あひる町の住人~兼業画家ライフ~

兼業画家をしています。高知在住。にゃんず・釣りやギター・ハシビロコウネタ、など、悲喜こもごもの土佐日記です。

自己肯定感は取り戻せるのか

2017年05月01日 | 【エッセイ】
子供の頃、母親から
「あんたなんか生まなきゃこんな苦しい思いをしなくてすんだのに。」

思春期の頃、親父が家から出ていった時、僕に言い放った「お前はおれの子供じゃない、あの女(母)の子供だ」

この両親からの二つの言葉が、今も僕を苦しめている。

50才になった今でも、自己肯定感を持つことが出来ずに暮らしている。

きっと、当時両親は追い詰められて放った言葉だっただろうが、物心をとっくについている少年には受け止めがたい言葉だった。



僕はあまり反抗期もなく、やんちゃなこともしなかったが、高校を卒業したと同時に親には行き先も告げずに家を飛び出した。それっきり5年以上、親と連絡を取ることはなかった。

さすがに現在は、母親に対して「産んでくれてありがとう」という気持ちでいるが、多感な時に両親から投げられた乱暴な言葉で『自己』を『肯定』できなくなってしまったのだ。



『なぜ僕なんか生まれてきてしまったのだろうか』

両親からのあの言葉がなければ、『なぜ生まれてきたのか』など考えることもなかっただろう。

だから、自分の息子にはこの『自己肯定感』を持たせてあげたいと必死になっているのかもしれない。妻とも、子供には『自己肯定感』というのが一番大事だと日頃から話している。

先日、息子の担任の先生と面談の時『自己肯定感』の話しをさせていただいた。先生は「私もそれを一番大事にしています」とおっしゃってくださり、安心した。


息子はきっと僕のように苦しまず、自己肯定ができて、何事にも自信を持って取り組めるにちがいない。



大人になっても自己肯定感が低い場合、どうやって肯定していくものか。

50才を期に、よくよく考えて実行してもがく自分。

先ず実行したのが、『人に何かを誉められたとき、素直に受け入れて喜ぶ』こと。

以前は誉められても、「いやいや、ご冗談でしょう」と否定していた。なんとも相手に失礼な話しだ。これではいかん。近頃は素直にエッヘン、ありがとうと受け止めている。

次に『まちがってもいいんだ』と、自分に言い聞かせること。人前でギターを演奏したり、大きなホールで息子と親子連弾して緊張しても『まちがってもいいんだ。自分はプロではないし、思い出作りが目的だ』と言い聞かせること。

最後に『習って素直に表現する』こと。これは今、絵を習っていて、主観を一切入れずに先生の言うとおりに描くことで『受け入れる』練習ができている。

そう、すべてを『受け入れる』ことで、相手を『肯定』し、それを自分に対してもできるようになればいいのだ。

まだ、時々、自己肯定出来ず落ち込むこともあるが、立ち直りは以前より早くなった気がする。



それでも、落ち込んだときは

「自己肯定…じここうてい…ジココウテイ…」

と、三回唱えて空を見上げることにした。





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