大変 ご無沙汰しております。
と、いいますのは、
19日水曜日に我が家の大ジィが夜に無くなって・・・・
それからはまぁ!大変でした。
その日って、寝れないのですよ。
お葬式の日を決めたりしていたのも、日にちがかわっての話合いでした。
何とか20日、日木曜・21日金曜にしたかったのです。
それは、22日土曜日に娘のプールの試合で大阪に行く為に準備して、キップも購入したとこでした。
でも!どこも混んでいて、近くの式場は無かったのです。
で、少し離れましたが、何とか木曜は一日、お年寄りのお参りだとか、納棺だとか・・・そして、子供達が学校から帰って
くるのをまって通夜のために式場に向かいました。
実はその日。
私は以前からしておかなければいけない事。自分自身の最後の希望を昼間に書いたとこでした。
大ジィは92才。
日本男性の平均寿命を遥かに超えてうらやましい。
ただ・・・・入院期間がとても長くて、息子である中ジィが3年前に亡くなったことは痴呆が進んでいて、知らないことが気の毒と言うか、
それで、よかったのだろうか・・・・。と思う
結局 大じぃは 肺がんによる脳梗塞でした。がん患者が我が家には2人居たんだ。と
初めて知り、どうぞ、癌と言う病気が我が家から無くなりますように・・・と願います。
その日も結局 嫁と言う立場の私は、余り寝れない日でした。
式当日。21日金曜日はその日は子供達も学校は休み。私は個人的に給食も出るんだから学校に行ってもらいたかったんだけれど、
そんな訳にもいかず、とにかくタイムスケジュールで事も言い渡される。
喪服の着付けも私。
変に美容師の嫁ってこき使われる???
全く。疲れてる上に!!この田舎ってものわ!!とだんだん腹がたってきて
それでもあっさりとお葬式は終わった。
大ジィが私がお嫁に来た頃 足の骨を骨折して手術をしたことがあったんだけれど、
骨から20サンチぐらいの大きな釘が出てきて、こんなものが体の中に入ってたんだ。と思ったら、骨が一部、ピンク色になっているので
焼き場のおじさんは 病気の薬でこんな色になるんだ。と言っているのを聞いて、
私もきっと、全身、きれいなピンク色をしているんだろうな。
と、想像し、バカな事を想像してしまったりした。
それから、初七日まで一揆におわりやっと少し落ち着いた頃。
寝るぞ!寝るぞ!!