忙中閑あり

源氏物語 水彩画 写真、旅 そして時間を追いながらの毎日を書いています。

羽子板2

2006年12月23日 11時04分07秒 | いろいろ







巨大な熊手、これで来年の「福」を招聘します。こんなに大きいのは勿論ディスプレィです。





煙を身体に纏いよいよお参り、具合の悪いところ(身体の)に当てるとそこがよくなると聞いていましたが。





「羽子板と羽根」美しい彩、日本の色彩のレベルは、こんなところにも惜しみなく。





羽子板、幼いころ「藤娘」を胸にだっこした記憶が蘇りました,
しかし今お値段がものすごく高くて奥の上段に鎮座していました。

源氏物語(帚木ー雨夜の品定め9)

2006年12月14日 14時30分16秒 | 源氏物語
「いでや、上の品と思ふにだに難げなる世を」と君は思すべし。
白き御衣どものなよらかなるに、直衣ばかりをしどけなく着なしたまひて、
紐などもうち捨てて、添ひ臥したまへる御火影、いとめでたく、女にて
見たて まつらまほし。
この御ためには上が上を選り出でても、なほ飽くまじく見えたまふ。

さまざまの人の上どもを語り合はせつつ、


「さてどんなものか、上の品と思ひ中にさえ難しい世の中なのに」と

源氏はお思いのようだ。

白いお召し物で柔らかな物の上に、直衣だけを気楽な感じにお召しになって、

紐などもむすばずに、物に寄り掛かっていらっしゃる、御灯影も、素晴らしく

女性として拝したいくらいだ。

この源氏の君のおんためには、上の上の女性を選び出しても、

猶も満足ではなさそうにお見受けされる。


さまざまな女性について議論しあっていって、


「どうかなぁー
上流の中にだって、欠点のない女性はめったにいるものではないのに、」と
源氏はうっとりと物思いにふけっているのです。
この時多分に、幼いときに母に好く似た女性と周囲の
女房たちが言っていた藤壷の宮を思っていたんですよ。


柔らかな白い着物姿で(普段着です)直衣をしどけなく引きかけて、
紐も使わずに、衿も開けたまま脇息に寄り掛かっている。
その横顔は灯影に照らし出されてなんとも言えずに美しい。
女性のようだ、こんな源氏の君には最上の女性を探し出しても
十分とは言えない。
と言います。

さまざまな女性の話しに時間がすぎていきます。
馬の頭はまだ続けます。


源氏物語(帚木ー雨夜の品定め8)

2006年12月07日 13時31分45秒 | いろいろ
「元の品、時世のおぼえうち合い、やむごとなき あたりの
内々のもてなし けはひ 後れたらむは、
さらにも言はず 何をして かく生ひ出でけむと、
言ふかひなく おぼゆべし。
うち合ひて すぐれたらむことわり、これこそは
さるべきことと おぼえて、めづらかなることと 心も驚くまじ。
なにがしが及ぶべきほど ならねば、上が上はうちおきはべりぬ。

さて、世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎の門むぐらのかど
思ひの外に らうたけならむ人の閉ぢられたらむこそ、
限りなくめづらしくは おぼえめ。
いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなむ。
あやしく心とまる わざなる。

父の年老い、もの むつかしげに 太りすぎ、兄顔憎げに、
思ひやり ことなることなき 闇の内に、いといたく思ひあがり、
はかなくし 出でたることわざも、ゆゑなからず 見えたらむ、
片かどにても、いかが思ひの外に をかしからざらむ。

すぐれて疵きずなき方の 選びにこそ及ばざらめ。さる方にて捨てがたきものをは」

とて、式部を見やれば、わが妹どもの よろしき聞こえあるを 思いて 
のたまふにや、とや心得らむ、ものも言はず。


 
元々の階層と、時勢の信望が兼ね揃い、高貴な家で内々の振る舞いや
様子が劣っているようなのは、全く今更言うまでもないが、どうして
こう育つたのかと残念に思われましょう。
兼ね揃って優れているのも当たり前で、この女性こそは当然のことだと
思われて、珍しい事だと気持ちも動かないでしょう。
私如きがての及ぶ範囲ではないので、上の品の上は、おいておきましょう。

ところで世間で人知れず、寂しく荒れたような草深い家に、思いもよらない
いじらしいような女性がひっそり閉じ籠められているようなのは、この上もなく
珍しく思われましょう。
どうしてまぁ、こんな人がいたのだろうと想像していたことと違って、
ふしぎに気持ちが引き付けられるものです。

父親が歳を取り見苦しく太りすぎ、兄弟の顔が憎憎しげで、想像すると
たいしたこともない家の奥に、とてもたいそうに誇り高く、ちょってした
芸事でも、たしなんでいるように見えるのは、生かじりの才能であっても
どうして面白くないことがありましょうか。

特別に欠点のない方面の女性選びは実現が難しくそれはそうした者として
捨てたものではないな」

と言って式部を見やると、自分の妹たちがまあまあの評判であることを
思っておっしゃるのか、と受け取ったのであろうか、何とも言わない。

          渋谷 栄一著
          GENNJI=MONOGATARIより


高貴な生まれ育ちでもあまり品の良くない立ち振る舞いをするお姫様もいたんですね。
そんなお姫様は論外ですと馬の頭うまのかみは言います。
上の上の事は私ごときは及ばないから控えましょう と言います。

それはそうですよね、自分より遥かに身分の高い、源氏と 左大臣の子供の
中将がそこに居るわけですからね。

身分の高いお姫様は多くの女房にかしずかれて、蝶よ花よと育つのだから
趣のある素敵なひとが居て当たり前だけど、
お父さんは歳を取りぶざまに太って、
兄弟もたいした面相でないのに、意外と草深い家の奥に
気位の高い娘が居ますよ。と言うのね

ふ~ん昔も歳を取るとぶざまに太るんだぁ~
代謝が悪くても若い頃と同じに飲み食いしてたんですねぇ~

芸事だって真似事程度でも、「こんなところに、こんな人が」と
予想外と言う事で男は興味をそそられるんですね。

私が言ってるんでなくて馬の頭が言ってまーす。

  またねぇ~

ここの所お勉強が忙しくて、なかなか前に進めていません。

又、雨夜の品定めは、だらだらと長くて、少し退屈な場面ですが
後に続く、布石にもなっているので、はしょれません。
辛抱強く続けましょう。


練習-源氏物語を思う

2006年12月05日 10時37分56秒 | 源氏物語
源氏物語は日本の古典文学である事は誰でも知っていますが
古典文学とは何に?
と考えて見るとまずは
古い時代をその時代の言葉で書かれた書物であることでしょうね、
そしてその時代の生活とか、考え方、又後に続く文学に少なからず影響を
与えている事も大切な要素ですね。
でも、源氏物語の書かれた時代に、源氏物語だけしか書かれていない
わけはないと思います。
何人もの人がきっといろいろ書いていたに違いないけれど
面白みに欠けて消滅してしまったものが沢山在ったのではないかと
私は思うのです。
世界二代古典は
イタリアのダンテが書いた「神曲」
イギリスのシェークスピアの戯曲と言われていますね
しかし、源氏物語は「神曲」よりも100年300年も古く、シェークスピアよりも
600年も前のことで、紀元で言えば10世紀の初めと言われています。

しかし日本にはそれ以前に、個人が書いた蜻蛉日記などもあります。
蜻蛉日記は物語でなく蜻蛉さんが書いた日記ですけどね。
いつかこのお話もしたいと思います。
その後には「更級日記」があります、この作者は「源氏物語」が
読みたくてどうしたら手に入るのかと日記に書いています。

約1000年前には一般市民には「紙」等自由に手に入らなかったと思います。
やはり、豊かに暮らす人たちが自分の周りりの出来事を書いてたのかな?。
そして、それを手書きで写して、廻し読みしていた。
手書きして行くうちに、誤写 落字 落頁 語句のなど
の間違いがあったでしょうね。

飛散していたものを集めて間違いを直して自信のある本にしたのが
藤原 定家(冷泉家)です。
今も青表紙本と呼ばれて有名です。
源氏物語ができてから150年ほど経って出来たんですって。
凄いわねぇ~凄いわー。

この後江戸時代になって本居 宣長(もとおり のぶなが)
も携わったと言うことです。
いろんな人びとに守られて、今日私たちが読めるのですね。
感謝感謝ですぅー。



次回から又帚木が始まります。
どうぞお読みくださいね。