翌日曜日,ちょうどお昼頃であったろうか,突然,郷里(関西)の親族の一人が危篤との報が寄せられた.あわてて新幹線に飛び乗り,即,大阪へと向かう.結局その日は,病院へ駆けつけるものの間に合わず,続く一連の手配などで徹夜となった.

 私にとっての2007年は,帰国後このように始まったのだが,以後しばらくの間このブログの記事を締めくくるいとまも見出せないままに月日が過ぎていった.前回の投稿記事以来,またまた1ヶ月が経つ.そしていま,年度末も迫ったこの時期に,ようやく当シリーズの最終回を執筆する寸暇を見出すことができた.とはいうものの,当初の予定では,この最終回で今回の研修旅行の総括,そしてコスタリカについての見聞評などを記すつもりであったのだが,どうもそれは果たせそうにない.新たな理由が発生したからだ.実は,この研修旅行は,その後の事情で,未完の旅となってしまった.そう,来月(4月)の中下旬から,ふたたび継続の研修コースに参加することになったのだ.期間はやはり4週間,1ヶ月余りの滞在となる予定である.したがって,研修旅行の総括めいた記事などは,あらたにカテゴリを設定して執筆予定の「2007_コスタリカ研修」のシリーズの中で扱いたいと思う.

 コスタリカという国について受けた印象などを,ちょっとだけ中間報告しておこう.日本では一般に,この国のイメージがどのうように語られているであろうか.軍隊を捨てた国,積極中立外交を進める国,教育熱心な国,選挙制度を論じる際よく引き合いに出される「コスタリカ方式」で有名な国,中米で一番治安の良い国,環境保護に力を入れている国,バナナとコーヒーの国,そして高原性気候とトロピカルなビーチに恵まれた快適な観光資源に富む国,などなどである.こうしたキャッチコピーから受ける印象からは,きっと平和で,美しい,小さな理想郷のようなお国柄だろうと想像してしまう.都市も,村も,山も海岸も,そして人々も,きっと静かで美しく,国中にきれいな風景が広がっていそうな予断にかられてしまいかねない.はたして実像はどうなのであろうか.それは,行ってみた人でないとわからないし,また行ってみた人によっても異なった実像を伝えているかもしれないのである.

 実際に私が受けた印象からも,この国の実像を短い言葉で伝えるのは,たいへん困難なことだと感じる.たしかに,上に引用したいくつものキャッチコピーの一つひとつは,どれも「うそ」ではない.いずれも正しく,この国のある側面を言い当てている.しかし,実際にこの国を訪れてみて,いったいどのような日常性の感性からその総合的イメージを実像として構成するかということになると,それは旅人のバックボーンによってかなり異なったものとなるにちがいない.ある人は幻滅を感じ,ある人はなるほどとうなずき,またある人は大きな希望を見つけるかもしれないのである.事実,幻滅を感じた人はたくさんいる.首都のサン・ホセの街路を少し歩いただけで,そのけたたましい騒音,バスや大型トラックが撒き散らすもうもうたる排ガス,交通ルールを守らない人々,デコボコだらけでいつ修理するやら不明の歩道,スリやひったくりがたむろするバスターミナル,路上の物乞い,そうした風景に遭遇する.この段階でガックリしてしまう日本人も,結構多いようだ.

 一般に観光資源,敷衍すればその国,その地域のお国柄や土地柄といってもいいが,それを評価する場合には,今日的な言葉でいえばハードとソフトという両面がある.ハードというのは,もちろん物理的な観光資源であり,街並みや施設,インフラの整備状況や物質的な豊かさであろう.そして,ソフトというのは,まずもってそこに住む人々であり,その社会,政治,教育,文化などである.ここで,前者(ハード)が大きく「経済」に依存するのに対して,後者(ソフト)は大きく「歴史」に依存するということを,確認しておかなければならない.その上で,この両者ともが,実際にはその地政学的な「環境」に大きく依存していることも理解しなければならないのである.コスタリカ場合も,けして例外ではありえない.

 コスタリカは,一般に「発展途上国」に分類されている.「発展」という概念が,そもそもどういうものであるべきかの論点もないではないが,いずれにしてもコスタリカはたいへん貧しいのである.コスタリカだけではない.中南米全体が,たいへん貧しいのだ.経済力がない.それは,その国,その土地の産業がなかなか発展しなかったことに主として起因する.第一次資源に比較的恵まれているにもかかわらず,それは発展しなかった.そこには,その地域全体の地政学的な歴史と環境が大きく作用した.したがって,ハードウェアはまだまだこれからだという国々ばかりである.コスタリカも,そういう国々の一つであるということを,忘れてはならない.そして,これまた地政学的な理由から,こうした域内の一国だけが,突然変異でもしたかのように,とびぬけて経済的に豊かになることなどあり得ないのである.

 ソフトの側面でのコスタリカに関して,ちょっと語っておこう.短い滞在ではあったが,私の受けた印象では,コスタリカの人々は上に述べた点に関し十分に深い認識をもっているようだった.しかもほとんどの人々が均質にこのことを自覚しているように感じた.たぶんこれは,破格の予算を教育につぎ込んできたコスタリカ政治の賜物なのかもしれない.中南米の政治風土でいうなら,かつてのキューバや現在のチャベス率いるヴェネズエラのように「司令塔」的な役割は果たしていないが,航路上にキラリと光るブイのような役割を果たし続けている.コスタリカは,つねに中南米全体を見ているし,中南米全体もコスタリカを一つの無視できない航路上のブイとして視野に入れ,耳を傾けている姿が見て取れた.中南米は,これから熱い季節を迎えるかもしれない.南米では,すでにあちこちで静かな「革命」が進行している模様である.キューバの経験,チリの経験,ニカラグアの経験,エルサルバドルの経験,そしてヴェネズエラ,ボリビア,エクアドル,ブラジルなどで目下進行中の実験,中南米がこうして新たな歴史の時代を今迎えているかもしれないと考えるのは,私だけではないだろう.

このシリーズの連載は,これで完結します.ご愛読,ほんとうにありがとうございました.

(2007/03/18,東京にて,筆者)