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中国のタブー「天安門事件」亡命者を追ったドキュメンタリー映画『亡命』の監督に独占取材!

2011年05月28日 08時48分21秒 | 国際情勢、安全保障
見えない報道規制を張る日本は中国と同じ! 中国のタブー「天安門事件」亡命者を追ったドキュメンタリー映画『亡命』の監督に独占取材! 
ドキュメンタリー映画『亡命』(監 督:翰 光)公式サイト:予告編
 
 
[シネマトゥデイ映画ニュース] 
 
中国大陸から国外に亡命した亡命者たちの思想を伝えるために製作された映画『亡命』の監督がインタビューに応じ、中国公安からも監視されている本作への想いを語った。
 
 1989年に起こった「天安門事件」を知っている人はどのくらいいるだろうか? 熱心な改革派として知られていた中国共産党の胡耀邦元総書記の追悼デモは、民主化を要求する大衆運動に発展し、自由を求めた北京市中心部の天安門広場には多くの学生を始めとする一般人が集結した。学生のほとんどが、ハンガーストライキを実行したが、政府は1週間以上もそれを完全無視した挙げ句、その後6月4日未明に軍を投入。丸腰で、無抵抗の市民を戦車で轢き殺し、銃殺して鎮圧した。この事実は、中国政府の報道規制で今でも中国ではタブー視されている。
 
 天安門事件が発生した1989年、日本に留学中だったという翰光監督は「自由を求めた若者たちが天安門広場に集結して、世界中のメディアも注目していた。中国が変わるときがきたのだ! と、とても興奮していたんです。でも、中国の政府は人とは思えない非道なやり方でデモを鎮圧した。多くの若者が命を落としたことを知り、本当にショックを受けました」と、当時の心境を振り返った。そして、いまから3年前、監督はそのとき政府と闘った多くの表現者や知識人たちが、海外へと亡命していたことを知り、彼らの思想を伝えるべく、本作を撮る決意をしたという。
 
 作中には、天安門事件当時、新聞を発行した罪で指名手配を受け、ワシントンに亡命後牧師となった者、アメリカで活動を続ける活動家、これまで6回に渡って投獄されアメリカに亡命した作家、と多くの知識人が登場する。天安門民主化運動の学生リーダーの王丹は、「政府が銃を持って、学生運動に幕を引くとは思わなかった。彼らがしたことは畜生と一緒だ」とインタビューで、当時の失望を振り返った。
 
現在も「天安門事件」は、国内で口にすることすらタブーとされている中国政府だが、いまの日本の政府にも似ているところがある、と監督は言及した。「毎週末、原発に対するデモが行われているというのに、どこもこのデモを大きく報道しない。目に見えない言論統制を感じます」。長い間原発に反対してきた学者は異端者扱いで無視され、電力会社の恩恵を受けているテレビ局では反原発・脱原発を訴える知識人を出演させない。報道の自由があるはずの民主主義国家・日本が、社会主義国家の中国と同じような報道規制を推し進めている、そんな印象を受けている国民は少なくないだろう。
 
そんななか、最近、日本ではそんな政府への疑問を感じている若者がネットを通じて自分たちで事実を追求し、自分たちの意見を主張するようになった。彼らには、ぜひこの映画を観て、自由を求めて立ち上がった若者たちの姿を見てほしい欲しいと訴える。「今だからこそ、日本には異端が必要だと思います。天安門事件が起こったとき、戦車の前に立ちはだかった“無名の反逆者”と呼ばれた若者がいたんです。日本の若者たちもこの映画から何かを感じてもらいたい。妥協しない信念を持って生きていってほしいと思います」。
 
 監督自身、この映画を撮ったことで中国の公安からすでに目をつけられているという。「わたしは亡命してきたわけではないのですが、この映画を撮ったことで、たぶん、もう中国に帰ることはできないと思います。でも、何度投獄されても自分の信念を曲げない人たちのことを思えば、自分なんて大したことがないと思うんです」と監督は語った。この映画は、監督を含め、自分たちの信念を持ち、国家に敢然と立ち向かったひとびとの物語だ。
 
(取材・文:編集部:森田真帆)
 映画『亡命』は、21日よりシアター・イメージフォーラムにて公開

チリ最南部のパタゴニア地方 ダム建設を承認 5700ヘクタール水没に揺れる

2011年05月17日 00時31分06秒 | 国際情勢、安全保障
パタゴニア
 
2011.5.16  産経ニュース
  
■シーン1
 
  南米チリ最南部のパタゴニアは、森、湖、氷河など世界で指折りの雄大な自然が広がる。トレッキングなどに海外から訪れるアウトドア好きの観光客も多い。そのパタゴニア北部にあるアイセン地方で、水力発電のために大規模なダム建設が進む見通しになった。
 
 共同通信によると、南米チリ政府の環境評価委員会は5月9日、パタゴニアの2つの川で、2020年ごろまでに、5カ所のダムを建設し、水力発電を行う計画を承認した。計画では、約5700ヘクタールにわたる広大な土地が水没、都市部までの長い送電線も設置される。
 
 パタゴニアは、20世紀以降、冒険旅行の対象となる未知の土地が地球上からほとんどなくなるなか、世界各地から流れ着き、大自然の中で牧畜をしながら暮らす移民たちの姿とともに、最果てをイメージさせる地域だ。英国の紀行作家ブルース・チャトウィン(1940~89年)の代表作「パタゴニア」や、アウトドアブランド「パタゴニア」と「ザ・ノース・フェース」の創業者たちの旅を追った映画「180°SOUTH」(2009年)では、“人生を変えた旅”の舞台として描かれ、世界の作家や知識人たちに刺激を与えてきた。
 
ダム建設計画は06年に浮上し、環境評価委員会は数年間にわたり環境影響評価を実施してきたという。最果ての土地にも変化の波が押し寄せている。
 
■シーン2 複雑な住民「こんなすてきな所なのに」
 
 国民の生活水準も上がってエネルギー資源開発の需要が増加するチリ。AP通信によると、専門家らは「これから15年間のうちに国内のエネルギー資源の供給量を、現在の3倍まで伸ばす必要がある」と指摘する。
 
 だが、チリは国内で消費する石油の97%を輸入に頼るなどエネルギー資源が乏しい。また、地震が多い国柄から原子力発電所の建設は避けている。そこで、エネルギー確保のために政府が推進しているのが、豊富な水力資源を生かした水力発電向けのダム建設だ。
 
 チリ政府の環境評価委員会が5月9日に承認したパタゴニア北部のダム建設計画が実現すれば、人口の多いチリ中部で現在必要とされている電力量の3倍が供給可能になるという。
 
■「環境破壊」1000人が抗議
 
 だが、大規模なダム建設計画には、環境破壊を理由に反対する動きがチリの国内外に出ている。環境評価委員会が開かれたアイセン地方では9日、反対派活動家ら約1000人が委員の乗用車に投石するなどの抗議を行い、警察が催涙ガスや放水で対抗する騒ぎになった。
 
 パタゴニアで毎年、カヤック遊びを楽しむという環境保護に詳しい米国の弁護士、ロバート・ケネディさんは「パタゴニアくらいすばらしい場所はない。地球上で最も美しい場所だ」とダム計画の中止を求めている。
 
 こうした反対論に対し、環境評価委員会の関係者は「チリは約250万人の貧困層を抱えており、まだまだ豊かな国とはいえない。だからこそ、われわれは自国でできる資源開発に乗り出す必要性がある」と指摘。「経済的に豊かな国が『汚れのない無人の自然を破壊するなんてひどい』と言うのは、極めて身勝手だ」と話した。
 
一方、ダム建設の影響を受ける住民たちの表情は複雑だ。計画によると、5700ヘクタールの土地がダムの水底に沈み、主に牧畜で生計を立ててきた36世帯が移転を迫られる。
 水没予定地で500ヘクタールの広大な牧場を経営し、夫と小さな子供2人と暮らすエリザベス・シンドルさんは「(ダム計画は)すべて裏切りだ」と、移転を拒んでいる。
 「こんなすてきなところはないわ」。シンドルさんは寂しそうに話した。
 
(EX編集部/撮影:AP/SANKEI EXPRESS

中東と欧州:悪しき隣人と付き合う!

2011年03月09日 10時48分11秒 | 国際情勢、安全保障
2011.03.08(Tue)  The Economist
 
 欧州は中東で数十年間続けてきた恥ずべき現実政治(realpolitik)を忘れようとしている。
通りの向かいに厄介な隣人が住んでいると想像してみてほしい。あなたは彼らと親しくなり、地元の自警団にも入ってもらい、さらにはちょっとした物をあげたりもらったりする間柄になった。
 ある日突然、彼らは犯罪者だったり、地下室に女性を監禁している卑劣漢だったりすることが白日の下にさらされた。あなたはそんな隣人と友人になったことに罪悪感を覚えるだろうか? 犯罪の兆候を見逃したことに良心の呵責を感じるだろうか? 
 それとも映画「カサブランカ」のルノー署長のように、「ショックだ、ここで賭博をやっていたなんて!」と、白々しく怒ったふりをするのだろうか?

実益を優先した外交

 地中海の対岸の友人たちが、長い間圧政に堪え忍んできた国民によって倒されるのを目にして、欧州の首脳たちはまさにこうした感情を抱いている。
 確かに欧州に隣人を選ぶ余地はほとんどなかった。隣人との良好な関係は生きるために不可欠だった。とりわけ、石油や天然ガスの産出国や、テロリストや不法移民の防波堤になってくれる国に関しては、ほかに道はなかった。
 
しかし欧州の一部の国の行動は、今となっては実に臆病だったように思える。
 英国のゴードン・ブラウン首相(当時)が1988年のパンナム機爆破事件(ロッカビー事件)の犯人でスコットランドで終身刑に服していたアブデルバセット・メグラヒ受刑者を釈放した際、その真の意図を隠そうとしたことを覚えているだろうか? 
 あるいは、イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ首相がムアマル・カダフィ大佐の手にキスした時のことは? リビアの石油資源の分け前に与ろうと、ほかにも多くの者が恥ずべき行為に出た。
 そのうえ、リビアのオイルマネーは、サッカーチームのユベントスやロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)など、欧州全土の企業や団体に流れ込んでいる。
 
欧州の指導者たちは今、長年の現実政治と縁を切り、逆にアラブ諸国の街頭デモの叫びを我が物にしようとしている。このような歪曲は、その国が北アフリカに近ければ近いほど芝居がかってくる。
 リビアへの制裁を最初に唱えたのはフィンランドで、最後まで賛成を渋ったのはキプロスとマルタだった。ある欧州の外交官は「海を越えて海岸に上陸してくる移民から遠ければ遠いほど、道徳的に純粋でいられる」と指摘する。

距離が遠いほど道徳的に純粋でいられる

 欧州主要国のうち、独裁者追放を最も強く支持したのはアンゲラ・メルケル首相率いるドイツだった。
 フランスはチュニジアに関して失態を犯したが、リビアでの民衆蜂起をきっかけに軌道修正した。ニコラ・サルコジ大統領は、不運なミシェル・アリヨマリ外相を更迭*1し、フランスをリビア制裁推進派の先頭に立たせ、解放されたベンガジの街に援助物資を満載した航空機を直接派遣しさえした。
 サルコジ大統領は、フランスはアラブ世界の変革を恐れるべきではないとし、歴史上初めて、民主主義の理想が「地中海沿岸全域で勝利を収めるかもしれない」と述べた。
 
イタリアのベルルスコーニ首相は、最も難しい立場に置かれたようだ。同首相は浅はかにもエジプトのホスニ・ムバラク前大統領を「大変賢明な人物」と称えたが、結局そのムバラク氏は政権を追われた。
 さらにリビア危機の初期には、リビアでの騒乱に関連して、友人であるカダフィ大佐を「あえて邪魔しようとは思わない」とする不用意な発言もあった。
 その1週間後、ベルルスコーニ首相は「大量殺戮を止め、リビアの国民を支持する」時が来たと述べ、カダフィ大佐を切り捨てなければならなくなった。
 英国のデビッド・キャメロン首相は例外かもしれない。英国は長い間アラブ世界と緊密な関係を保ってきた。しかし、カダフィ大佐が大量破壊兵器の廃棄とテロの放棄、対アルカイダ作戦への支援を約束したことと引き換えに、トニー・ブレア首相(当時)がカダフィ大佐の国際社会への復帰に力を貸した際には、キャメロン現首相は野党側にいた。
 
また、キャメロン首相は2月には外国の首脳として初めて、エジプトのタハリール広場を訪れている。
 だが、湾岸諸国訪問の際に軍需産業の企業幹部を伴ったことは、嘲笑の対象となった。例えば英国の風刺雑誌「プライベート・アイ」は、キャメロン首相が催涙ガスと装甲車の半額セールを提案し、中東の王族から、おまけに君の妻をつけてくれないかと言い返されるという架空のやりとりを表紙に掲載した。

現実主義から理想主義への転向

 現実主義から理想主義への欧州の転向は、全面的に信用できるとは言えない。実際、国連安全保障理事会は、国家主権を理由に拒否権をしばしば行使する中国やロシアのような常任理事国を含めて、欧州連合(EU)よりも迅速にリビアへの制裁措置に動いた。
 米国では300億ドル相当の資産が凍結されたが、欧州ではそのような規模の凍結は可能性が低い。EUの法律専門家は、EUの資産凍結対象者リストに載った26人の個人資産をリビアの国家資産と区別するという気の遠くなるような作業に着手している。11日に予定されている緊急首脳会議で、EUは多くの点で見直しを迫られるだろう。
 欧州委員会「近隣」政策担当のシュテファン・フィーレ委員は、「欧州はこの地域での人権擁護や現地の民主化勢力の支援について十分に意見を主張してこなかった」と認めている。
 一部の欧州官僚は大胆にも、EUのソフトパワーがアラブの政治体制を軟化させたと主張している。EU主導の通信改革がツイッターやフェイスブックの革命を推進したというのである。
 より説得力のある結論は、何かで釣ったりカネを渡したりして民主化を促進する作戦は失敗したというものだろう。それでも、南欧のEU加盟国がさらなる北アフリカ支援を求めるのを止めることはできない。
 
ドイツは改革と緊密に結びつく支援を望んでいる。欧州の中東対応には「多くには多くを」という考え方が導入されるかもしれない。改革を進めれば進めるほど、それと交換に援助と貿易も増やすということだ。しかし、南欧諸国はアラブの生産者と自国の農家や繊維産業が競合する事態を許すだろうか?
 
石油と天然ガスの供給が大きく滞る可能性が出てきたため、EU全域にわたる単一のエネルギー市場と電力網を開発する必要が高まっている。不法移民を押しとどめる独裁者がいなくなったことで、移民政策の見直しも必要となるだろう。
 地中海沿岸の欧州諸国はEUに、これから起こり得る移民流入への対応支援を求めているが、これらの国々は恥知らずにも、難民危機の矢面に立つチュニジアやエジプトの支援に及び腰だ。

石油・自由交換計画

 当面の最も緊急の課題は、カダフィ大佐の退陣をどうやって速めるかだ。リビア上空に飛行禁止区域を設けるかどうかにかかわらず、欧州首脳はリビア国民の自活に向けた支援策を検討しなければならない。では、リビア東部の開放地域を強化し、カダフィ大佐陣営を弱体化させるには、どうすればよいのだろうか?
 ベンガジに直接援助物資を送り込んだフランスは、良いアイデアを提案した。欧州は暫定的な自由政府の設立に貢献できる。まず、東部からの石油輸出を再開させ、その代金を国際エスクロー口座に支払い、そのカネで人道支援物資を買うという方法はどうだろうか。
 この方式はかつて、イラクへの禁輸措置実施の際に悪名を馳せた。しかしリビアでは、これは制裁の一形態ではなく、経済援助の手段となる。イラクの時のような石油・食料交換計画ではなく、石油・自由交換計画だ。

香港の本屋で占う「民主化革命の行方」

2011年03月09日 10時38分14秒 | 国際情勢、安全保障

「市民社会」なき中国でコンセンサスは得られまい

2011年3月8日(火)肖敏捷
 
 出張でよく香港を訪れる。仕事が終わり東京に戻る飛行機に搭乗する前に、時間があれば空港の中にある本屋に必ず立ち寄るのが楽しみの1つだ。極めて狭く小さい土地という意味の『弾丸の地』と言われる香港で、数百人が同時に飲茶できる大型レストランは珍しくないが、本屋を探すのは至難の業である。
 10年前、石を投げれば本屋に当たるほど書店が沢山あった東京で長く生活していた私は、香港に駐在した当初、香港人がいかに本を読まないかと憤慨したことがある。しかし、空港は違う。売り場面積の広さはともかく、本屋(正確にいえば、本が置いてある店舗)の数は「本屋王国」の成田空港や羽田空港より多いような気がする。
 乗降客数が世界有数の香港空港では、時計やバッグなど世界のブランド品を扱う免税店やお土産店が林立し、テナント料は恐らく安くないはずだが、なぜ、儲けの少ないと思われる本屋が意外に多いのか。香港人の鋭い金銭感覚から不思議に思わざるを得なかった。

 

「大陸禁書」は誰が購入しているのか

 香港空港の利用回数が増えるにつれ、その謎がだんだん解けてきた。よく観察してみると、本屋は免税店に負けない賑わいをみせている。その人気の秘訣は陳列されている本の中身にある。
 洋書や村上春樹の最新作の中国語版などが置いてあるものの、中国関連、とりわけ政治関連のものが圧倒的に多い。これが空港にある本屋の共通点である。最近、立ち寄った本屋の店頭に陳列されていたのは、胡錦濤総書記の後継者と有力視されている習近平氏の伝記のほか、政府幹部の汚職や腐敗に関する告発本、ノーベル平和賞の受賞者である劉暁波氏の著作など、いずれも話題性の高い内容ばかりだった。
 また、本の帯に印刷されている「大陸禁書」という文字がやたらと目につく。中国大陸では販売禁止という意味である。しかし、このような内容の雑誌や書籍も、香港では堂々と販売されている。
 一方、香港に約6年間駐在した際、周りの香港人スタッフに聞いてみると、「大陸禁書」に興味を示す者がほとんどいなかった。1997年7月に香港が中国に返還されて以来、中国への関心が政治から経済へと変わったのが主因だが、「禁書」のほとんどは中国人が中国人のために書いたもので、香港はただその出版の機会と場を提供したにすぎないと見られていたためでもある。
 だとすると、「大陸禁書」は誰が購入しているのか。販売統計を見たわけではないが、香港空港の本屋で立ち寄るお客さんの雰囲気からみれば、大抵見当が付く。中国人(大陸客)が「大陸禁書」の最大の購買層ではないかと推測できる。
 近年、規制が大幅に緩和された結果、ビジネスや観光などの目的で香港を訪れる中国人が急増し、2010年、その数は延べ2268万人に達し、中国人の海外旅行総数(5740万人)の半分近くを占めるに至った。ブランド品や粉ミルクなどを買い漁る一方、知的好奇心を満たすため、「大陸禁書」を購入する訪問客も増えているとみられる。
 こういった需要があるからこそ、空港にあれだけの本屋ができたわけだ。昔も今も香港人の商魂は衰えを見せていない。
 
どのような基準で「禁書」かどうかを定めるかは分からないが、「禁書」だと指定される書籍を香港から中国に持ち込んだら、中国税関の規定に抵触する。見つかれば、もちろんペナルティを課せられる。「天安門事件」で失脚した趙紫陽元共産党総書記の談話集「改革歴程」が出版された時、香港の新聞は、中国側がこの本を持ち込んだら厳しい処罰を辞さない警戒態勢を敷いたと伝えた。

 

不正告発や政策批判の取り締まりは案外緩い

 当時、上海駐在中だった筆者は出張で香港へ行った際、この本を購入してホテルで読み終えたが、上海には持ち帰らず、わざわざ香港オフィスに残した。しかし、筆者のような小心者が果たしてどれくらいいるのか。香港などから上海の浦東空港に到着した際、荷物検査を1度も受けたことがない。
 余談だが、成田や羽田空港の税関検査が中国以上に厳しく、とりわけ、成田空港に入る前、リムジンバスの中、あるいは駅の出口でパスポートチェックを受けるのは、日本くらいだと思う。
 毎年、数千万人の中国人が空路、陸路、水路で香港を出入りし、香港人も延べ約8000万人(1人あたり年平均10回くらい)規模で中国へ行っているという現状から考えると、水際で「禁書」の流入を防ぐのは難しい。後日、上海で海賊版の本を販売するリヤカーの露天商から前出の趙紫陽氏の本を薦められ、その限界を改めて感じた。
 体制批判などの「大陸禁書」はどれくらい中国国内で出回っているのか。推測の域を出ないが、最近、台湾を訪問する大陸の地方政府関係者や観光客なども急増していることから、「一つの中国」とはいえ、北京と香港、台北の違いを肌で感じ、その結果、書物を持ち込む中国人が増えているのは事実だ。
 インターネットもそうだ。確かに海外へのアクセスを厳しく規制する“万里の長城”が築かれているが、「長城」を乗り越える対策が絶えず民間で生み出されているのは公然の事実だ。また、「長城」に囲まれている中国国内のインターネットをのぞいてみると、確かに共産党や政府を攻撃する過激な言論や集会の呼び掛けが徹底的に封じ込まれているが、不正告発や政策批判などに対する取り締まりは意外に杜撰(ずさん)である。

 

「80後」「90後」にとっての民主化とは

 例えば、世界的な権威として知られるイギリスの経済紙の中国語版サイトは、中国の中では明らかに「異質な」存在である。記事を論評するネットの掲示板をみると、「こんな記事の掲載がよく許された」と驚く声が少なくない。恐らく、政府内部ではこのような建設的な批判を必要としているのではないかと考えられる。
 香港の報道によると、1989年の初夏に「天安門事件」が起きた際、その真相を中国国内の人々に知らせるため、海外から大量の報道記事や写真がファックスで中国に送り込まれたという。報道規制は昔も今も変わらないが、今の中国人、少なくエリート層はわれわれの想像以上に海外のこと、あるいは海外のメディアが中国をどう報道しているのかをよく知っている。
 実際問題として、汚職や腐敗の蔓延、所得格差の拡大など、反政府運動につながる火種は少なくない。しかし、反政府運動の行き着く先ははたして民主化の実現なのだろうか。おそらく中国ではコンセンサスが形成されていないのではないかと考えられる。
 
その1つの原因は、良いか悪いかは別として、地域格差、戸籍に起因する身分格差などの拡大に伴い、今の中国社会はばらばらで、いわゆる市民社会という概念が定着していないことだと考えられる。また、ここ数年、先進国の景気低迷を背景に自由民主主義に対する中国人の憧れが色褪せてきたことも一因だと見られる。
 最近、若者の間でナショナリズムが急速に広がっているのはその現れであろう。「80後」あるいは「90後」と呼ばれる若い世代は、生まれてから中国が既に高成長のど真ん中で、モノや情報にも恵まれている。これは、1988年に来日し、新宿の高層ビルを仰ぎ見て、大いに感動した筆者の時代とは雲泥の差である。彼らが求めている民主化は果たして欧米流の民主化と同義語かどうかは疑問である。

 

高成長だけで満足するのは難しく

 中東革命が広がりを見せる中、「次は中国」という懸念の声が出てくるのは不思議ではない。週末になると、主要大都市で民主化を求める「ジャスミン革命」集会の開催を防ぐため、当局は神経を尖らせている。
 中国が変わらなければならないのは誰でも分かっている。しかし、どう変わるのか、どのような方向へ向かうべきか、中国の指導者たちですらそのようなグランドデザインを持っていない。ただ、次第に明らかになってきたのは、高成長だけでは国民を満足させることが難しくなってきたことである。
 温家宝首相が「第12次5カ年計画」(2011~15年)の経済成長率の目標を前回の7.5%から7%へ引き下げたことは単に「量から質へ」の転換という経済的な狙いだけではない。1000万軒の低所得者向け住宅の建設を、達成しなければならない「硬い任務」だという李克強副総理の号令も、平等を重視する今後の政策の方向性を示唆しているかもしれない。
 80年代、中国が経済改革を始めた際、?小平氏は「川底の石を探りながら川を渡ろう」という表現をよく使った。しかし、川を渡るどころか、中国はグローバル経済という荒海の中に飛び込んでしまった。今後、政治改革についてもおそらく同じような展開になるのではないだろうか。
 1997年7月1日、香港が中国に返還されてから50年間、従来の資本主義制度を変えないというのは、?小平氏の約束である。2046年7月、「一国二制度」が終了したら、香港が中国になるのか、それとも中国が香港になるのか、それまでに答えが見えてくるだろう。その変化を観察する1つの方法として、私は香港空港の本屋の定点観測を続けるつもりだ。

迷惑千万!中国人コーディネーターにご用心!

2011年03月08日 22時57分22秒 | 国際情勢、安全保障

日本企業は自前で中国語人材の育成を

2011.03.08(Tue)  JBプレス 姫田小夏
 
2009年末頃から日本の中小企業の間で第4次中国進出ブームが沸き起こっている。
 少子高齢化によって、今後、日本市場の縮小は避けられない。座して死を待つよりは、と各企業は中国市場を模索している。だが、資金や人材、情報が手薄な中小・零細企業の中国進出は、手探り状態にも等しい。
 その日本勢の「素人ぶり」を察知してか、多くの中国人がビジネスに割り込んでくる。助っ人の登場は一見すると「渡りに舟」だが、多くのケースで失敗が見られる。

ビジネスをかき回す中国人コーディネーター

 日本の中小企業A社と中国企業との契約がいよいよ大詰めを迎えたある日のこと。契約の最終チェックの段階で、中国ビジネスの専門家であるB氏が依頼を受け、A社のミーティングに立ち会った。
 B氏は詳細を見て驚愕する。「よくやってるな、こんな危ない綱渡り・・・」
 契約内容はすべて中国側に有利に働くものだった。資金はすべて日本側の提供であるにもかかわらず、決定権はまるでない。B氏は「これではやられ損だ」と危惧した。にもかかわらず、案件の紹介者である中国人C氏はこうせかす。
 「この市場に関心を持つ会社は他にもある。決断は早くした方がいいですよ」
 相手の足元を見透かしたような発言である。日本側も「これを逃したら、チャンスはもうない」と焦る。特に技術畑の人間にとって魅力あるプロジェクトだけに、彼らは、白紙に戻ってやり直すという冷静さをすでに失っていた。
 別の企業ではこんなことが問題になった。
 
「私たちが進めようとしている中国ビジネスには、大きなボトルネックがあります。それは在日中国人のD氏が介在していることです」(某イベント会社の担当者E氏)
 中国市場を熟知し、なおかつ日本人の仕事のやり方も心得ている存在は心強い。上海では、在日中国人が日中ビジネスの溝を埋めている例はいくらでもある。
 しかし一方で、こうした人材に全幅の信頼を置いた結果、足をすくわれてしまったというケースも後を絶たない。
 日本人の名前を持つD氏に絶大な信頼を寄せているのは、他ならぬ社長本人だ。だが、E氏は「D氏の話には信用できない部分があり、仕事の進め方にも異論があります。けれども、社長はD氏の発言を100%鵜呑みにしてしまっているんです」と頭を抱える。
 F社も同様の問題にぶつかっている。同社の社長秘書K氏は、対中ビジネスに途中から割って入ってきた中国人G氏に辟易している。「あの人には本当に迷惑している。いや、それ以上に怒りすら感じている」と話す。
 G氏は「自分は中国の大人脈に食い込んでいる」と大風呂敷を広げてはばからない。さらには社長をおだてて持ち上げ、そして流暢な日本語で信用させることで、F社が進める中国ビジネスにぐいぐいと割り込んできた。今ではG氏の独擅場となり、決定権も掌握してしまったという。
 だが、肝心の中国ビジネスは前進するどころか、あちこちでほころびを露呈。G氏の強引さは取引先や提携先の反感を招き、F社はビジネスを存続させることすら危うくなった。
 それにもかかわらず、このG氏を排除できる知恵も、それができる人材もこの会社にはいない。「あの時、簡単にG氏を信用してしまったことを後悔しています」と社長秘書は悔しがる。

「マルチリンガル」中国人の本性

 中国ビジネス歴十数年という経験豊富な企業さえも、中国人コーディネーターに泣かされている。
 中国に拠点を持つ日本の某大手企業が、「3カ国語に堪能で、高い専門知識を持つ」中国人男性H氏を現地で採用した。同社では下にも置かぬ重用ぶりで、ちやほやと彼を持ち上げた。
 
だが、このH氏は非常にしたたかな人物だった。マルチリンガル人材には手も足も出ないという日本人の弱みを熟知していた。日本人は特に「英語が話せる人材には弱い」ことも見透かしていた。そして、「やりたい放題」が始まった。
 まず経理部が、異常な金額のおびただしい枚数の領収書に眉をひそめた。その後、別の部門でも彼のことが問題になった。あるプロジェクトでトラブルが発生し、顧客からもクレームが来るという騒ぎが起きたのだ。しかしH氏は自分の非を認めようとしない。
 「原因がH氏であることは明白です。H氏は言葉はできるが、仕事はできない。けれども、日本人駐在員はそれに気づかないどころか、H氏は優秀だと勘違いしている」と、現地の中国人スタッフは訴える。

通訳がビジネスを持っていってしまう

 こんな「悲惨」な例もある。中国人経営者のI氏は、いわゆる「中国人富裕層」の典型だ。中国に40近い不動産を所有し、ゴルフ三昧の日々。世界各地の工場で生産した商品を日本の販路に乗せるというビジネスが軌道に乗り、今はまさに左うちわの生活だ。
 だが、I氏の富は日本人から奪ったものにも等しかった。I氏を知る中国人は、筆者にこう耳打ちする。
 「もともとI氏は、日本の会社で中国語通訳として破格の待遇で雇われていたんです。I氏はその会社の経営者と一緒に中国の取引先を訪問するたびに、自分も名刺をもらっていました。そしてある時、その会社から独立し、取引先を全部奪ってしまったのです。その後ほどなくして、I氏が雇われていた日本の会社は倒産してしまったと聞きます」。恩を仇で返すこのやり方に、さすがの中国人も腹を立てる。
 また、医療ツーリズムに商機を見込んだ日本の医療コンサルティング会社J社が、中国からの視察団を案内した時のことだ。
 「中国から視察団と一緒にやって来た通訳の1人が、チャーターしたバスの運転手、旅館、訪問先などとかたっぱしから名刺交換して、2回目からウチは省かれてしまったんです」
(J社管理職)
 
J社はこんな出来事にも遭遇した。「医療ツーリズムに関心のある中国側の代表らと食事会を持ち、今後、ビジネスを一緒にやろうと握手を交わしました。ところが、彼らはなぜか名刺を1枚もくれませんでした。今から思えば、通訳がそれをさせなかったんでしょう」
 宴会の場では意気投合したものの、その後、ビジネスはまったく進展していない。ビジネスを生かすも殺すも、真ん中に立つ中国人通訳次第なのだ。
 このように、中国ビジネスは中国人通訳に牛耳られてしまうという性格が強い。
 中国人通訳の中には非常に優秀で、見事にビジネスの架け橋となってくれる人物も存在する。だが、やはり目につくのは、ビジネスそのものの成功よりも、自分の懐を潤すことしか眼中にない人間だ。
 中国語を理解しない日本人の前ならば、「白」を「黒」に、「10万元」を「100万元」にすり替えてしまうことなど、いとも簡単だ。

今こそ自前で中国語人材の育成を

 だが、日本人の側にも非がある。中国人通訳にすべて丸投げというのはいかがなものだろう。日本企業はこれまで中国ビジネスに乗り出す際に、「日本語が話せる中国人」にあまりにも依存しすぎていた。
 日本経済新聞は1月24日付の記事で、「日本製紙、中国語人材を緊急育成」と報じた。記事によれば、日本製紙グループは今後5年で50人の社員を北京、上海に留学に送り込むという。同社は「中国人通訳を雇うだけではなく、自前で日本人を中国語人材として養成していく必要がある」(広報)と考えている。
 中小企業が中国進出で陥る落とし穴はいつも同じ。真ん中に割って入る中国人コーディネーターに振り回されてしまうのである。日中ビジネスを本格的に切り開くために、今こそ「自前の中国語人材育成」が待たれる。