気絶するほど鬪牛士

　つづき。
「変わり種だとテレキャスター・デラックスや、Ovationのエレキなんてのもあるよ」
「博士、それは既に読みました」
「テレビドラマみたいで親切かと思ってね。いま抱えているそのギターが石黒くんにインパクトを与えたようだが」
「はい。このギターは――？」
「フェンダーのムスタングだよ。正確に発音すると恐らくマスタングだが、するとまるでジャガーをジャギュアと発音しているようで嫌らしい。日本人らしく素直にムスタングで行こう。若年者用の所謂スチューデント・モデルとして開発されたと云われているが、妙に真面目に造られ、当時の新機能も搭載されている。大勢に影響しないモデルで新機能を試し、もし好評だったら人気モデルにも搭載しようという戦略だったのかも」
「異様に次のフレットに指が届いてしまうんですが」
「24インチ・スケールだからさ。ちなみにストラトやテレキャスターは25.5で、ちょうど最もナット寄りの一フレットぶん違うという計算になる。色々な設備を流用するためだろうね、レオ・フェンダーのこういう合理化の鬼ぶりには舌を巻く。24インチのギターは『低音が出ない』『チューニングが安定しない』などの理由から忌避される傾向があるが、中音にいかにも『ギターらしい』存在感があって、僕は好きだ。レコーディングにも便利だよ」
「このロウ・ポジションの弾き易さ、奇蹟のようなんですが、ネックが細い――？」
「意外と知られていない、古いフェンダーの基礎知識を披露しよう。ナット幅が、狭いほうからＡネック、Ｂネック、Ｃネック、Ｄネックとあった。Ａネックは１と1/2インチだからミリにすると約38ミリ。恐ろしく細い。Ｂネックは１と5/8インチで約41ミリ――殆どのフェンダーギターがこれだ。その楽器もね。Ｃネックは１と3/4インチで約44.5ミリ。これはかなり幅広な印象になる。１と7/8インチのＤネックに至っては約48ミリだからクラシックギターと同等だね。特注で存在したのかもしれないが、少なくとも僕は見たことがない。スティーヴィ・レイ・ヴォーンの愛器がそうだったらしいけど」
「トレモロアームの動きもスムースで、ああ博士、夢のようです」
「うむ。ただそこがムスタングの弱点でもあるんだ。ブリッジがゆらゆらする構造なので、あちこちで絃のずれが起きやすい。すなわち激しいアーミングの後はチューニングが狂っている事が多い。これを嫌ってギブソン風の固定ブリッジに換える人も多い」
「アーミングが出来なくなるのでは」
「そうでもない。ビグスビィ付きのグレッチやギブソンを知ってるだろう？　あの感じだと思えば宜しい。今よりもギクシャクしたアーミングになるのは避けられないね」
「それにしても年季の入ったギターですね。は、ボディにストライプが」
「今ごろ気づいたか。コンペティション・ラインといって、ものの本によれば'70年前後に限られた、レーシングカーを意識した塗装らしい。子供の頃から憧れていた色と形なんで、ネットでお買得品を見つけるや、つい現物を見ずに購入した。青いギターが来る筈が、ケースを開けたら戦車みたいな色で吃驚仰天したもんだ。ははは。何日も必死に磨きこんでいたら、ようやく青みがかってきた。本来はバーガンディといって、やや紫がかった色だったらしい。その赤みが褪色し、トップコートが黄変して、アーミィグリーンになっていたわけだね。ははは。ちなみにヘッドも同色なのが僕の自慢だ。誰に自慢すればいいのかわからんから、いま君にする」
「ああ、鏡の中の僕が美しい。もはやこの形のギターを買う気満々なんですが、他に留意点はありますか？」
「きっぱり云うがサスティンは無い。ブリッジ構造も関係してるんだろうね。伸ばす方法はたくさん有るが、デフォルトで無い事は承知しておいたほうがいい。またピックアップの出力が、壊れているかと思うほど低い。近年のエフェクターやアンプとのマッチングを優先するなら、交換した方がいいだろう」
「ああ、なんて美しい。博士、これどこで買えますか」
「話聞いてる？　まあいいか。君の経済状況に鑑みて、もし細かい拘りが無いんだったらフェンダー・ジャパンで充分。どこででも買えるよ。米国フェンダーを何本も使ってきたから云えるんだが、本家はわりと造りがいい加減だったりするんだ。ましてや改造を前提にするんだったら、屈強なジャパンが有利だろう。楽器に当たり外れは付き物だから、機を見て僕が見繕っておくよ」
「つづく」