私の子宮内膜症・不妊治療・双子育児

20代前半から子宮内膜症になり、その後体外受精にて双子を授かった、ドタバタストーリー

早春物語読み終わりました。

2008-01-31 23:08:53 | Weblog
ウ~ン・・・映画とはずいぶん印象が違った梶川さん。素敵なおじさんとはとても言えないなぁ。この単行本は10年以上前に読んだことは確か。でも、記憶は曖昧で、ほとんど覚えてない。映画は原作に比べたら美化されていた。なので、もう一度映画の早春物語を観て良い気分になり、この件はおしまいに。私って、かなりの凝り性で、結構面倒くさい人間かも。こんな私が双子育児が出来ているのは、旦那さんのおかげかな。今日は夕方から美容院へ。夕食の段取りまでして、後は旦那さんにバトンタッチ☆

不妊治療の始まりの時のこと

2008-01-30 22:51:15 | Weblog
大きな市民病院から個人のクリニックに紹介状をもって行きました。そのクリニックの院長は「神の手」といわれるほど、他院で何年も子供が出来なかった人たちに喜びをあたえて有名でした。県外からの患者さんも多かったです。院長先生宛に紹介状を書いてもらったにもかかわらず、受付へ行ったら「院長は大変混んでおります。副院長でもよろしいですか?」と言われ、「ハイ」と言わざるを得なかった小心者の私。当時は私も医療関係で仕事をしていたので、「やっぱり有名でも個人医院か~」とがっかりしました。しぶしぶ副院長先生の診察をしばらくは受けました。その時に私のお腹の中の様子を図解でみせてもらい、ビックリしました。お腹の中が血だらけなんです。ステージ4=重度の内膜症と言われました。後日、卵管造影検査を行いました。これは痛かった!痛みに強い私も涙がでました。理由は痛みだけではなかったです。自分の哀れな格好に、この痛み(内膜症でお腹をえぐられる感じです)と恐怖・・・どうして私はこんな辛いことをしているんだろう?と悲しくなりました。私はもともと子供は好きではありませんでした。でも、こんな事を考えました。毎日仕事で疲れ、その疲れをビールで癒し、週末は遊びに徹して、連休は旅行をして、趣味の写真を撮り大事にファイリングして、好きなアーティストのCDを集め、私には大事な想い出や物がいっぱい。でも、私が死んだらこれはどうなるのかしら?当然、両親は亡くなっているだろうし、兄弟はあてにならないし・・・私が一生懸命働いて、そのお金で得た大事な宝物は誰も受け継いではくれない。なんて意味の無い人生なんだろう。と考えていました。その時「わが子」なんだ!と確信しました。私の遺伝子、大事な思い、生き方、物を素直に受け継いでくれるのは、自分が母を思うように、私たちの子供なんだと。動機が不純だったのか、あまりに痛い治療の幕開けに私は大変な所に足を踏み入れたんだな・・・と、卵管造影検査のとき、怖くなり涙が出ました。結果は内膜症による左卵管の癒着。そして第一回人口受精の準備がはじまりました。排卵誘発剤です。

早く来ないかな?早春物語

2008-01-28 23:03:04 | Weblog
早春物語の単行本は本屋さんにはなかった。どうしても読みたかったので、私の探し方が悪いのか、店員さんに聞いてみたがなかった。この店の店員さんは皆男性。しかもホストのようで、「赤川次郎の早春物語を探してるんですが・・・」と聞くのはとても恥ずかしかった。結局、今、旦那さんが古本屋book offに行って探している。きっとあるだろう。ただ、今は新品が欲しい気分だった。
 今日は地区センターに遊びに行った。そしたら近所の知り合いのママが、声を掛けてくれた。「双子ちゃん大変だよね~。ウチも今同じ歳だけど、一番大変で~」と言われ、またかぁ~って感じ。双子って言うと、「大変」って言葉が当たり前のように返ってくる。彼女には幼稚園児、二歳半、6ヶ月の三人の子供がいる。「あなたの方がよっぽど大変でしょ~」と言ってやりたかった。人は、自分より苦労してそうな人を探し満足するのかな?確かに双子は大変だけど、幼児を育てながら、二人目の子を身ごもり、つわりがあり、お腹が大きくなり・・・その方がよっぽど忍耐がいると思うな~。妊娠時から「一度に二人、ラッキー」って思ってた私、きっと双子ママはそう思った方は多いんじゃないかな?不妊治療でやっと妊娠判定がでた時は「苦労が報われた」って力が抜けた。そして、二週間後の検診で「双子ですよ!」といわれた時、「やったー!」って妊娠してから、初めて胸いっぱい嬉しかった。だから他人から「大変」って言われるのが一番嫌

早春物語を鑑賞

2008-01-27 01:36:52 | Weblog
 1985年の作品は、私の年代にはとても懐かしい。10代の頃は赤川次郎の小説を沢山読んだな~。自分が学生に戻り、素敵なおじさんに恋をした・・・原田知世になった気がした。単行本はすべて売ってしまったので、明日、早春物語を買ってこよう!ビデオの映像は素敵だが、活字で読むのは、もっと自分の世界が広がり楽しい。映画の梶川さんもかっこよかったけど、小説を読み、私が作り上げる梶川さんはどんな人なんだろう・・・?と、自分に探りを入れたくなった。今夜は良い夢を見れそうだわ

パパの育児で男の世界を!

2008-01-26 00:53:38 | Weblog
ウチは男の子二人。男の育児は旦那さんにおまかせ。休日、用事の無い日は旦那さんが二人を連れて、自分の趣味のホームセンターをめぐりマックでおやつをして帰宅。家でしーずかに一人になれる唯一の時間。二人がお昼寝中はあまり音を立てれないし、夜寝た後も、音には気を使ってしまうが、こんな時は自由にコーヒータイムをしたり、音楽を聴いたり、ワイドショーをみたり、気分が楽チン。旦那さんと帰宅する二人は、なんだか少し男っぽくなった気がする。そんな旦那さんの協力で、私と子供二人でも、あたふたせずお出掛けが出来るようになった。今日は図書館に行き、神社の名水を汲みに行き、あとはドラッグストア。ダダもこねず、淡々と着いて来てくれる。うれしいなぁ。旦那さんに育児を任せるのも、結構我慢が必要☆つい私が口出しをして、喧嘩になることも。でも、そんな繰り返しで、やはり任せてる時は私は我慢することに。ママは1~10まで子供を相手にしてしまうから、子供も甘えたり我儘を言いたい放題。でも、パパはかなり淡白な遊び相手。子供は一生懸命、パパに認められようと頑張ってる。私と子供で三人の時も「パパがびっくりするよ~」とか「パパ喜ぶね!教えてあげようね」って言うと、二人はおりこうにいっぱい頑張ってくれる。明日もパパは仕事。さぁて、明日は何をしようかな?

木曜日は体操教室の日

2008-01-24 22:37:08 | Weblog
9月から通い始め、少し場馴れしてきた二人。ここには5組の双子チャンがいるので、私も安心。どうしても双子ママとつるんでしまう。他のママたちは「双子ちゃ~ん」と声を掛けてくれるけど、その目は・・・被害妄想でしょうが「違う」という壁をつくられている感じがして、なかなか仲良くなれない。体操教室はご機嫌の日は、二人で手をつないでカケッッコしたり、組体操をしたりして、このときばかりは、「双子ってサイコー」って気分です。でも、病み上がりに行った時は最悪だった。二人でママの膝の取り合いで、泣きながら喧嘩をするし、体操もしてくれないし、辛かった。もう、二人抱っこは出来ないから、こんな時は単胎ママが楽チンにみえるな~。教室はママも体操を一緒にします。ピョンピョン跳ねたせいなのか、一週間も早く生理が来てしまいました!3月の手術は生理日以外といわれているのに、このまま二月も早く来てしまったら、手術が出来ない!!!やっと予約がとれたのに~。ホント私ってついてないわって、つくづく思う!だって、生理日を確実に避けて、9月の沖縄旅行を決めた時も、7月、8月と生理が1週間早く来て、9月の生理も早く来てくれれば旅行にあたらなかったのに、しっかり31日周期できて、旅行二日目の「さあ!プールだぞ~」って時、トイレに入ったら生理が・・・。こんな酷いことってある?生理前でイライラが酷かったし、生理がきたらボケーっとなってしまったし、勿体無い旅行だったわ~。二月の体操教室はママは跳ねるのをやめよう・・・

子宮内膜症と診断された時のこと

2008-01-24 00:18:08 | Weblog
27才のとき、ヒドイ排便痛があり、たまたまテレビで子宮内膜症の症状をやっていて、自分にあてはまったので、市民病院を受診しました。その時の先生はとっても無愛想で声も小さく聞き取るのが大変。とても混む病院だったので、淡々と診察は終わりました。診察の内容→「子宮内膜症ですね。卵巣は今3センチです。早く子供を作りなさい。とりあえず一週間分痛み止めを出しておきます」それだけでした!!当時はインターネットもやっていなかったので、自分で調べることもせず、いつの間にか排便痛は楽になってきたので、そんな事も忘れてしまい1年がたちました。そして・・・次の激痛が・・・生理でもないのにお腹に激痛が。夜中に眠れず転げ周り、救急車を呼ぼうかと思ったくらいの激痛!そしてまた市民病院へ。またまたその嫌な先生にあたってしまいガックリ。先生「どうしたんですか?」 私「子宮内膜症の痛みが酷くて」 先生「どうして内膜症だと自分でいえるんですか?」 私「以前、先生に診断されました。」 先生は負けた顔をして黙ってしまいました。結婚して4年、子供が出来なかったので、そのまま不妊科にまわされました。MRIをとり、卵巣は5センチになってました。仕事をしていたので、平日午前中に市民病院に頻繁には通えないので、個人の病院を紹介してもらいました。個人のクリニックでは、子宮内膜症について、図解で説明していただき、自分のお腹の中の状態に初めて驚きと後悔を感じました。もし、あの時、最初に市民病院にかかった時、こんな風にきちんと説明されていたら、私のお腹はここまではなっていなかったかも・・・そして今もその症状に悩んでいる私。このお腹を綺麗に元にもどすなんて出来ないんです。ホントに悔しいです。そして、辛い、主人と二人きりの、ほぼ一人ぼっちの不妊治療が始まりました。

未就学児の集まるセンターに遊びに行きました

2008-01-21 22:56:20 | Weblog
毎週月曜日は、近くの地区センターでボランティアの人達が運営する子供の集まりに行ってます。ウチの二人は、人見知りが結構あります。多分、お出掛けをあまりしなっかたせいかな。家族揃ってではあちこちいってます。沖縄は毎年・GWは毎年伊豆、日帰り旅行も沢山いってますが、平日私一人では、なかなか出かけられません。言い訳かもしれませんが、お出掛けまでに、二人を言い聞かせ、オムツをかえ、服を着替えさせ・・・とやっていると、あっという間に1時間くらいたってしまいます。そんなに!!って思うでしょうが、二人いるというのは、1+1ではないんです。一人のオムツを替えているあいだに、もう一人が何かに怒ってわめきだしたりして、一人に集中して一人を完璧に仕上げるなんてできないです。出かける頃には、私がクタクタに。懐かしいのは、まだベビーカーでお散歩をしている頃です。一人をベビーカーにいれ、ベルトをして、毛布を掛け・・・さて次は・・・と。「んん?ウンチしたの~!!!」一人は外でベビーカーの中でグズグズしながら待ってるし、やっとの思いでオムツを変え着替えたのに~。またぁ!?ホント泣きそうになりました。そんな風で平日は、自宅の庭で遊ぶか、近所の子とたま~に遊ぶか、簡単な買い物です。二歳半になり、この育て方は少し失敗だと思いました。大変でも、サークルなどに小さい頃から参加していれば、もっとワンパクな男の子になってたかも。。。今の二人は、大勢人がいると「ママ・ママ!」とビクビクしてしまいます。ママも悲しい 今日も、お友達が寄ってくると逃げてました。幼稚園まであと一年。早く周りの環境に慣れて欲しいです。

じいじとばあばのお家へ遊びにいきました。

2008-01-20 22:48:29 | Weblog
双子が癒されるのは、主人と私のじいじとばあばです。私の実家は一つ県を越えるので、月に1度行けるかどうか。主人の実家は隣の県で、こちらも月に二度くらいのペース。お年寄りって、不思議な力を持ってる気がします。お料理も懐かしい味がするし、親子で癒されます。私もこんな料理(煮物中心の)をずっと食べていたら、子宮内膜症にはならなかったのかも・・・と良く考えます。進学のために実家を離れてバランスの悪い自炊をするようになってから、お腹に異変が・・・。主婦になった今も、おばあちゃんの料理はなかなか真似できません。明日から一週間が始まります。まず、思うことは、今週は何をしようか?予定を埋めるのが大変。お互いの実家に平日は頼れないので、元気な双子の暇潰しにいつも悩んでます。

捨てる神あれば、拾う神ありです!

2008-01-20 00:09:44 | Weblog
はじめまして。初めてブログを書きます。これからどんどん変身できるよう頑張っていきますね。子宮内膜症による卵巣嚢腫をそのままにして、不妊治療を始めて1年もしないうちに、めでたく双子を授かりました。双子育児で、自分の病気はほったらかしのまま、ウチの双子も2歳半になりました。やっと自分の体の事に気が向き始め、卵巣嚢腫の圧迫痛が気になり、不妊治療をした個人のクリニックに行きました。そこで先生はいくつか検査をし、あとは「経過観察でいいよ~」って終わりました。「エッ」って感じですよ~痛みを訴えていったのに~・・・やはり産院だからですかね?その後も双子と戦いながら時間をつくり、今度は市民病院に行きました。CT検査の結果私の卵巣は7.2センチ。「8センチが卵巣をとる基準になることと、40才を過ぎると癌化していく可能性がある。子供を作らないなら卵巣はとる」と聞いてとてもビックリしました。私は毎日泣いてました。先生に1ヶ月考える時間をもらい、本を読み、ネットで調べ、卵巣の手術をした友達のお姉さん、卵巣癌を克服したウチの双子担当のシッターさんに話を聞き、やはり簡単に卵巣はとりたくないと、自分なりに答えがでました。そして、過去3回全身麻酔の手術をしている私は、かなり全身麻酔の手術に対して恐怖があります。あと開腹手術は出来れば避けたい・・・そして、近隣の街に腹腔鏡の名医がいることをしり受診しました。この先生にはなかなか会うことが出来ず、予約を取るのも大変でした。やっとその先生に会えました!その先生は「卵巣をとらなきゃならない」なんて一言も言いませんでした。しかもMRIの結果、私の卵巣は5.5センチだったので、腹腔鏡のオペの前にアルコール固定術の選択肢もあるとの事で、ホントに驚きました。結果、全身麻酔が嫌いなので、とりあえずアルコール固定術をしてみることにしました。先生は「すぐに再発するようなら、腹腔鏡のオペをやり、その後は定期検査をし最後まで面倒みます。」とはっきり言ってくれました。根治のない子宮内膜症の治療がやっと一歩進んだ気がしました。市民病院を受診した時は、神様から見放されたと・・・どうして私ばかり手術をしなきゃならないのかと、すべてを憎んでました。でも、その先生にめぐり合えた事で、私は強くなりました。拾ってくれる神様もいたんです!セカンドオピニオンって必要ですね。前者の病院の先生の話を鵜呑みにしていたら、今頃私は片方の卵巣がなく(しかも開腹で)すでに更年期障害に似たものが出ていたかも知れません。双子の育児をしながら、ここまで納得できる先生に出会えたこと、主人や周りの協力です!感謝してます。手術は3月産後生理痛は激減したので、卵巣を小さくすることで、圧迫痛が軽減されれば・・・がんばります。