最近、ぼちぼち、だらだらと過ごしてました。
と、言うか・・・
先週の日曜日に隣のおじぃさんが亡くなってからは、毎晩 お参りに行く・・・毎日。
初七日までは毎晩お参りがあるのです。
隣のおジィの話は9月に登場して以来でした。その後 10月に退院して、再度、11月に入院し、(胃がん全摘の為、食事はほとんど食べていないのに、下痢が夜中10回以上続いた為) お正月には3日間外泊して家に帰ってきてました、成人式あたりの休みの頃には『あと、2,3日でもう アカン(死ぬ)と思うから、家をかたずけておいてくれ』
とおジィは家族に言いました。それを聞いて家の家具を移動させたりしてました。
私は隣に住む者ですが、同じ敷地内に住む母屋、新屋みたいなものです。
隣りの子供にお年玉を渡しに行った時の事でした。(お孫さん家族が、かたずける為に手伝いに来ていた)
私がおジィの顔を見た時は手術後の10月退院していた時。
お正月には隣の家にも顔を出す新年の挨拶すら、ちょっと悩んだ。
10月の時でさえ、「帰ってこれてよかったね」と顔をみる事が出来たけれど、
お正月の一時帰宅では、すっかり痩せたおジィの姿は見る事も出来なかったし、なんと声をかけていいのかも自分自身がつらいので行かなかった。
もし、私なら・・・・
弱っている姿を見せたくない。と思う かな。
周りの人からは良くはならないだろう。と聞いていたけれど、奇跡は起きると私は思っていた。
そんな中で、
1月17日(日)私達家族は水泳の大会へ出かけていた時のこと。
真ん中の娘 1年生のチビッコがデビュー戦となった。
お昼・・・連絡が入る。
夕方 帰宅後急いで旦那と行った先ではおジィがやすらかに眠っていた。
やっぱりおジィはすごかった。
妻であるおバァさんが毎日 病院へ行っていて、ちょうど無くなる3日前に
「1円玉を出してくれ」
とおジィが言うのでおばぁさんは自分の財布から1円3枚(しかなかった)出しておジィ
に渡す。
「ワシの財布の中からもすべての1円玉を出してくれ」
と おジィが言う。
『おジィさん1円玉ばかりどうするんや??』
と聞くと
「さい銭にする」
と言って 枕元に紙をひいて置いてあったそうで・・・・。ワシはもう焼いてもらう
と、自分でも言っていた程、本当につらかったんだと思う。そんなにしっかりしていたおジィですが、最後は手術をした所を痛がり 眠らせましょうとお薬を使いそのままで急変してしまいました。
私はその日から朝、目が覚め子供を学校に送り出してからは 私自身が出来るだけのお手伝いをさせて頂き昨日、初七日が終わりました。
この地域は 生活改良もなく まだまだ昔のままです。炊きだし料理も家で作りますのでほんと、大変です。