忙中閑あり

源氏物語 水彩画 写真、旅 そして時間を追いながらの毎日を書いています。

ギャラリートーク

2012年05月27日 22時01分32秒 | 絵画
午後から上野都立美術館でbestselectionの先生方の
ギャラリートークがあった、

これ程の絵をお描きになる先生が、
自分の絵はよく分からないのです。
なんておっしゃる、
120号描くのに3位から描き始めて
だんだん大きくして、15枚位描いてから
この大きさになる、と言われた。

私など4枚かいて直ぐ100号だ、
だめだねえ~と思った。

又別の先生は
私は芸術家ではなくて仕事人だと言われる
しかし普通の人と違うところは人を見れば
大体その人を見抜けると言う

多分絵描きさんは、人を見たら頭の中でデッサンしてるなあ
と思うことがあるが、外観だけでなく
芯まで見抜かれているらしい。

又別の先生は
写生したら3年はそれを作品にしてはいけない、
心の中で熟成させて、発酵させて、写生等見なくても
その対象の神髄まで理解してから描いているとおっしゃる、
それでもまだまだ描き切れていないから
この絵なんかなければいいと思うと
ご自分の作品の前でお話して下さった。

こんなに真剣に作品に対峙していらっしゃる
先生方のお話を聞かせて頂き、
自分の世界とのギャップの大きさに打ちのめされた。

一流の方の底知れない探究心、積み重ねる努力、
そして謙遜を思った。

完成したかな

2012年05月26日 22時29分55秒 | 絵画



6月19日から25日まで二俣川サンハートでグループ展
「つくしの会」がある、
当初二枚の出品予定を立てていたが、4枚がノルマらしい。
取り敢えず作品の形は出来上がった。

タイトルは
「街はずれ」F10のアクリル画
「象の鼻あたりで」これもF10のアクリル画だ
「花のあと」これは醍醐桜を描いた水彩画F6
「想い出」水彩画F4
これはこの会の発起人だった
中村さんを忍んで出す現場スケッチだ、
勿論中村さんもこの時ご一緒だった
2008年の作品だ、

何故こんなに忙しいかと言えば
私は6/14から10日間オランダ、ベルギーに行くし
今月28、29、30日は念願の白馬スケッチに行く
そんなわけで今月中にどうしても完成させたかったわけだ。

まぁ~~ブログに書くほどの事でもないが。

お近くの方、お時間のある方
宜しかったら、お出で下さいませ。
      

FUKUSIMA FACTORY

2012年05月19日 23時33分29秒 | 絵画
お嫁に出した絵の嫁ぎ先から、陽気が良くなったから
一度飾った作品を見に来ないかと
ご招待を受けて、
お言葉に甘えてお伺いしてきた。

上野を9時のスーパーひたちに乗る
指定席いらないね、と言いながらも、
座れないといやだなぁ~~なんて思っていたら、
なんと8号車5,6人しか乗っていなかった
常磐線だ、


車窓から面白い写真とれるかなと思ったが特に感じる物がなかった

泉の駅に事務員さんが迎えに来てくださった。
程なく工場に着き、立派な工場に驚いた、

原発の近くにあった双葉工場が、福島工場と
名称を変えて磐城市に工場を移して稼働再開した。
工場の前はこんなに長閑なところだ、

ここに私の絵が飾られていた
嬉しい!


今年頂いた会社のカレンダーに
FUKUSIMA FACTORYと書かれていた、

双葉工場が閉鎖して磐城に工場を移したのだから
磐城工場と私は考えていたが、FUKUSIMA FACTORYだ

会長のFUKUSIMAに対する切ないほどの思い、もっと大きくと言う
会長の意気を感じていたが

こんな短期に復興、稼働再開に持ち込んだ
会長、従業員の努力と熱意、
再開させるという熱い心に胸を打たれた、

言葉で言う事は易いが、どれほどの
ご苦労があったかと思う。

親会社が日産自動車から感謝状をもらった
その親会社から日産と全く同じ感謝状がこの工場に
贈られて飾られていた。

良かったね

丁度、昼食時間のお邪魔なので、皆さんが食べる
給食が食べたいとおねだりして、用意して頂いた
15年ぶりに頂く給食だ、
双葉工場創設時から働く方々がテーブルに来て下さる
まだ高校卒業したばかりだった彼らが、こんなに立派な大人になって
会社を支えている、お子さんがいると言う、

そうか そうなんだ そんなに長い時間の経過があったんだね
涙が出るほど懐かしかった。
給食だから特に美味しいというものではないが、
みんなと同じ物が食べたかった。


工場に入ると懐かしい顔ぶれに出会う
高速プレスから次々と製品が飛び出してくる
見覚えのあるプレスが整然と並ぶ
5S+躾が完璧だ
元気なプレスの音が工場のなかに響きわたる、
工場独特の臭いがする、

納品に必要な諸々の品物
検査治具、精密検査機 顕微鏡を覗く子
どれもこれも忘れてはいない
生産日報が下げられている、思わず覗き込む
私の記憶にない部品番号だった。

プレスの速度に合わせてくるくる廻る材料

動いていないプレスがあった
「これ何としてもここに持って来たかったんです」
と工場長が言う
プレスの管理者の名前を見た

  橋本 信之  と書かれていた

橋本君だ、やんちゃな感じの子だった
高校卒業して本社研修に来たとき、強く印象に残っていた子だ

震災の時、町の消防に参加していた為
津波時、町の方々の誘導にあたっていた、
そして、自分が流されてしまったという、何日かして確認されたそうだ、

こんなに身近な人があの震災に遭遇して命を落としてしまった

   橋本君忘れないよ、あの頃のままの君を忘れないよ  ねっ。

双葉出身者が多い従業員のために会社は従業員用の
アパートも造った
ここから会社に通う人もいるし  又仮設から通う人がいるという
2LDKの立派なアパートだった。


塩屋岬に行った




途中  家、家の土台だけが残っている所が沢山あった
津波で流された家の跡だ、カメラなんて向けられない、
瓦礫が積み上げられた所もある
「瓦礫」と一口に言うが、皆さんの財産が、波の飲まれ
砕かれて、こんなにも木端微塵になって、、、、心が痛む   合掌。


泣く

2012年05月16日 21時48分32秒 | 絵画
4日の日キッチンの隅で泣いた、
とても悔しく
とても不甲斐なく
とても情けなく
とても、とても、とても、、、、、、、

何年振りだろうこんなに泣いたのは
思い当たらないくらい昔だ

こんな歳になって
しゃくりあげるほど泣ける自分がここに居た事に吃驚した、

自ら選んだ結果が
悔しくて 情けなく 不甲斐なく 悔しくて 悔しくて

まぁ~~~それほど長~~~くない人生だから
こんなロスはもう嫌だ

    立ち上がれ u-ko


京都 醍醐寺2

2012年05月11日 21時47分06秒 | 絵画
前回で奥村土牛先生の醍醐桜のお話を
ちらッとした、
醍醐桜の隣の売店で色紙を購入したのでその写真と実物の桜をUPしたいと思う

これは2012、4、21 AM10:45に撮影した写真。


色紙なのでA4サイズから1,5mm位狭くなっている
スキャンしているので形、色は実際の色紙と遜色はないと思うが
実物の作品とは多分、色彩が大幅に違うと思う。
そんな気がする。


大家の作品は本当に無駄がなくて、研ぎ澄まされていて
安定感があり、暖かさがあり、優しさがあり、人格があり、品位があり
桜に対する愛情すら私は感じています。

  でも(@_@;)するくらい違うでしょう
  でもこれが素晴らしい事なの
  全く同じものを描くなら
  写真を撮れば良いわけだし、
  u-koの勝手な蘊蓄で~~~~す。(笑)

     


京都 醍醐寺

2012年05月10日 23時07分22秒 | 絵画
お天気は上々だった、
山門を入り左に三宝院
その手前に醍醐桜があった、迷わずそこで写生する、

恐れながら、あの院展に出品されていた
奥村土牛先生がお描きになった桜がこの大木だ
しかし先生の作品から今あるこの大木は想像できない。

この大木桜をお描きになった事は確かでも
実際に描かれた作品は先生の中で無駄をそぎ落とし
本当に美しい桜木の部分を
お描きになったのではないかと思った。

老木でもあった痛々しいほど樹医の手が入っていた、

大公桜とも言われこの木の下で豊臣秀吉が桜見物したと言う
醍醐の花見だ、

同じ木でも角度を変えるとこれ程に違う







八重桜が待っていてくれた、


感謝したくなる程嬉しい桜だ
私は八重桜はあまり好みではなかったが
醍醐の八重桜は格別だった。






こうして醍醐寺を後にしてバスで京都駅に着き新幹線で新横浜についた。
あぁ~~~終わってしまった。

お出で下さった皆さんありがとうございました、
私の醍醐桜が出来上がりましたらUPしますね。


     

奈良明日香村スケッチ行2

2012年05月07日 21時45分50秒 | 絵画
本当に静かで人の少ないお寺だった。

   馬酔木より
      低き門なり
        浄瑠璃寺     秋桜子

俳句を嗜む教養人に教えていただいた、
右側にある植物が馬酔木だ(あしび)
より忘れられない浄瑠璃寺となった。





岩船寺へ行く
このお寺さまも古いが、国宝でないのが残念だ、

本堂前の敷地の中に いろんな石仏、塔、植物等々物がありすぎてしまい
狭さを感じた、
それが国宝にならない理由ではないかなぁ~~と思った。
しかし、故意に作ってしまえば尚国宝は遠くなるね。

お話好きのご住職としばし話し込んでしまった。

ミツマタが咲き誇る石仏に心惹かれた。



次の日4月20日がいよいよ石舞台古墳見学だ
私はこんな日の来るのを何年待っていたかしら。

バスを降りて7、8分歩く
人通りも少なくて、静かな田舎だ、



小雨の石舞台だった

小雨に濡れて石の色がはっきりして2,300tと言われたら
この大きさが2,300tねと納得した。
雨には晴れにない良さがあるものだ。

近くにいる人を見て大きさを想像してみてね、












カッシュを混ぜて描いてみた。

大きかった

この後大宇陀に出てスケッチ

造酒屋さんで夫にお酒を送り、そのままここでスケッチをした。



返す返すも残念なことは、作りたての本葛の葛きりを食べ損ねたことだ、
みんさん美味しかったよ~~~って言ってた。

夢の様に2日が過ぎて明日は帰宅日だ
午前中の時間を醍醐寺に行くことが決まった

そう、、、あの秀吉が醍醐の花見を催した処だ
予定外のベストチョイスに私はご機嫌だ

何年も前に親友と京都に遊んだ時、方向が少し
はずれにある醍醐寺に行かれなかった、
そんな事を思いながら、友を思った。

桜があるといいなぁ~~明日。