ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

ヌートリアスは走る

2008-02-23 10:14:46 | ライヴ
 急遽ビアンコ(もはや歴としたメンバーなので、今後は基本的に敬称略)が参加できることになり、20日屋根裏は、途中からフルメンバーのヌートリアスとして演奏。上出来という以上に、到達感とでも称すべき何かを得られたライヴだった。お客様各位、屋根裏スタッフ各位に深謝。内輪の事ながらメンバーにも感謝。

 ビアンコが来られるというので僕は長尺のソロを弾く必要がなくなり、十二絃で通した。ちゃんと絃を張り直したので狂いませんでした。AC15との間にはアリオンの改造チューブレイターのみで、これにゲイン稼ぎという以上の意味はない。
 ビアンコは愛器、Burnny製レスポール・ジュニア/ダブルカッタウェイ。フロントにP-94を増設してある。九月四日生まれだからというだけの理由で、僕も常々入手したいと思っているピックアップマイクだが、なんでわざわざザグリの大きくなるP-94にしたんだろう? 今度訊いてみよう。
 僕が緑牛を使うより音色の被りが少ないので、今後はこのコンビネーションが増えるだろう。

 ピンで舞台に立てるか、少なくとも普通のバンドだったらリーダーだろう、という人間が六人も集まりマイクを並べている図を、ふと客観的に意識し、ある種の凄まじさをおぼえた晩でもあった。いざその公約数が音となるや、どちらかと云えば内省的なバンドであるラヂオデパートやミキコアラマータより、お客と間の敷居がえらく低くなるのが、当事者ながらにまた面白い。
 それでいて自然発生的集団であるヌートリアスは、既存のどんなバンドのコピィでもない。明確な狙いがあったら、もっと整った編成にしただろうし。敢えて――本当に敢えて、似た感触のバンドを探すならば――ABBA? ABBAとE.L.O.とミカバンドと、ビートルズ解散直後の大掛かりなジョージ・ハリスンを足して四で割ることがもし出来るとしたら、近い音が出来上がるかも――と大きく出たものだが、実際、僕らは絶大なる自信を抱きつつある。この種の自信は、抱く程にスタッフやお客を守ることになるので、決して遠慮しない主義だ。ええ、しませんとも。

 なんだか自分の手柄のように書いているが、自信の根柢には完成が見えつつあるCDがあり、その出来映えの八割迄、ビアンコの緻密極まりないスタジオワークの功績だと感じている。ラヂデパで、ヌートリアスの音源制作に最も関わっているのは僕だが、それにしたってミーシャ(本当にミーシャでいいのか? 確認をとり忘れた)の詞を補作し、ちょっとだけメロディを書き、乱暴なギターとウクレレとコーラスを重ねたに過ぎない。それが何処に出しても恥ずかしくない作品に化けつつあるのだから、持つべきは才長けた辛抱強い友人である。
 インターネットの深海からサルヴェージされ易いよう、改めてメンバーを記しておく。

 ヌートリアス:アラマタミキコ(V)、小山亜紀(V)、ビアンコ(V,G,Key)、津原泰水(V,G,Uke)、稲葉太朗(B)、奥野芳幸(D)

 対バン世田谷ボーイズのギタリストが「ていうか滅茶苦茶上手いですね」と云ってくださり、大いに気を良くした次第だが、「どこが? どこが?」と執拗に問い質せばよかったかな。で、次はそこだけ集中的に練習しておいたり。
 いやいや君こそ上手いよ。歌を大切にするギターは、聴いていて本当に気持ちがいい。残念なことに世田谷ボーイズのリズム隊は就職のために抜けてしまうとか。二十歳の、卒業の、三十路のけじめと称して音楽から離れていく人間は無数に見てきたが、大概はまた戻ってくるので、残っている側は腕を磨いて待っていれば宜しい。僕はそう思うよ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿