ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

ノートはいずこ

2007-03-16 05:32:19 | ライヴ
 〆切だの引越しの準備だの親不知だので、たいへん日にちが空いてしまった。
 まず前回の補遺。コメント欄で教えていただいたギターシンセを弾くメセニィの映像を観たらば、明らかに途中、機械的にオクターヴを切り替えていた。モジュール自体を操作しているのか、別途ハーナイザー等を介しているのかは不明。
 即ちメセニィは「楽器や機材を買ったら出た」音色で弾いているのではなく、まず頭の中に音色ありき、それを具現するために古いシンセを使ったり大掛かりなシステムを組んだりしている訳で、こう書くと簡単な話のようだが、その域に達している演奏家は稀有だ。

 今日が天王山、これから奇蹟の枚数を書き上げるぞと顔を洗い、なんの気なくテレビを点けると「残念なのは乙女座の貴方」だのと非礼を抜かす。しかし思えばこのところ耐え難くなりつつあった右上顎の歯痛が、顔そのものの痛みに進化している。頬骨や目の奧まで痛いぞ、おい。過去三度経験した親不知の異常発育だと気づき、近場の医院に予約。これがとんだ医者で、まだ麻酔が効いていないのに無理やり引き抜こうとする。手足をじたばたさせて「まだだ」と知らせても強引に作業を続行する。めきめきと音がするのは親不知の抜歯のお約束だが、音と同等の痛みが襲ってくるのだから堪らん。戦地かここは。失神するかと思った。僕の親不知は大きいうえに根が凄く太っている。頭蓋の一部を割り取られたような心地だった。
 しばらくすると右の頬がえらく腫れ、往年の宍戸錠のような顔になった。悪くない。ダンディである。半面なのが残念。

 辛うじて原稿を雑誌に間に合わせ、一日惰眠を貪ったのち、ライヴに臨む。不眠傾向がある僕が、ライヴ前だけは意地で眠る。僕は妙に咽が丈夫で睡眠不足でも声が出ないという事はまず無いのだが、手足のほうがいけない。攣りやすくなる。
 出掛けに白山眼鏡店から「早めに上がってきました」と連絡。行きがけに寄る。本が売れて小金が入ったので新しい眼鏡を買ってあった。少年時代から疲労を防ぐために眼鏡の度数を抑えてきた。今の仕事に就いてからは尚更で、近視は順調に進行しているのだが、たぶん一回くらいしか度数を上げていない。しかし映画を観る仕事などが増えてきたこともあり、このほど約三十五年ぶりに人並みの視力にまで矯正してもらった。
 鏡に映った自分の顔に驚く。人間の皮膚の、なんと複雑な事か。

 キャプテン・フックはペグ交換だけ間に合わなかった。GOTOH(後藤ガット)のロック式を頼んであったのだが、なんでも最近のゴトーは、ラインナップが広がりすぎたからか受注生産体制だそうで、入荷にたいへん時間がかかる。グレッチの交換ペグとして定番のSPERZELも一考したが、あれはときどき裏のネジが緩んでしまう。国産品なら安定供給されているしとも思い、別のロック方式であるゴトーを選んだのが、裏目に出た。
 弦楽器のチューニングは、圧倒的に絃巻き部において狂う。絃を殆ど巻かなくてよいロック式や、まったく巻かない引っ張り方式のペグは、弦楽器史上に残る画期的発明だ。よくヴィブラートアーム付きギターに推奨されているけれど、そうではない楽器にも効果絶大なのでお試しあれ。僕はライヴで使う楽器には、基本的に装着する事にしている(ただし緑牛にはまだ付けていない。まだ色々と実験している途中で主力ギターに出世してしまったので、その暇が得られていない)。
 ましてやビグスビィ付きの古いギターで通常のペグというのは、いかにも心許ない。しかしいま思い切らないと永遠に人前では使わないような気がしたので、ギグバッグには巨大なキャプテン・フック。それ一本で約一時間のライヴ。結果から書く。

 弾きにくかった。

 巨大なホロウボディがライトに当たって刻々と撓むせいもあろう。チューニングは一曲ごとに直す必要があった。ヘッドにピエゾ式のチューナーを付けっぱなしという、ややみっともない状況。耳でチューニング出来なくはないが、僕は絶対音感、ピアノ音感が無いので、どうしても純正律に近くチューニングしてしまう。転調の多いラヂデパの曲では、コードによって異様に狂って聞えてしまう。
 ギターという楽器は個々に特有のコード・テクスチュアがあって、たとえばロウコードのDはリッケンバッカーだと非常に美しく響くのだが、ギブソンだといまいちだったりする。また個体ごとに、どの辺で共鳴している楽器かというのがまちまちだ。グレッチはその辺も特異な感じがする。
 それ以前に、やはりグレッチ特有の音色は難しい。波形がよほど複雑なのか、アルペジオを弾いている時など、高音だけ遅れてやって来るような感覚がある。もたって聞える。高音を立てようとアンプのトレブルを上げると、びよん、びいん、という輪ゴム風な音が混じる。グレッチらしさと云えば聞えはいいが、果たしてそれが音楽的な音色かというと首を傾げざるを得ない。
 反面、低音絃をミュートしてぞっこぞっことリズムを刻むのは、素晴しく気持ちいい。生楽器並みにピッキングの強弱が出音に反映される。ピッキングが正確ならばボリューム操作が要らない程。
 要するに難しい楽器であった。楽器と格闘するように弾いていた中高生時代を思い出すような楽器。あれこれ弾こうと気は焦るものの、指癖のように身に染みついているリックしか出てこない。かといってつらい一方でもないのだ。直情的になれる。こういう楽器で出せる音こそ、自分の音なのだという気もする。

 ライヴそのものは成功だったと云ってよかろう。夢弦の狭いんだけど息苦しくない、お客とバンドを共犯させるかの絶妙な設計や、先発ジルコンズの演芸的ステージに、最初びびった。いざ自分がマイクの前に立ってから、ずいぶん助けられている事に気付いた。
 お心尽くしの「アンコール!」を賜って〈雨を見たかい?〉を演り、最後はジルコンズと共に名曲〈グッドナイト・ベイビー〉。若いお客さんたちもさすがご存知のようで、身を揺らして聴いておられる。声というのは人間が獲得した最高の楽器で、たとえパガニーニだって母親の子守唄には白旗を揚げるだろう。思わずジルコンズと一緒に(マイクは無いが)鼻歌をうたっている自分に気づく。ジルコンズ+ラヂキオだと僕を入れて五声、そこにバックが付くかたちになる。こんなに楽しいんだったら、ジルコンズ、ラヂキオ、「ラヂコンズ」の三部構成にすればよかった。次回は提案してみます。

 ところで帰宅後、詞や小説の断片など雑多に記している大学ノートが無くなっているのに気づいた。終演後、賜った名刺やダイレクトメールを挟んだところまでは記憶している。終電間際の帰り支度に、慌てて持ち物をギグバッグに詰め込んだのも憶えているのだが、このときノートも入れたという確信は無い。店に連絡したが見当らないという。
 僕はアイデアをストックしない。ノートにあるのはあくまで短期的な覚書なので、作家活動や音楽活動に困るという事はないのだが、常に携帯してきた物だから愛着は深い。
 表紙に万年筆ででかでかと「津原泰水」と書かれたツバメノート、もし拾得された方がおられましたら、すみませんがhttp://www.tsuhara.net/のトップ頁、僕の名前をクリックすると連絡がとれるようになっていますので、御一報ください。それなりの御礼を致します。

「三軒茶屋"夢弦"2007/3/17」
1 キャプテンとブラッキー
2 陽炎
3 まひるの夢
4 メリ・ゴ・ラウンド
5 東京ローズ
6 雲雀よ雲雀 
7 モデラート・カンタービレ
8 発明狂時代
9 亀と象と私
10 タンカー'69
E 雨を見たかい?

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
仕事が抜けられず、ラヂキヨは行けませんでした。残念です。キャプテン・フックの音色が聴きたかったなぁ・・・。 (不肖石黒)
2007-03-17 00:32:21
次回こそは是非!
あと、ようやくペガサスが降臨です(笑)
返信する
ジルコンズのサンチャゴです。 (santiago@zircons)
2007-03-17 00:55:04
先日はお世話になりました。ありがとうございました。

ところで、ラヂコンズ企画、乗りますよ(ネーミング見事です)
お互い愉しいことが増える気がします
返信する

コメントを投稿