私の子宮内膜症・不妊治療・双子育児

20代前半から子宮内膜症になり、その後体外受精にて双子を授かった、ドタバタストーリー

不妊治療の始まりの時のこと

2008-01-30 22:51:15 | Weblog
大きな市民病院から個人のクリニックに紹介状をもって行きました。そのクリニックの院長は「神の手」といわれるほど、他院で何年も子供が出来なかった人たちに喜びをあたえて有名でした。県外からの患者さんも多かったです。院長先生宛に紹介状を書いてもらったにもかかわらず、受付へ行ったら「院長は大変混んでおります。副院長でもよろしいですか?」と言われ、「ハイ」と言わざるを得なかった小心者の私。当時は私も医療関係で仕事をしていたので、「やっぱり有名でも個人医院か~」とがっかりしました。しぶしぶ副院長先生の診察をしばらくは受けました。その時に私のお腹の中の様子を図解でみせてもらい、ビックリしました。お腹の中が血だらけなんです。ステージ4=重度の内膜症と言われました。後日、卵管造影検査を行いました。これは痛かった!痛みに強い私も涙がでました。理由は痛みだけではなかったです。自分の哀れな格好に、この痛み(内膜症でお腹をえぐられる感じです)と恐怖・・・どうして私はこんな辛いことをしているんだろう?と悲しくなりました。私はもともと子供は好きではありませんでした。でも、こんな事を考えました。毎日仕事で疲れ、その疲れをビールで癒し、週末は遊びに徹して、連休は旅行をして、趣味の写真を撮り大事にファイリングして、好きなアーティストのCDを集め、私には大事な想い出や物がいっぱい。でも、私が死んだらこれはどうなるのかしら?当然、両親は亡くなっているだろうし、兄弟はあてにならないし・・・私が一生懸命働いて、そのお金で得た大事な宝物は誰も受け継いではくれない。なんて意味の無い人生なんだろう。と考えていました。その時「わが子」なんだ!と確信しました。私の遺伝子、大事な思い、生き方、物を素直に受け継いでくれるのは、自分が母を思うように、私たちの子供なんだと。動機が不純だったのか、あまりに痛い治療の幕開けに私は大変な所に足を踏み入れたんだな・・・と、卵管造影検査のとき、怖くなり涙が出ました。結果は内膜症による左卵管の癒着。そして第一回人口受精の準備がはじまりました。排卵誘発剤です。