「市民社会」なき中国でコンセンサスは得られまい
出張でよく香港を訪れる。仕事が終わり東京に戻る飛行機に搭乗する前に、時間があれば空港の中にある本屋に必ず立ち寄るのが楽しみの1つだ。極めて狭く小さい土地という意味の『弾丸の地』と言われる香港で、数百人が同時に飲茶できる大型レストランは珍しくないが、本屋を探すのは至難の業である。
10年前、石を投げれば本屋に当たるほど書店が沢山あった東京で長く生活していた私は、香港に駐在した当初、香港人がいかに本を読まないかと憤慨したことがある。しかし、空港は違う。売り場面積の広さはともかく、本屋(正確にいえば、本が置いてある店舗)の数は「本屋王国」の成田空港や羽田空港より多いような気がする。
乗降客数が世界有数の香港空港では、時計やバッグなど世界のブランド品を扱う免税店やお土産店が林立し、テナント料は恐らく安くないはずだが、なぜ、儲けの少ないと思われる本屋が意外に多いのか。香港人の鋭い金銭感覚から不思議に思わざるを得なかった。
「大陸禁書」は誰が購入しているのか
香港空港の利用回数が増えるにつれ、その謎がだんだん解けてきた。よく観察してみると、本屋は免税店に負けない賑わいをみせている。その人気の秘訣は陳列されている本の中身にある。
洋書や村上春樹の最新作の中国語版などが置いてあるものの、中国関連、とりわけ政治関連のものが圧倒的に多い。これが空港にある本屋の共通点である。最近、立ち寄った本屋の店頭に陳列されていたのは、胡錦濤総書記の後継者と有力視されている習近平氏の伝記のほか、政府幹部の汚職や腐敗に関する告発本、ノーベル平和賞の受賞者である劉暁波氏の著作など、いずれも話題性の高い内容ばかりだった。
また、本の帯に印刷されている「大陸禁書」という文字がやたらと目につく。中国大陸では販売禁止という意味である。しかし、このような内容の雑誌や書籍も、香港では堂々と販売されている。
一方、香港に約6年間駐在した際、周りの香港人スタッフに聞いてみると、「大陸禁書」に興味を示す者がほとんどいなかった。1997年7月に香港が中国に返還されて以来、中国への関心が政治から経済へと変わったのが主因だが、「禁書」のほとんどは中国人が中国人のために書いたもので、香港はただその出版の機会と場を提供したにすぎないと見られていたためでもある。
だとすると、「大陸禁書」は誰が購入しているのか。販売統計を見たわけではないが、香港空港の本屋で立ち寄るお客さんの雰囲気からみれば、大抵見当が付く。中国人(大陸客)が「大陸禁書」の最大の購買層ではないかと推測できる。
近年、規制が大幅に緩和された結果、ビジネスや観光などの目的で香港を訪れる中国人が急増し、2010年、その数は延べ2268万人に達し、中国人の海外旅行総数(5740万人)の半分近くを占めるに至った。ブランド品や粉ミルクなどを買い漁る一方、知的好奇心を満たすため、「大陸禁書」を購入する訪問客も増えているとみられる。
こういった需要があるからこそ、空港にあれだけの本屋ができたわけだ。昔も今も香港人の商魂は衰えを見せていない。
どのような基準で「禁書」かどうかを定めるかは分からないが、「禁書」だと指定される書籍を香港から中国に持ち込んだら、中国税関の規定に抵触する。見つかれば、もちろんペナルティを課せられる。「天安門事件」で失脚した趙紫陽元共産党総書記の談話集「改革歴程」が出版された時、香港の新聞は、中国側がこの本を持ち込んだら厳しい処罰を辞さない警戒態勢を敷いたと伝えた。
不正告発や政策批判の取り締まりは案外緩い
当時、上海駐在中だった筆者は出張で香港へ行った際、この本を購入してホテルで読み終えたが、上海には持ち帰らず、わざわざ香港オフィスに残した。しかし、筆者のような小心者が果たしてどれくらいいるのか。香港などから上海の浦東空港に到着した際、荷物検査を1度も受けたことがない。
余談だが、成田や羽田空港の税関検査が中国以上に厳しく、とりわけ、成田空港に入る前、リムジンバスの中、あるいは駅の出口でパスポートチェックを受けるのは、日本くらいだと思う。
毎年、数千万人の中国人が空路、陸路、水路で香港を出入りし、香港人も延べ約8000万人(1人あたり年平均10回くらい)規模で中国へ行っているという現状から考えると、水際で「禁書」の流入を防ぐのは難しい。後日、上海で海賊版の本を販売するリヤカーの露天商から前出の趙紫陽氏の本を薦められ、その限界を改めて感じた。
体制批判などの「大陸禁書」はどれくらい中国国内で出回っているのか。推測の域を出ないが、最近、台湾を訪問する大陸の地方政府関係者や観光客なども急増していることから、「一つの中国」とはいえ、北京と香港、台北の違いを肌で感じ、その結果、書物を持ち込む中国人が増えているのは事実だ。
インターネットもそうだ。確かに海外へのアクセスを厳しく規制する“万里の長城”が築かれているが、「長城」を乗り越える対策が絶えず民間で生み出されているのは公然の事実だ。また、「長城」に囲まれている中国国内のインターネットをのぞいてみると、確かに共産党や政府を攻撃する過激な言論や集会の呼び掛けが徹底的に封じ込まれているが、不正告発や政策批判などに対する取り締まりは意外に杜撰(ずさん)である。
「80後」「90後」にとっての民主化とは
例えば、世界的な権威として知られるイギリスの経済紙の中国語版サイトは、中国の中では明らかに「異質な」存在である。記事を論評するネットの掲示板をみると、「こんな記事の掲載がよく許された」と驚く声が少なくない。恐らく、政府内部ではこのような建設的な批判を必要としているのではないかと考えられる。
香港の報道によると、1989年の初夏に「天安門事件」が起きた際、その真相を中国国内の人々に知らせるため、海外から大量の報道記事や写真がファックスで中国に送り込まれたという。報道規制は昔も今も変わらないが、今の中国人、少なくエリート層はわれわれの想像以上に海外のこと、あるいは海外のメディアが中国をどう報道しているのかをよく知っている。
実際問題として、汚職や腐敗の蔓延、所得格差の拡大など、反政府運動につながる火種は少なくない。しかし、反政府運動の行き着く先ははたして民主化の実現なのだろうか。おそらく中国ではコンセンサスが形成されていないのではないかと考えられる。
その1つの原因は、良いか悪いかは別として、地域格差、戸籍に起因する身分格差などの拡大に伴い、今の中国社会はばらばらで、いわゆる市民社会という概念が定着していないことだと考えられる。また、ここ数年、先進国の景気低迷を背景に自由民主主義に対する中国人の憧れが色褪せてきたことも一因だと見られる。
最近、若者の間でナショナリズムが急速に広がっているのはその現れであろう。「80後」あるいは「90後」と呼ばれる若い世代は、生まれてから中国が既に高成長のど真ん中で、モノや情報にも恵まれている。これは、1988年に来日し、新宿の高層ビルを仰ぎ見て、大いに感動した筆者の時代とは雲泥の差である。彼らが求めている民主化は果たして欧米流の民主化と同義語かどうかは疑問である。
高成長だけで満足するのは難しく
中東革命が広がりを見せる中、「次は中国」という懸念の声が出てくるのは不思議ではない。週末になると、主要大都市で民主化を求める「ジャスミン革命」集会の開催を防ぐため、当局は神経を尖らせている。
中国が変わらなければならないのは誰でも分かっている。しかし、どう変わるのか、どのような方向へ向かうべきか、中国の指導者たちですらそのようなグランドデザインを持っていない。ただ、次第に明らかになってきたのは、高成長だけでは国民を満足させることが難しくなってきたことである。
温家宝首相が「第12次5カ年計画」(2011~15年)の経済成長率の目標を前回の7.5%から7%へ引き下げたことは単に「量から質へ」の転換という経済的な狙いだけではない。1000万軒の低所得者向け住宅の建設を、達成しなければならない「硬い任務」だという李克強副総理の号令も、平等を重視する今後の政策の方向性を示唆しているかもしれない。
80年代、中国が経済改革を始めた際、?小平氏は「川底の石を探りながら川を渡ろう」という表現をよく使った。しかし、川を渡るどころか、中国はグローバル経済という荒海の中に飛び込んでしまった。今後、政治改革についてもおそらく同じような展開になるのではないだろうか。
1997年7月1日、香港が中国に返還されてから50年間、従来の資本主義制度を変えないというのは、?小平氏の約束である。2046年7月、「一国二制度」が終了したら、香港が中国になるのか、それとも中国が香港になるのか、それまでに答えが見えてくるだろう。その変化を観察する1つの方法として、私は香港空港の本屋の定点観測を続けるつもりだ。