過ぐる平成22年7月24日 午前11時。
茶屋町の綱敷天神社御旅社にて、およそ140年ぶりとなる
遣梅式の神事が執り行なわれました。
先日の記事にもありますように、遣梅式とは
大阪天満宮の天神祭に際し、当宮の梅ヶ枝を
大阪天満宮に遣わす神事で、
天神祭にはこの梅ヶ枝を用いることがかつての倣わしでした。
この遣梅式の前に、かつて梅田にお住いだった古老の方からお話を聞く機会があり、
当宮の梅の枝を大阪天満宮へ遣わしたという故事をご存じかどうかを訊ねると、
「昔はつなしきさんが許可せぇへんかったら、天神祭は出来ひんかったんや」
と聞き、やはり明治維新前までは、当宮の梅ヶ枝を遣わしてはじめて天神祭の
神霊移御が行われていた事を示す証言も得て、
人々の記憶から殆ど失われてしまっているこの神事を、
本年復活出来た事に感慨を覚えます。
当日はとても良い天気で、
早朝に忌鋏で刈り取った梅ヶ枝を御本殿にお祀りし、
遣梅式の神事の後、神童にお渡ししました。
この梅ヶ枝ですが、当然当宮の紅梅の枝を用いた訳ですが、
5月頃に虫害などにより紅梅の新芽が大変に痛み、その影響で葉に穴が多く、
とても見栄えの良い状態ではなかったのですが、
7月になってから新芽が突如新たに数本伸び出し、
ちょうど7月24日を狙ったかのように、良い長さに育ち、
そのお蔭でキレイな梅ヶ枝をお渡しする事が出来ました。
普通、この時期に梅の新芽が伸びるという事は殆ど無いので、
長梅雨の影響かもしれませんが、本当に不思議な出来事でした。
この遣梅式の復活を言祝いで、
天神さまが伸ばしてくださったのでしょうか。
何はともあれ、梅ヶ枝は無事に神童さんらによって大阪天満宮へ持ち帰られ、
神霊移御祭、陸渡御、船渡御の依代として用いられました。
茶屋町の綱敷天神社御旅社にて、およそ140年ぶりとなる
遣梅式の神事が執り行なわれました。
先日の記事にもありますように、遣梅式とは
大阪天満宮の天神祭に際し、当宮の梅ヶ枝を
大阪天満宮に遣わす神事で、
天神祭にはこの梅ヶ枝を用いることがかつての倣わしでした。
この遣梅式の前に、かつて梅田にお住いだった古老の方からお話を聞く機会があり、
当宮の梅の枝を大阪天満宮へ遣わしたという故事をご存じかどうかを訊ねると、
「昔はつなしきさんが許可せぇへんかったら、天神祭は出来ひんかったんや」
と聞き、やはり明治維新前までは、当宮の梅ヶ枝を遣わしてはじめて天神祭の
神霊移御が行われていた事を示す証言も得て、
人々の記憶から殆ど失われてしまっているこの神事を、
本年復活出来た事に感慨を覚えます。
当日はとても良い天気で、
早朝に忌鋏で刈り取った梅ヶ枝を御本殿にお祀りし、
遣梅式の神事の後、神童にお渡ししました。
この梅ヶ枝ですが、当然当宮の紅梅の枝を用いた訳ですが、
5月頃に虫害などにより紅梅の新芽が大変に痛み、その影響で葉に穴が多く、
とても見栄えの良い状態ではなかったのですが、
7月になってから新芽が突如新たに数本伸び出し、
ちょうど7月24日を狙ったかのように、良い長さに育ち、
そのお蔭でキレイな梅ヶ枝をお渡しする事が出来ました。
普通、この時期に梅の新芽が伸びるという事は殆ど無いので、
長梅雨の影響かもしれませんが、本当に不思議な出来事でした。
この遣梅式の復活を言祝いで、
天神さまが伸ばしてくださったのでしょうか。
何はともあれ、梅ヶ枝は無事に神童さんらによって大阪天満宮へ持ち帰られ、
神霊移御祭、陸渡御、船渡御の依代として用いられました。