受領と言ひて、人の国のことにかかづらひ営みて、
品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、
中の品のけしうはあらぬ、選りで出でつべきころなり。
なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの、
世のおぼえ口惜しからず、もとの根ざし卑しからぬ、
やすらかに身をもてなし ふるまひたる、いとかはらかなりや。
家の内に足らぬことなど、はたなかめるままに、
省かずまばゆきまでもて かしづける女などの、おとしめがたく
生ひ出づるもあまたあるべし。
宮仕へに出で立ちて、思ひかけぬ幸ひとり出づる例ども多かりし」
など言えば
「すべてに、にぎははしきによるべきななり」 とて、笑ひたまふを、
「異人の言はむように、心得ず仰せらる」と、中将憎む。
受領と言って、地方の政治に掛かり切りにあくせくして、階層の定まったなかでも、
また段階段階があって、中の品で悪くはない者を、選び出すことができる時勢です。
なまじっかの上達部よりも非参議の四位連中で、世間の信望もまんざらでなく、
元々生まれも卑しくない人が、あくせくせずに暮らしているのが、いかにも
さっぱりした感じですよ。
暮らしの中で足りないものなどは、やはりないようなのにまかせて、けちらずに、
眩しいほど大切に世話している娘などが、非難のしようがないほどに、
成長しているものも、たくさんいるでしょう。
宮使えに出て来て、思いかけない幸運を得た例などもたくさんあるものです」
などと言う
「およそ、金持ちによるべきだということだね」 と言ってお笑いになる。
「他の人が言うように、意外なことをおっしゃる」 と言って中将が憎らしがる。
渋谷 栄一著
GENNJI-MONOGATARIより
「物忌み」とは陰陽道などで、ある期間(6日間)身を謹んで家に籠もること。
この雨夜の品定めは、源氏が物忌みでいるところに、中将、左馬頭、藤式部丞がこれに付き合って、女の人の品定めをしているが
肝心の源氏の君は居眠りしながら聴いているという情景です。
でも本当に寝てるのではなくて、寝ている振りをしながら
皆の話を聴いているんです。
受領は、今で言えば「知事」位の身分です。
命令であれば何処にでも行かなければならず、弱い立場ですが
それでも地方に行けば、一国の長ですから、貢物なども多くお金を
沢山貯めて豊かな生活をしていたということです。
前にも書いたと思いますが、紫式部のお父さんは受領の身分であったと
いわれています。
当時令政では男子15歳、女子13歳以上は結婚を許されていたそうです。
紫式部は宣孝との結婚が28歳29歳ですから、随分の晩婚です。
女盛りは14,5歳位だそうですよ。
29歳になる迄に紫式部もそれなりに、相応の経験があったと考えます。
今井 源衛著 紫式部の中に略年譜があります、その中で23歳の夏に
ある男性と恋愛関係があったと書かれています(西暦992年)。
又円地文子著「源氏物語私見」、のなかで人妻の「空蝉」を追いかける、
迫力ある表現は自らの経験があっての事だろうと言っています。
受領の中に結構素敵な人が多いですよと左馬頭に言わせる、
紫式部って可愛いですね、
自分の事を、それとなく「褒めて」ますもの。
でも源氏の君は
「結局はお金持ちでなければいけないということか」と醒めた事を
言います。
きっとお金ではない本当のものがある筈だと思っているんですね。
17歳の青年の潔癖さ、恋愛に対するロマン、女性に対する夢が滲み出ています。
「誰の口真似ですかね、柄にもないことをおっしゃる」と中将が言います。
なお左馬頭は続けます。
品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、
中の品のけしうはあらぬ、選りで出でつべきころなり。
なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの、
世のおぼえ口惜しからず、もとの根ざし卑しからぬ、
やすらかに身をもてなし ふるまひたる、いとかはらかなりや。
家の内に足らぬことなど、はたなかめるままに、
省かずまばゆきまでもて かしづける女などの、おとしめがたく
生ひ出づるもあまたあるべし。
宮仕へに出で立ちて、思ひかけぬ幸ひとり出づる例ども多かりし」
など言えば
「すべてに、にぎははしきによるべきななり」 とて、笑ひたまふを、
「異人の言はむように、心得ず仰せらる」と、中将憎む。
受領と言って、地方の政治に掛かり切りにあくせくして、階層の定まったなかでも、
また段階段階があって、中の品で悪くはない者を、選び出すことができる時勢です。
なまじっかの上達部よりも非参議の四位連中で、世間の信望もまんざらでなく、
元々生まれも卑しくない人が、あくせくせずに暮らしているのが、いかにも
さっぱりした感じですよ。
暮らしの中で足りないものなどは、やはりないようなのにまかせて、けちらずに、
眩しいほど大切に世話している娘などが、非難のしようがないほどに、
成長しているものも、たくさんいるでしょう。
宮使えに出て来て、思いかけない幸運を得た例などもたくさんあるものです」
などと言う
「およそ、金持ちによるべきだということだね」 と言ってお笑いになる。
「他の人が言うように、意外なことをおっしゃる」 と言って中将が憎らしがる。
渋谷 栄一著
GENNJI-MONOGATARIより
「物忌み」とは陰陽道などで、ある期間(6日間)身を謹んで家に籠もること。
この雨夜の品定めは、源氏が物忌みでいるところに、中将、左馬頭、藤式部丞がこれに付き合って、女の人の品定めをしているが
肝心の源氏の君は居眠りしながら聴いているという情景です。
でも本当に寝てるのではなくて、寝ている振りをしながら
皆の話を聴いているんです。
受領は、今で言えば「知事」位の身分です。
命令であれば何処にでも行かなければならず、弱い立場ですが
それでも地方に行けば、一国の長ですから、貢物なども多くお金を
沢山貯めて豊かな生活をしていたということです。
前にも書いたと思いますが、紫式部のお父さんは受領の身分であったと
いわれています。
当時令政では男子15歳、女子13歳以上は結婚を許されていたそうです。
紫式部は宣孝との結婚が
女盛りは14,5歳位だそうですよ。
29歳になる迄に紫式部もそれなりに、相応の経験があったと考えます。
今井 源衛著 紫式部の中に略年譜があります、その中で23歳の夏に
ある男性と恋愛関係があったと書かれています(西暦992年)。
又円地文子著「源氏物語私見」、のなかで人妻の「空蝉」を追いかける、
迫力ある表現は自らの経験があっての事だろうと言っています。
受領の中に結構素敵な人が多いですよと左馬頭に言わせる、
紫式部って可愛いですね、
自分の事を、それとなく「褒めて」ますもの。
でも源氏の君は
「結局はお金持ちでなければいけないということか」と醒めた事を
言います。
きっとお金ではない本当のものがある筈だと思っているんですね。
17歳の青年の潔癖さ、恋愛に対するロマン、女性に対する夢が滲み出ています。
「誰の口真似ですかね、柄にもないことをおっしゃる」と中将が言います。
なお左馬頭は続けます。