今時の若い奴ら――を僕は、凄いと思っている。ピンからキリまで存在するのはどの世代も同じだが、映像文化やインターネットウェブの恩恵か、知識量でいえば僕以上の世代など比ではない。膨大な知識は、その統合を呼ぶ。彼ら(君ら)の合理的精神によって照らされたら、僕はたぶん江戸時代側に属する。
それでも僕が自身の世代に生まれて良かったと思えることを捻り出すとしたら、そうだな、情報なきがゆえ奇妙なシャドウボクシングを重ねてしまい、変な名人になれる可能性に満ちていたことかもしれない。僕は小説を生業にしているが、いずれ情報がこんなにも潤沢に入手できる時代が来ると知っていたなら、手持ちの僅かな本を暗記するまで読むことなどしなかった。辞書を前から読んで漢字を練習したりもしなかった。
音楽に関しても然り。Weather ReportのLPを買えて、あるいは友達が持っていて、その音楽を聴けるというだけで幸運。動いているジャコの映像を気軽に観られる日が来るなんて夢にも思わなかったから、その指の動きは音から類推(誤解)する他なかった。これは出版業界、音楽業界の人々も同様で、たとえコピー譜が売られていても、間違いだらけである確率が圧倒的に高かった。
例によって石黒くんを出しにする。ソロを弾いている時の僕のポジション移動の激しさに、彼は驚いていた。云われてみれば音数のわりに激しい。わざわざネック半分くらい移動して、所詮同じ音程を出しているなんて事がままある。非合理的だ。言い訳すればそれは一つに、別の気分への「鍵を開けて」いるのだが、非合の理を弁解するのは難しい。
せんの「変な名人」論に話を寄せれば、合理的思考においては困難とされる音使いを、子供の頃から癖にしており、他人から指摘されて初めて「これって難しいの?」と気づく人が、ギター独習者には多い。よく教則本に、薬指はこうで次に小指がこう――相当な練習が必要、等とある。しかし音だけから運指を類推していた世代は、動き易い他の指をひょいと目的地に跳ばしてしまう傾向がある。
二十代半ば、ギターの腕が上達しない事に痺れを切らした僕は、プロのロックギタリストのレッスンを受けた。彼は僕のチョーキングを変だと云い、「次にこの音が来たらどうするの」と訊いた。具体的にどの絃をどうしたのか忘れたが、「こうしていますが」と同じ指を逆反りさせてその半ばで押さえたら、「君、それ直さなくていい」と云ってくださった。
同ギタリストはバンドが忙しくなってしまいレッスンはすぐに途絶えたが、「音が出るなら良し」として、無理に癖を矯正されなかった事に、今となっては感謝している。
癖の、別の一端を御紹介。これは以前書いた「覚えやすいドレミ」の話に繋がる。
(a) +●+●+-+●+
(b) +●+-+●+-+●+
こういった音列を弾くとき通常は、人差、中、小指、を使う。僕もそうだ。
ところが、
(c) +●+-+●+●+
この音列となると、僕は必ず、人差、中、薬指になってしまう。教則本的には、人差、薬、小指、だろう。これは僕がギター弾きであるにも拘わらず、コントラバスの運指を基準にしているからで、コントラバスというのは、
+●+●+●+
を、人差、中、小指で押さえる。スケールが長いからね。厳密には薬指も小指を補助している。人差指はぴんと伸びている。この指の形のままギターに持ち替えると、(b)になる。いや正確には、
(d) +●+-+●+●+●+
という形になる。だから自然に、(c)の音列は、人差、中、薬指となる。(a)音列やクロマティックの時は、伸ばしていた人差指を縮めるイメージ。
メリットもデメリットも有る。少なくとも僕に、今の押さえ方は指が動き易いし、指板も把握し易いのだが、3フレットくらいの間にぎゅっと凝縮されたフレーズやコードは、さあ弾くぞ、と気合を入れないと弾けなかったりする。
それでも僕が自身の世代に生まれて良かったと思えることを捻り出すとしたら、そうだな、情報なきがゆえ奇妙なシャドウボクシングを重ねてしまい、変な名人になれる可能性に満ちていたことかもしれない。僕は小説を生業にしているが、いずれ情報がこんなにも潤沢に入手できる時代が来ると知っていたなら、手持ちの僅かな本を暗記するまで読むことなどしなかった。辞書を前から読んで漢字を練習したりもしなかった。
音楽に関しても然り。Weather ReportのLPを買えて、あるいは友達が持っていて、その音楽を聴けるというだけで幸運。動いているジャコの映像を気軽に観られる日が来るなんて夢にも思わなかったから、その指の動きは音から類推(誤解)する他なかった。これは出版業界、音楽業界の人々も同様で、たとえコピー譜が売られていても、間違いだらけである確率が圧倒的に高かった。
例によって石黒くんを出しにする。ソロを弾いている時の僕のポジション移動の激しさに、彼は驚いていた。云われてみれば音数のわりに激しい。わざわざネック半分くらい移動して、所詮同じ音程を出しているなんて事がままある。非合理的だ。言い訳すればそれは一つに、別の気分への「鍵を開けて」いるのだが、非合の理を弁解するのは難しい。
せんの「変な名人」論に話を寄せれば、合理的思考においては困難とされる音使いを、子供の頃から癖にしており、他人から指摘されて初めて「これって難しいの?」と気づく人が、ギター独習者には多い。よく教則本に、薬指はこうで次に小指がこう――相当な練習が必要、等とある。しかし音だけから運指を類推していた世代は、動き易い他の指をひょいと目的地に跳ばしてしまう傾向がある。
二十代半ば、ギターの腕が上達しない事に痺れを切らした僕は、プロのロックギタリストのレッスンを受けた。彼は僕のチョーキングを変だと云い、「次にこの音が来たらどうするの」と訊いた。具体的にどの絃をどうしたのか忘れたが、「こうしていますが」と同じ指を逆反りさせてその半ばで押さえたら、「君、それ直さなくていい」と云ってくださった。
同ギタリストはバンドが忙しくなってしまいレッスンはすぐに途絶えたが、「音が出るなら良し」として、無理に癖を矯正されなかった事に、今となっては感謝している。
癖の、別の一端を御紹介。これは以前書いた「覚えやすいドレミ」の話に繋がる。
(a) +●+●+-+●+
(b) +●+-+●+-+●+
こういった音列を弾くとき通常は、人差、中、小指、を使う。僕もそうだ。
ところが、
(c) +●+-+●+●+
この音列となると、僕は必ず、人差、中、薬指になってしまう。教則本的には、人差、薬、小指、だろう。これは僕がギター弾きであるにも拘わらず、コントラバスの運指を基準にしているからで、コントラバスというのは、
+●+●+●+
を、人差、中、小指で押さえる。スケールが長いからね。厳密には薬指も小指を補助している。人差指はぴんと伸びている。この指の形のままギターに持ち替えると、(b)になる。いや正確には、
(d) +●+-+●+●+●+
という形になる。だから自然に、(c)の音列は、人差、中、薬指となる。(a)音列やクロマティックの時は、伸ばしていた人差指を縮めるイメージ。
メリットもデメリットも有る。少なくとも僕に、今の押さえ方は指が動き易いし、指板も把握し易いのだが、3フレットくらいの間にぎゅっと凝縮されたフレーズやコードは、さあ弾くぞ、と気合を入れないと弾けなかったりする。
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