3月11日 マグニチュード9.0 大地震発生
東北各地の津波による大惨事が終日報道されています
津波によるあまりにも惨い被災地の様子、
死亡者も最終的には相当数になるでしょう
ご冥福をお祈り致します
この地震の時、御茶ノ水にいました
順天堂前の交差点で信号待ちをしている時です
突然ゆれだした地面、 気づいたときには信号機が大きく揺れ
前方の順天堂大のビル二棟が横揺れしていました
その横の新しい高層ビルはびくともしていないのに
この違いには驚きでした
信号待ちのトラックが大きく上下に飛び跳ねている
立っているこの古い橋が落ちるのではないか、錯覚に陥りました
一部壁の落ちた駅前は人々で埋まってます
電車の止まった駅を後に 3時05分 車で脱出することになりました
すでに高速道路は通行できず蔵前通りを抜けて京葉通りへ
怖かったのは混み合った都心をぬける間
車の中で大きな余震があったときは恐怖でした
瞬間、火災でもおきれば、私がここにいることは家族は
誰も知らない、私は身元不明者になってしまう~
後では笑い話でも、脳裏をよぎりました
左右のビルや駅前には大勢の人が集まっている
蔵前通りをぬける頃はすでに帰宅難民の列が出来ていた
黙々と歩く人々、時には迎えに行った母親に手を引かれ
カラフルな頭巾を被った子供達が通りすぎる、帰宅難民の
列はだんだん膨れ上がってゆきました
京葉通りに入った頃から渋滞に巻き込まれました
次々と横道から増えてくる車、200メートルの信号から
信号をぬけるのに2時間かかったこともありました
途中2軒開いていたコンビニ、食事代わりなるものは全て売り切れ
温かいお茶はかろうじて買うことができました
延々と続く渋滞の中、市川駅に着いたのは朝の5時30分
20キロ弱の道のりを14時間半かけてたどり着きました
明けはじめた駅前の広場、人々の姿はあちこち見えるのに
静まりかえり、駅の階段には沢山の人が座り込んでいて
何か映画のワンシーンを観るような光景でした
今回の大地震、被災地の人々には比べることも出来ませんが
都会の弱点をもろに受けての脱出?劇を書き残しておきます
想像を絶する被災地の状況を忘れないためにも~!!