ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

殺しすぎ

2006-12-19 21:34:42 | 作詞作曲
 昨日の続き。帰宅中の電車のなか、寄りかかってくる酔払いを睨み返している女性など眺めながら、また一節を思いついてメモする。

ゆうべ夢をみたよ
貴方も出てきたよ
私も出たらよかったかな
夢なら出ても許されたかな

 なにか身も世もない感じだが、そうそう書けない言葉であって、嫌いになれない。よって採用とする。語調がこれまでと違うので、いわゆるBメロにはまるだろう。
 歌詞においてアリかナシかの、僕のなかでの基準は、大正浪漫を感じるか否か、であったりする。大正文化はある種、恨みの文化であって、その表明の仕方に実に長けている。そういった気分になれるか否かを、いつも重く見る。
 帰宅後、追酒で身を苛めつつ、最初に思いついた一節のもじりを思いつく。

一番の魔女は王子を殺し
二番めの魔女も王子を殺し
その次の魔女も王子を殺し
私のもとには蛙しかいない

 いささか悪ふざけが過ぎるようにも思うが、「一番の美女は――」のリフレーンに乗せるには悪くない。ただ「殺し」という言葉の、前節との重なりが気になる。
 ここでいったん放置。仕事に戻り、眠る。
 翌日、ギターを弾きながら想定していたコード進行やメロディに乗せて歌ってみる。ここで初めて、イちばんの魔女、と歌うのか、いチばんの魔女、と歌うのかが決まる。一番のAメロと二番のAメロを、まったく同じにするという事を僕はしない。言葉本来のイントネーションに合わせて、最初はA、次はA'、とメロディを変えてしまう。
「昔の話」は「昔話」にしよう、といった細かな判断と同時に、意外に言葉を詰め込みすぎている事に気づき、ではAメロを分割しよう、などと思いつく。
 もう一つ、二度目のAメロについては、色々と書いては消した挙句、擬音を使った以下を採用する方針。

ごとごとを客車は躯を
どこまで連れていくんだろう

かたかたと揺れる硝子には
何が映り、透けてるんだろう

 擬音、を使いたかった。その歌唱における変形ぶりを見たかったと云うか――。
「躯を」は最初「私を」と思いついた。私、私、とうるさい歌詞だと思い、「心を」にしてみたが、違うと思い、対義に近い「躯を」とした。不思議とそのほうが意味が通った。
 ほぼ同時に「殺し」の重なりすぎへの解決もついた。

一番の魔女は王子を盗み
二番めの魔女も王子を盗み
その次の魔女も王子を盗み
私のもとには蛙しかいない

「殺し」ほど直裁ではないし俗っぽい気もするけれど、なによりヌスミという語感が良い。
 パーツが出揃った。

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2 コメント

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 誉められてる……んだよね? (tsuhara)
2006-12-20 13:35:26
 どちらかといえば皆川博子『総統の子ら』のイメージなんですが、hydeさんも文学好きっぽいから着想の素は近いのかも。
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Unknown (na)
2006-12-22 02:34:09
『総統の子ら』よりは、hydeの方が古いと思われますが……Vivid Colorsしかり、winter fallしかり。hydeは仏文の影響を受けているらしいですが、そちらはどうも明るくないので。
線路と硝子と羽のイメージはhydeの三大モチーフですから、私の戯言はお気になさらず。
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