ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

縮図の街

2006-12-08 13:18:30 | マルジナリア
 入れ籠み(いれごみ・いれこみ)という言葉がある。居酒屋で「座敷で」と指定すると、フロアを土間に見立てているような、すこし高さのある畳敷きに通されるでしょう。隣の膳では別の集団が騒いでいたりする。あれが入れ籠み。時代劇にも出てきて浪人者が飲んだくれていたりするが、実は明治時代の発明なのだと聞いた事がある。

 土間や入れ籠みや、その奥の座敷やさらに奥の間や廊下や縁側や中庭が、迷宮のごとく連なった街の夢をよくみる。さっきまでもみていた。迷宮といっても頭のなかには漠然とした地図があり、その細々した街を抜けて坂を下りるとフェンスに囲まれ背高泡立草に被われた埋立地や、ざらついた壁の団地――といったふうな認識で行動している。
 細々した街をパーツごとに検証すれば、下北沢のマーケットや吉祥寺のハモニカ横町、昔の広島駅前に広がっていた同様の場所、幼児期に祖母と暮らしていた海辺の町、祖母が賄いをやっていたパチンコ店の裏階段や二階の詰所、牛乳屋の土間、外からじっと作業を眺めていた職人の家、学生時代に間借りしていた仕舞屋――すなわち僕の人生の縮図に他ならない。
 なかなかに活気のある街で、よく商売も営まれている。面白い事に必ず楽器を見つける。マンドリン属のような、ハーディガーディのような、ブズーキのような、はたまた月琴のような。これは未完成品なんだろうか、それとも捨てるつもりのがらくたなんだろうか、といった弦楽器が山と積まれた場所があって、手にとってみたいのだが、店や家が留守か、人が居ても汚れた硝子の向こうで誰かと話し込んでいるかで、何も問えぬまま通り過ぎてしまうのである。

 先刻の夢で僕は、煙草屋の店主にシガリロは無いかと話しかけてしまった。事情を勘違いした彼が、戸棚を開いて葉巻類やパイプ煙草を次々と袋に詰め込んでいく。サービスだとパイプまで入れている。そんなには要らない、金が無い、と云うと、いいよ、家に郵送してやるから、これで月々何万だ、お得だろう、などと笑っている。
 住所を云うのが嫌だったので、有り金をはたいて袋一杯の煙草を買った。そうこうしているうちにバンドの連中とはぐれてしまった。

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