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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

出雲大社

2015年08月30日 18時12分36秒 | 日記
過日、出雲大社は随分高く神殿が造営されていたと、想像挿絵付きで説明されている記事を見た。物凄い大建築だ!とびっくりした。
最近、インターネットの記事でインカを建設したのは縄文人であるとの説明を見た。海流に乗って行けば南北アメリカ大陸西岸に辿り着くらしい。
インカ人が縄文人の子孫であるとの論拠にどうやら遺伝子情報があるような説明であった。

個人的にはインカの文明を余り好きになれない。ミイラや人身御供をやったらしいから。そう思っているとマヤの神殿が閃いた。間をおかず上記出雲大社の想像図が記憶の底から浮き上がって来た。”非常に似ている!!”マヤ文明と言えば真っ先に思い出すのがポク・タ・ポクとか言う球技で勝った方が神殿で生贄の栄誉に浴するとの言い伝えを本で読んだことがある。昔、ユル・ブリンナーが出演した映画でもそういうシーンがあった。生きた心臓を神にささげるのだそうだ。おぞましい話だ。

と、突然岩見重太郎の物語が閃いた。毎年、決まった時に神社に村の娘を奉納し、それを神が料理して食べるのだと言う。それを岩見重太郎が退治した、との話である。そうか、日本にも人身御供があたのか!と思ったが、そしたら・・・出雲のヤマタノオロチの話も人身御供だな!と考えた。

人身御供から記憶は別方向に飛んだ。旧約聖書には古代のイスラエル民族の周辺に居た諸民族が、モロク、バアルなどのいかがわしい神々を崇拝し人身御供をやっていたとの記事がある。例えばレビ記18章21節 : 汝その子女に火の中を通らしめてこれをモレクに捧ぐることを絶えてせざれ(神像の空洞に子供を入れて周囲を火で炙って焼き殺した)また、エレミヤ記19章5節 : 又彼らはバアルの為にたかきところ(崇邸)を築き火をもて己のこどもらを焚き燔祭となしてバアルに捧げたれば・・・

つまり古代イスラエルの周辺に居た異民族は神殿で人身御供をやっていた、そしてその神殿について聖書は『たかきところ』と述べている。

ソロモン王の初期の治世は良かったが異民族から妻を娶るに及んで異教の神々を祀るようになった。次のレハベアム王の時、国はエフライム族のヤラベアムが率いる10部族とユダ、ベニヤミンの2部族に分裂、10部族は北のサマリヤに拠ってイスラエルを、2部族は南のエルサレムに拠ってユダを築いた。而して、聖書は北のイスラエルについて、こう述べる・・・・列王記略上12章28章-32章 : ここに於いて王(北王国のヤラベアム)はかりて二つの金の仔牛を造り人々に言いけるは汝らのエルサレムに上ること既に足れりイスラエルよ汝をエジプトの地より導き上りし汝の神を見よと。・・・・彼また”たかきところ”(崇邸)の家を建て・・・

ヤラベアムの始祖はエフライムと言いヤコブ(後のイスラエルなる人物)の11番目の息子ヨセフの息子である。ヨセフは兄たちによってエジプト人に売り飛ばされてしまったがそこで二人の息子を得て、その一人がエフライム、もう一人がマナセであった。

ここからは妄想である・・・
10部族の国はアッシリアに滅ぼされて歴史の闇に消えた。しかしどうやら日本に辿り着いて出雲の国を中心に栄えた。出雲大社が高く造営されていたのはかつての”たかきところ”の記憶。そこでもしかしたら人身御供をやっていたのではないか?・・それが各地に伝搬してヤマタノオロチ伝説を生んだり一部の神社での人身御供があったのではないか?また一部が海流に乗って中南米に辿り着き、マヤ、アステカ、インカなどを築き、やはり人身御供をやっていた。推測に過ぎないがスぺイン人がインカを徹底的に破壊したのは単に征服欲のみではなかったのではないか?彼らはカトリックであった。

出雲大社の主祭神は大国主命、彼は八十神なる兄弟神にさんざんに苛められたと古事記(だったか?)にあるが兄たちによってエジプトに売り飛ばされた祖先の記憶ではないか?

さらに続きがあるがまたにする。

Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad