毒蝮 三太夫氏が「徹子の部屋」で
小学生低学年の時経験した空襲の話をしていた
戦後77年、当時を知り語り継ぐ人たちが少なく
なってきたのが語り始めた動機だという
私には語る記憶がない
タダ、後年ある本との出会いで戦争に関心を持ち
以来 色んな立場の色々な方々の本を読んできた
その中から最も忘れられない二冊を上げたいと思う
これが戦争記憶を持たない私の
戦争を語り継ぐとします
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この本との出会いが
私に戦争に目を向けさせることになりました
当時、残留孤児の肉親捜しが始まり
歩くには幼すぎ,かといって赤ん坊ではない
わが身に置き換えて恐怖を感じ
戦争の恐ろしさを思い知りました
上記の本にも2~3行書かれていますが
当時は詳しいことがわからなかった葛根廟事件
ブログ「蓬 窓 閑 話 」
のつゆさんが教えてくれました
「昭和20年8月14日 私の学友を含む興安街在住約1200名の非難団が
この葛根廟を目指して草原を歩いているとき、突如、山腹の陰から14台のソ連
軍戦車と装甲車が姿を現し、一行に襲いかかった。前夜からの雨で現場には水
溜りのが多く出来ていた。水のたまったクリーク、麻畑、ソバ畑にはキャタピ
ラに圧殺された一千名以上の死体が累々と横たわっていた。
水漬く屍、草むす屍である。」 (付記 子供の戦記より)