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ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

ヤバい神

2022年07月16日 | 愛読書

本書は以下のような構成になっています。

序論 人間に挑みかかる旧約聖書の神
第1章 神は男性か
第2章 神は残忍か
第3章 神は好戦的な暴君か
第4章 独善的な神の前に人間は罪人に過ぎないのか
第5章 神は暴力と復讐(ふくしゅう)の神なのか
第6章 神は理解可能か
結論 旧約の神と新約の神

序論では、「洪水による人間の滅ぼし」「イサク献供」「金の子牛を拝んだ者たちの殺害」など、神による残酷な話が取り上げられ、それらの記述がキリスト教の歴史の中でどのように見られてきたかが記されています。レーマー氏は、こうした神の残酷さは、バビロン捕囚前のイスラエルの王や民が神を礼拝せず、律法を守らなかったことに起因した、申命記史家による表現方法によるものであったとしています。さらに、ヤハウェという神の名を説明し、ヤハウェとイスラエルの民の出会いの歴史の中で、聖書はヤハウェを衝撃的に描くことがあるとし、さまざまな疑問を抱かせる記述について論じている本論へ導いていきます。

第1章では、神の性別が論じられており、神ヤハウェは、詩編では王として、預言書、特にホセア書、エレミヤ書、エゼキエル書では、イスラエルの夫または恋人として描かれており、つまり男性的イメージで伝えられていることが述べられています。しかし、創世記1章27節「神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された」(聖書協会共同訳)の記述から、男性と同様に女性も神のかたちを映しているとして、ヤハウェにも女性的な特徴があるという論述が展開されていきます(77ページ以降)。この部分が本章のキモだと思いますので、詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、レーマー氏の見識の高さに感服しました。

第2章では、神の残忍さが論じられています。ここで大きく取り上げられているテキストは、創世記22章のアケダー(イサク献供)と、士師記11章のエフタの娘の犠牲の話です。アケダーでは、アブラハムがイサクに手をかけて犠牲にしようとするところで、代わりの羊が与えられますが、エフタの娘は犠牲となってしまいます。そこで描かれている神は残忍な神なのでしょうか。レーマー氏は、これらについても、特にこれらの記事が書かれた時代の背景を通して、自身の考えを述べておられます。これも、実際に読まれるときのお楽しみにしていただきたいと思いますが、本章で述べられている結論を導くことは、レーマー氏にとっても困難であったことが読み取れます。

第3章では、神は好戦的なのか、ということが論じられています。ここでは、「申命記における君主ヤハウェ」と「ヨシュア記における征服の神ヤハウェ」について、大きく取り上げられています。これについても、レーマー氏は、これらの記事が書かれた時代の背景、特にアッシリアによって征服されていたことの影響を見ています。しかし、本章では末尾において、旧約聖書における神には好戦的な部分があることを否定できないとしつつも、「常に戦争神であるわけでは決してないことを強調せねばならない」としています。そして、ヘブライ語聖書の最終部分である歴代誌下36章23節「ペルシアの王キュロスはこのように言う。天の神、主は地上のすべての王国を私に与えられ、ユダのエルサレムに神殿を建てることを私に任された。あなたがたの中で主の民に属する者は誰でも、その神、主がその人と共におられるように。その者は上って行きなさい」(同)を引き合いに出し、「神は神殿の再建によって、平和な未来を約束するのだ」と結んでいます。

第4章では、神は独善的なのか、ということが論じられています。わけても、性についての旧約聖書における一部の記述は、「神は人間同士の性的関係に何の価値も認めていない」と解釈せざるを得ないとしています。人間の自由が制限されているようにも思われるというのが、本章前半の論点です。しかし、後半では雅歌で展開されている「愛とエロティシズムへの賛歌」を取り上げ、雅歌においては愛と性愛が「神からの贈り物」であると宣言されているとして、本章を結んでいます。雅歌を読みますと、その非宗教性にポカーンと口を開けてしまうことがありますが、本章を読むとやはり雅歌は正典として大切であることを思わされます。

第5章では、神の暴力と神の復讐について語られています。神の暴力については、創世記4章のカインとアベルの話が取り上げられ、神がアベルの供え物だけを受け入れ、カインのそれを受け入れなかったことがカインのアベル殺害につながったとして、論を進めています。神の行為が人間の暴力につながったことを論じつつも、「暴力に向かい合うとは、関ること」として、神の暴力への関りを、人間への神の関りの一つとして捉えているように思えます。神の復讐については、詩編、イザヤ書、ナホム書から論じられていますが、神の復讐も神の愛とのバランスの中で書かれていることが語られています。

第6章では、神は理解可能か、ということが応報思想の捉え方を中心に論じられており、ヨブ記とコヘレトの言葉が大きく取り上げられています。コヘレトの言葉については、「コヘレト書を読む」「コヘレトと新約聖書」という2つのコラムを書かせていただいたように、私はこの書の魅力を強く感じています。コヘレトの言葉の大きな特徴の一つは、「神は理解不能であることを、コヘレトは受け入れている」ということですが、レーマー氏も同じことを記しています(214~215ページ)。また、ヨブ記の著者とコヘレトが応報思想に異を唱えているとしています。個人的に非常に興味深い章でした。

結論では、1~6章の内容が、新約聖書でどのように捉えられているかが論じられています。1~6章においては、旧約聖書の多岐性が示されていますが、新約聖書との関連を記すことによって、旧約聖書だけでなく新約聖書にも多岐性があることが示されています。



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並木浩一私訳ヨブ記

2021年08月30日 | 愛読書

並木先生のヨブ記注解のおまけが届いた。



ヨブ記の私訳であった。


非売品なのでこれは儲け。

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キリストと諸権力

2021年08月23日 | 愛読書



次のコラムに向けて一冊の本を読んでいます。ヘンドリクス・ベルコフ著「キリストと諸権力」です。著者はオランダ人で、1953年に出版されたものです。

聖書の当時、天は何層にも分かれていると考えられ、その最下層に「諸権力」があって、世を支配していたと考えられていたようです。エフェソ書では「秘められた奥義」が「諸権力」にも知らされたとされています。

著者のベルコフは、1037年にベルリンで「諸権力」(ナチ)が空中に漂っているのを目撃したと言います。「諸権力」は現在でも起こりうるのです。エフェソ書ではそれと戦えと言います(6章12節)。

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並木浩一「ヨブ記注解」

2021年06月23日 | 愛読書

出版されたばかりの並木浩一著「ヨブ記注解」を買いました。



祈祷会でヨブ記をするので。





私はエリフの弁論が好きなのです。



書評を書いてみたいですね。

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使徒パウロの神学

2020年12月27日 | 愛読書

年末年始はこれを読もうと思っています。



なかなか重厚な本です。


第1章 パウロ神学への緒言
§1.1. なぜパウロ神学を学ぶか?
§1.2. 「パウロ神学」とは何か?
§1.3. パウロ神学は書き得るか?
§1.4. パウロ神学をいかに書くべきか?
§1.5. パウロ神学を目指して

第1部 神と人類

第2章 神
§2.1. 神という原理
§2.2. 唯一神
§2.3. 他の神々?
§2.4. 神と宇宙
§2.5. イスラエルの神
§2.6. 神を体験する
§2.7. 結論

第3章 人類
§3.1. 人類に関する前提要件
§3.2. 体(ソーマ)
§3.3. 肉(サルクス)
§3.4. 体(ソーマ)と肉(サルクス)
§3.5. 理知(ヌース)と心(カルディア)
§3.6. 魂(プシュケー)と霊(プネウマ)
§3.7. 要約

第2部 告発された人類

第4章 アダム
§4.1. 人類の暗部
§4.2. ユダヤ教聖典におけるアダム
§4.3. ユダヤ教伝統におけるアダム(第二神殿期以降)
§4.4. パウロ神学におけるアダム(1)(ロマ1.18–32)
§4.5. パウロ神学におけるアダム(2)(ロマ3.23)
§4.6. パウロ神学におけるアダム(3)(ロマ5.12–21)
§4.7. パウロ神学におけるアダム(4)(ロマ7.7–13)
§4.8. パウロ神学におけるアダム(5)(ロマ8.19–22)
§4.9. 要約

第5章 罪と死
§5.1. 悪の力
§5.2. 天の諸力
§5.3. 罪
§5.4. 罪の影響(1)──宗教の倒錯
§5.5. 罪の影響(2)──放縦
§5.6. 罪の影響(3)──諸罪過
§5.7. 死
§5.8. 要約

第6章 律法
§6.1. 罪、死、律法
§6.2. トーラー、ノモス、そのノモス
§6.3. 神の要求と裁きの基準
§6.4. 律法の下のイスラエル
§6.5. 過去を生きる者の関係性
§6.6. 命に通ずる律法、死に通ずる律法
§6.7. 律法は罪か?
§6.8. 結論

第3部 イエス・キリストの福音

第7章 福音
§7.1. 福音
§7.2. 「聖典(Scriptures)にしたがって」
§7.3. 使信的あるいは告白的な定型句
§7.4. イエス・キリストの啓示
§7.5. 終末的「現在」

第8章 人としてのイエス
§8.1. パウロは生前のイエスに関心があったか?
§8.2. いくつかの前提事項
§8.3. パウロ書簡群に共鳴するイエス伝承
§8.4. イエス
§8.5. メシア
§8.6. アダム
§8.7. 受肉した子?
§8.8. 結論

第9章 十字架のキリスト
§9.1. 死んだ者として
§9.2. 罪の犠牲
§9.3. パウロの贖罪神学
§9.4. 愛する子
§9.5. 律法の呪い
§9.6. 贖い
§9.7. 和解
§9.8. 諸力に対する勝利
§9.9. 結論

第10章 復活の主
§10.1. 十字架と復活
§10.2. 最後のアダム
§10.3. 力ある神の子
§10.4. 主
§10.5. 神としてのイエス?
§10.6. 命を与える御霊
§10.7. 結論

第11章 知恵としてのキリストと先在性
§11.1. 神の知恵
§11.2. 知恵としてのイエス
§11.3. 知恵に関するその他の箇所
§11.4. フィリ2章6–11節
§11.5. アダムの先在性に関する他の箇所
§11.6. 結論

第12章 再臨の待望
§12.1. キリストの再臨(パルーシア)
§12.2. テサロニケ2書における再臨の希望
§12.3. 後期パウロ書簡におけるキリストと終末
§12.4. 来訪(パルーシア)の遅延
§12.5. 結論

第4部 救いの開始

第13章 転換点
§13.1. 新たな時代
§13.2. 出来事としての恵み(カリス)
§13.3. 新たな始まり
§13.4. 救いのメタファ

第14章 信仰による義認
§14.1. パウロに関する新たな視点
§14.2. 神の義
§14.3. パウロの改宗がもたらした影響
§14.4. ユダヤ教における律法の行い
§14.5. 行いによらず
§14.6. 義の自己獲得?
§14.7. 信仰のみによって
§14.8. キリストへの信仰
§14.9. 義認の祝福

第15章 キリストへの参与
§15.1. キリスト神秘主義
§15.2. 「キリストの内に(あって)」、「主の内に(あって)」
§15.3. 「キリストと共に」
§15.4. その他の表現
§15.5. 集合体としてのキリスト
§15.6. キリストへの参与がもたらす結果

第16章 賜物としての御霊
§16.1. 第3の要素
§16.2. 終末的な御霊
§16.3. 御霊を受ける
§16.4. 御霊を体験する
§16.5. 御霊の祝福
§16.6. 結論

第17章 バプテスマ
§17.1. 伝統的理解
§17.2. 釈義上の問題
§17.3. 救いの順序(Ordo Salutis)?
§17.4. 幼児洗礼

第5部 救いのプロセス

第18章 終末的緊張
§18.1. 時代の重なり
§18.2. すでに/いまだ
§18.3. 分断された「私」
§18.4. 肉と御霊
§18.5. キリストの苦しみを分かち合う
§18.6. 救いのプロセスの完成
§18.7. 結論と推論

第19章 イスラエル
§19.1. 序(1):神の言葉は倒潰したか?(ロマ9.1–5)
§19.2. 序(2):イスラエルとは誰か?(ロマ9.6)
§19.3. 第1段階:イスラエルの選びとは何か?(ロマ9.7–29)
§19.4. 第2段階:召命を見誤るイスラエル(ロマ9.30–10.21)
§19.5. 第3段階(1):見捨てられないイスラエル(ロマ11.1–24)
§19.6. 第3段階(2):全イスラエルの救い(ロマ11.25–36)
§19.7. 終着地(ロマ15.7–13)
§19.8. 結論

第6部 教会

第20章 キリストの体
§20.1. 集団アイデンティティの再定義
§20.2. 神の教会
§20.3. 非儀礼的な共同体
§20.4. キリストの体
§20.5. 賜物を授けられた(カリスマ的)共同体
§20.6. 御霊の共通体験
§20.7. 多様性と一致のヴィジョン

第21章 職務と権威
§21.1. 賜物と職制
§21.2. パウロの使徒としての権威
§21.3. 他の職務
§21.4. 女性の職務と権威
§21.5. 会衆の権威
§21.6. 霊を見分ける
§21.7. 結論

第22章 主の晩餐
§22.1. パウロによる「主の晩餐」の神学の難解さ
§22.2. 他宗教からの影響
§22.3. 聖餐の起源
§22.4. コリント教会の状況
§22.5. 主の晩餐に関するパウロの神学1──霊的食物
§22.6. 主の晩餐に関するパウロの神学2──1つの体の分かち合い
§22.7. 主の晩餐に関するパウロの神学3──キリスト論

第7部 キリスト者の生き様

第23章 動機となる原則
§23.1. 叙実法と命令法(indicative and imperative)
§23.2. 再び律法
§23.3. 信仰と「信仰の律法」
§23.4. 御霊と「御霊の律法」
§23.5. キリストと「キリストの律法」
§23.6. 自由と愛
§23.7. 伝統的な知恵
§23.8. 結論

第24章 倫理の実践
§24.1. 社会的文脈
§24.2. 敵対的社会に生きる(ロマ12.9–13.14)
§24.3. 意見の根本的な不一致との共存(ロマ14.1–15.6)
§24.4. 2つの世界を生きる〔Ⅰ〕──性的行為(Ⅰコリ5–6章)
§24.5. 2つの世界を生きる〔Ⅱ〕──結婚と離婚(Ⅰコリ7章)
§24.6. 2つの世界を生きる〔Ⅲ〕──奴隷制(Ⅰコリ7.20–23)
§24.7. 2つの世界を生きる〔Ⅳ〕──社会的関係性(Ⅰコリ8–10章)
§24.8. 募金活動
§24.9. 結論
エピローグ

第25章 パウロ神学への結語
§25.1. 対話としてのパウロ神学
§25.2. パウロ神学の安定した基盤
§25.3. パウロ神学の支点
§25.4. 中心と発展
§25.5. 革新的で永続的な要素

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