Dの嵐 

だいさくな日々

もう一つの訃報

2013-07-30 16:17:51 | Weblog

年々歳を重ねてくると 周りの人や同級生 そして知人 その上自分たちの親の年齢に良く訃報を聞く
有っては成らない事でも 運命と宿命 そして天命には逆らえず 天に召されてしまう
フッと思い出すと もう彼女とは12年近くのお付き合いになる
三原出身で宮崎県に嫁がれて 毎年郷里の三原に帰省されていたし SNSのミクシーと言うのでメッセージを頂いた
その方はY美さんと言う方で 苗字は知らないと言うより聞いたんだろうが思い出せないくらい昔の知り合いなのである
昨年末と 今年初めには 携帯の電話や携帯のメールで 「元気ですか」とか「又帰省したときにはお見舞いに行きます」とか
温情の有る人で 真っ直ぐな人だったと記憶をし そして互いに励ましあっていた
今年の1月にY美さんのブログが更新されてからと言うものの その後は一切更新がされなかった
しかし年明けに話をしていた僕は さほど更新のない事にも気にかけてはいなかったのだ
そして・・・この夏僕は手術をするので お盆の頃は三原に居ないと思い彼女にメールをしたらエラーで戻ってきた
そして僕は彼女の携帯にも電話をしたが使われていないと言う答えが返ってきたのである
段々とそうしている間に変な胸騒ぎがしてきて 彼女はどうしたんだろうかと考えていたのだった

乳癌(にゅうがん)と言う病気に知り合った頃から彼女は戦っていた

そして彼女の消息をたどるべく 彼女のSNSのミクシーのメッセージに登場する友達に 思い切ってメールをしてみた
すると 彼女の友達から意外なほどに早く僕に返信を頂いたのである

大変 悲しいお知らせになってしまいます。
ゆみままさんは、3月7日(木)22時16分、入院中の病院から天国に旅立ってしまわれました。 とメールを頂いたのである

乳癌との闘病生活に結果彼女は天に旅立ったと言うメールを頂き 一気に虚無感に襲われたのである
彼女と知り合って程なくして僕も腰の調子が可笑しいと彼女に相談をメールでしていたときのこと
彼女は病院へ行くことの大切さと セカンドオピニオンをすることの2点を僕に教えてくれた
そして数年後黄色靭帯骨化症と言う事が解り 手術を下の治療に三原の病院へ帰ってきた僕
お盆で帰省していた彼女は 僕の病室のわざわざお見舞いを言いに来てくれたのである
そして その時 特定疾患なんかに負けないで 私は今も乳癌と戦っているんだから お互い頑張ろうね と
互いを励ましあったのであったが 完治は無くても永らえる事と思っていた矢先に 変な胸騒ぎが当たってしまって
宮崎の何処に住んでられるかも解らない友人では有ったけれど 今朝もその方向へ向いて 手を合わせた
前向きに戦う姿勢を崩さず ホント痛くても愚痴をせず 泣き言も言わない そんな彼女に見習う事が多かった
その彼女が・・・旅立ったと言う訃報を聞いたのは今朝の事だった
彼女の分までとは言わないが 世の中にはいろんな病気と戦っている方が居る事も確か
そうした皆様が皆良くなると思いたいけれど 運命とは過酷なもので思いは一切関係しない
どうか安らかに眠ってください 今日まで有難うございました 由美子さん

 

 



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