私の子宮内膜症・不妊治療・双子育児

20代前半から子宮内膜症になり、その後体外受精にて双子を授かった、ドタバタストーリー

アルコール固定術3ヶ月検診

2008-06-20 21:32:21 | Weblog
 おととい術後二回目の検診だった。潰した卵胞には変化がなく、先生も安心していた。1つ1.4ミリの卵胞が見つかった。これは多分内膜症による嚢腫だそうだ。まだ、大きさが小さいから様子見でいいそうだ。前回あった3センチのものは見当たらなかったから、きっと水がたまっていたのだろう。5センチの卵胞のアルコール固定術をしてから、随分体が軽くなった。今、双子は遊びたいさかりだ。毎日公園や子供のセンターや体操にお弁当をもって遊びに行っている。もし、固定術をしていなければ、こんなに行動的にはならなかっただろう。育児には健康な体と体力が一番必要だ。今も体力はないが、体は少しは健康になれたから、なんとか他のママについていけている。術前は、嚢腫が痛くて、元気なママグループには着いて行けず、いつも断っていた。
 もう一つ気になることはPMSだ。生理前10日からじわりと始まり、生理の二日目位まで憂鬱な時を過ごさなければならない。このことを先生に相談した。安定剤があれば欲しいと・・・。これについては、誰にでも起こり得ること。その度合いが強いか弱いかのことで、すべてはホルモンが邪魔をしているそうだ。医療的解決策はピルの服用、もしくは頓服だそうだ。先生は日常生活の改善で随分軽減するからということで、薬の服用はやめた。
 これだけの事を相談できるのは、先生は女医さんだから。年齢は32.3といったところだろう。クールな感じで、話しやすい。この病院までは、車で30分はかかる。もちろん自宅近くには大病院もあるが、私はきっとこの先生と付き合っていくんだろうって、なんとなく感じている。この先生が移動しなければいいのだが・・・。

タイミング法

2008-06-06 22:39:26 | Weblog
 1回目の人工授精が不成立だったため、医師をかえてもらった。その医師が嫌いだったのではなく、もともと神の手の院長を希望していたため、振り出しに戻った。タイミング法とは特に医療的なことはなかった。1ヶ月基礎体温表をつけ、排卵が行われていることを確認する。次の1ヶ月が勝負だ。排卵予定日の10日前に男性は射精をしておく。そして排卵予定日の1週間前にもう一度射精をする。理由は古い精子を出し切るだめだ。そして排卵日までは禁欲。質のいい精子を沢山貯蔵する為だ。そして排卵日に夫婦生活をする。その指導を受けるのだ。これは特に苦痛はないが、旦那さんの協力と理解が必要だ。このタイミング法も妊娠不成立だった。ここからが実際に不妊治療に入った感じがした。院長と私たち夫婦のストーリーが始まった。

二見シーパラダイスへ

2008-06-01 23:31:44 | Weblog
 二見シーパラダイスは4年ぶり。自宅から日帰りでは遠いため、妊娠してからは行っていなかった。双子を連れて二見へのお出掛けは、子供の体力的に負担が大きいかな?と不安だったが、無事に11時間の楽しい旅ができた。途中、御在所SAでは、スーパーカーの集まりに遭遇した。すごかった!フェラーリ・ランボルギーニ・カウンタックが総勢50台ほど!!昨夜の寝不足でしばらくは不機嫌だった旦那さんが、スーパーカーの出会いに興奮気味。息子二人もパパの真似をして「おぉ~!」って共感していた。私は、もちろん車にもビックリたが、助手席に載っている彼女たちの美しさに興奮気味。やっぱりこんな車の助手席に乗れるのは、綺麗な女性なんだな~と、自分に反省。運転手さんの男性陣も、カッコイイ。身につけているものがなんとなく違う。世の中、不公平だな~。御在所SAに着いたときに、買いそびれていた宝くじを買おうと思っていたが、こんな人たちの中で、宝くじ3000円を買うのは、なんだか侘しくなって躊躇していたところに、おばさん連中が・・・「ドリームは・・・、ミリオンは・・・」と大声で話しているのが耳に入った。おばさん連中のパワーで勇気付けられ、買おうと決心した。そんな時、子供が何かを私に言ってきて、すっかり宝くじのことを忘れてしまった。
 帰りは、4時を過ぎていたので、子供たちもお昼寝の時間だ。オムツに替え出発。渋滞にはまり1時間を経過。私は、このまま渋滞にはまり続けるべきか、高速を降りて国道に出るべきか悩んでいた。そんな中、旦那さんが「オムツでお尻が蒸れちゃうから、そろそろ休憩してパンツに替えてあげなきゃね」と言ってくれて、我に返った。嬉しかった。よく私の母が言う言葉がある。それは、「あなたは、こんなに自分の子供を大事にしてもらえて、ホントに幸せね」と。最初は「自分の子?私と旦那さんの子だよね。当たり前じゃん」って思った。でも、母の時代は姑にいじめられ、父は亭主関白だから、子供は母親が一人で育てるものだった。だから、母の時代からしてみれば、夫婦の子と言うより自分の子って表現なんだろうな。確かに、子供に優しくしてもらえるのは、母親は一番うれしい。そんな思いを母は言うんだろう。なんとなく母の私たちを思う気持ちが分かった。
 遠出のお出掛けは、とっても気分転換になる。家に到着して、溜まっている洗濯物があっても、苦もなくはかどる。家族でのお出掛けって、大事だなって思った。1週間頑張ろう