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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

恐ろしい夢ー4

2016年10月08日 23時53分22秒 | 日記
 結局、人はこの広大無辺の宇宙にただ一人なのだ。父と言い、母と言い、妻と言い、子供達と言い、親密で親しい、いつも自分の傍に居る、との思いは幻想に過ぎない。今こうして煌々と明るい明かりの下でキーを叩いているが天井灯のスイッチを切ってみれば自分の姿さえ見えない。五感がなければ【自分】と言う【想念】しかない。結局それは肉体を失った、いわばこの地上人類社会へのアクセスハードウェア、ID、パスワードを失った状態に等しい。

 一連の恐ろしい夢は幻想・・・自分は何々家の誰それであって妻はこうで子供たちはこう、そういう親しい人々に囲まれて幸せに生きて居るとのおめでたい幻想に対する足払いであり警告ではなかろうか。

 一応人のやることは同じようには出来たと思うが思い上がりに過ぎない。本当は底なしの暗闇の中に張られた綱の上を全くそれと気着かずに歩いて来たのだ。

 若い頃、恐怖の経験がある。建造中の20万トンタンカーのタンクの中、幅30cm程度の足場板の上を懐中電灯で照らしながらスタスタ歩いて居た。途中で上からぶら下がっていた工事用電灯が点いた。瞬間、自分がとんでもないところに居る事に気が着き足が震えて坐りこんだ。人生とはそんなものかもしれない。

恐ろしい夢ー3

2016年10月08日 23時35分12秒 | 日記
 妻と外出している。或は息子と連れ立って町を歩いている。何かに興味を惹かれてふと立ち止まって目を店先に移す。しばらくしてハタと正気に戻り妻或は息子の方を向く、傍にいない、人混みの向うに居た! そちらへ向かって歩こうとする。ところが次の瞬間、人違いだった、或は居ない。

 妻とどこか見知らぬ街を歩いている。ふと珍しい店があるので立ち寄る。妻はそこで店の奥さんと何か話し始める。私は待ちくたびれて先に店を出る・・・どうせ同じ方向だから後から来る、と思いながら。道はやがて荒れ野めいた中を通る。向うから老婦人が歩いて来る、それに野の茅葺の穂がそよぎかかる・・・『ああ、このような穏やかな世界に自分は生きたかった』と思いながら歩き、ふと妻が遅い事に気着く。

 あと戻る、今来たばかりの一本道だから迷うはずもない。が、風景は次第に見知らぬものになり始める。やがて曲がり角に出るがそんな曲がり角は無かった!と思うも目の前に巨大な工場めいたものまであって途方に暮れる。

 この類の夢を頻繁に見て恐怖と焦燥で目覚める・・真夜中丑三つ時。

恐ろしい夢ー2

2016年10月08日 23時22分30秒 | 日記
 会社が潰れた。元々嫌いな職業・・人を動かす仕事・・・だったのであっけなく辞めた。辞めてある人の誘いで自営業を始めた。最初はうまく行ったが3年ばかりして仕事が無くなり始めた。構造不況とか言うもので業界全体が沈んだ。焦った、超焦った。

 そのころから悪い夢を見始めた。丁度今夜のような暗くて雨がじとじとと降る夜、どこかの山道を歩く。裸足の足にびちゃびちゃする地面が気持ち悪い。そして、あてどもなく歩き続ける、何かを探しているのだがその何かが何であるかがわからない。誰にも会わない、人家もない・・・。

 よく知って居るはずの町の見慣れた、行きなれた場所、家、に行こうと歩く。やはり暗い夜道。すれ違う人々は見知らぬ黒い影法師、無言で行き交う。かなり歩いて、どうしたわけかよく知って居るはずの道がいつのまにか知らない曲がりくねった田圃道、山道、下町の路地に変わっている。おかしいな、間違えるはずはないのだが・・・と元来た道を引き返す、すると、それが歩いて来た道ではない!・・・そこ目が醒める。

恐ろしい夢-1

2016年10月08日 23時05分52秒 | 日記
 30歳迄は順風満帆の人生だった。浪人中に酷い神経症になって外出しても乗り物に乗れない、やむなく乗った場合はつり革を掴めない、座席に坐ったら履いていたズボンは部屋に戻っても入口の決まった場所で脱いでそこに置く、手を洗い服を着替えるまでは部屋の決まった部分しか歩かない・・などと言うばかばかしい事を真剣にやっていた。

 社会に出てからは今度は自分は何か深刻な病気に罹患しているのではないかとの恐怖感が芽生えて書店によっては医学書を坐った眼で読み漁った。『そうだ、ここだ、やっぱり!!』と思う時は絶望の淵に沈んで足の上に荷物を載せて運ぶように部屋に戻った。同時に会社に着て行く衣服を自分にとって『神聖な』部屋に断じて入れなかった、玄関で脱いではき物箱の傍に懸けた。母はそれを嫌った。

 しかし今にして言える・・母の深層心理無意識の中に、選民意識があって世間を睥睨し、その反対衝動としての日本の人間社会に対する恐怖があった。母は、父も、台湾で統治国からの役人、支配階級としての尊大と誇りを滓のように日本内地に対する侮蔑と嫌悪感を持って居た。それをおくびにも出さずに世間と付き合う時、・・・人の第三の目を侮ってはならない、・・・人々は何かしらの違和感を覚え、その感覚を『威張っている』と表現した。

 深層無意識は伝染するのだ、私はそれに感染していて『日本内地で今から人生を始めなければならない』と言う時期になって『外界は細菌に満ちている』との恐怖となって現われた。

嫁入りギター

2016年10月08日 15時19分12秒 | 日記
 19世紀ギターなるものが日本で普通に知られ始めたのは30年ばかり以前のことだろうか。珍しがりやの日本人は早速これに跳びついた。これを主に造る人も出て来たから買う人もそれなりに居るのだろう。一方でそういうのはレプリカといものであってオリジナルこそが【貴くアリガタイ】のであるとガンとして【古色蒼然たるキズだらけシミあかぎれオンパレードの楽器】と【カビの生えた音楽】に拘る人々も居る。まあ、夫々好みだから私などがゴチャゴチャ言うのは止そう。

 だが私個人の好みとしては音はともかくあのキモチの悪いカッコウ、糸蔵の気味の悪い造形、ブリッジのスマイルマークみたいな形、貝殻オンパレードのゴテゴテ装飾は見たくもない、無論触りたくもない。中でもファブリカトーレとか言うイタリアのギターはムスターシュ(顎髯)とか称する唐草模様がブリッジ下にごてごて貼り付けてあってキタナイ・・あれを素晴らしいという感性が解らない。

 聴くところによるとなんでも18,9世紀辺りには娘が結婚する時、弾ける弾けないは問題ではない、要するに花嫁の持ち物として華やかな造形物を道具類の中に入れたのだそうな。人称してこれを【嫁入りギター】と言う。

 私がギターを始めた事はカルカッシとかソルとか言うのがカミサマで猫も杓子も五も三もカルカッシだった。少し弾けるようになると禁じられた遊びだった。今にして思えば幼稚なものだが当時はいっぱしの音楽ゲージツカになった気分ではあった。いやお恥ずかしい!

 一年で飽いた。ナンダツマラナイ!・・ところがこの19世紀ギターとやらで当時の神様ソルだのアグアドだのと言う作曲家の曲を聴くとそこそこ聴けることにびっくりする。つまりどうやら音楽は時代と共にあり、それと連動して楽器もある。だから19世紀ギターでピアソラのオブリビオンを弾けはするが音楽にならない、バリオスのカテドラルもオモチャのマーチみたいになる。やはり19世紀嫁入りギターは嫁入りギター・・テケテケチャンチャンチャン・・のロンドがお似合いである。

 だが、モダンギターもこの幼稚な伝統を引きずっている。つまりバイオリンやチェロ、フリュート
トランペット等の楽器に較べて【耳、音】に関与しない【工芸品】的な側面、装飾があるのである。意地の悪い私の観念には【楽器としての本来の性能】つまり音に自信がないから目でごまかそうとしているのだろう。そんな嫁入りギターの息子のようなモダンギターには興味がない。

 ところが・・ないんだな、これが、無用の装飾がないモダンギターが地球上にない。意地の悪い推測だが多分無装飾のギターを作ったら売れないのだろう。・・という事はギター弾きはプロと雖も半人前である。いやしくも音楽家を名乗るべきではない、芸術家ではなくゲージツカである。サーカスのジンタ・・・あの『空に囀るトリの声、峰よりおつる滝の音・・』のあれの延長線上である。