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まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!56

2009-06-03 17:14:00 | 音楽
ちょっと、大変な状況です。ピンチです。いつまで書けるか・・・
私と小○君は、いろんな問題を解決しながら工事を進めて行きました。

現場の条件はあまり良くなくて、大変な工事でしたけれども工事は終盤で工程を取り戻す事が出来ました。

そこでの、不思議な出来事は・・・・・

これ、話していいんだろうか?  ま、いいか? あんまり怖がらないでくださいね。

現場の隣に12階建てのビルがあるんですけど、私は、仕事の関係上そのビルの前を通らなければいけないんですけど。

7~8mくらい離れた所を通ると、そのビルの自動ドアが勝手に動くのです。それも連続して20回くらい。

私は、小○君に、

「ちょっと見てくれん。ほら、凄っい動くったいね。自動ドアが・・・」

小○君、

「えーっ!何ですか?これっ!」

私、

「分からんったい。前の福井の会社でもあったったい。何かいなー?」

その現象は、博多の現場で5回ほどありました。

その夜、小○君は、

「○本さん、病院からなんか連れて来たんやないですか?」

私、

「いや、そんな事は無かろー、福井の会社でも同じのがあったけん。」

小○君、

「じゃ、やっぱり○本さん、死ぬ前の不思議な現象じゃないんです?」(笑)

私、

「あんた、変な事ば言いなんなやー、不吉な。」(大笑)
「俺は、まーだ死にとうはないばい。する事のあるけんが」

小○君、

「けど、それがあってから心臓で倒れたんでしょ?」

私、

「うーん、確かにそうやね。でも、あれは大型トラックの違法電波に反応するらしいし、俺は関係ないって思うっちゃけどね。」

小○君、

「でも、○本さんが通る時だけじゃないですか?僕の時はなりませんよ。」
「それに、あんなに何回も勝手に開く自動ドア見た事ないですよ。」

私、

「それもそうやねー。偶然にしては恐ろしいね。」

小○君、

「○本さん、突然、死なんでくださいよ。」

私、

「そえん、言いなんなよ。俺、家に帰ったら一人なんやけんが、夜、怖かろーが。」(笑)
「ま、とにかく用心だけはしとこう。事故やらね起きたら大変やけんが。」

私は、あんまりそんな話は信じないほうですけれど、よく言われるのでちょっと不安でした。前の会社の宮○君も言ってました。

工事は、小○君の大活躍で何事もなく終わろうとしていました。

私達は、2人で飲みに行きました。楽しく飲んでいると、

小○君、

「○本さん、この現場が終わったらどうするんですか?」

私、

「分からん、とりあえず・・・・・アメリカに旅行に行こうと思っとうよ。」

小○君、

「何でですかー?危なくないんですか?この前、テロがあったばかりじゃないですか?」

私、

「うん、でも友達と約束しとうけん。一度は必ず行くって・・・」

小○君、

「途中で倒れたりしないんですか?とにかく、死なないでくださいよ。」

私、

「うん。解った。約束する。」

この、能力もあり気さくで明るく格好いい技術者が、私の事を心配してくれている。有難い事だ。今でも彼の事は感謝している。

                         ・・・・・つづく
















音楽とは!54

2009-06-01 15:35:00 | 音楽
私の記憶が、間違っとうかもしれん?この時は2002年の冬やなー、確か。
って事は、私はいくつかいな?37歳の時やね。
私は、この同僚とすぐに気が合いました。年下とか、同級生の弟とか、同じ町出身とかでは無く、明るく前向きな姿勢や優しい人柄とかです。

彼は、サーファーでした。恥ずかしい話ですが、私たちの町の海はとても綺麗なのですが、私はあまりというか全くと言っていいほど泳げません(笑)

彼は、最初にいろいろと聞いてきました。

「何で辞められたんですか?」

「今、どうやっているんですか?」

「一人で暮らしているんですか?」

私は、お兄さんもお父さんも知り合いで、お世話になったりもしていたので、嘘をついても仕方ないだろうと思い、すべてを話しました。

いろんな事を話していると、私の人生を振り返っているようでした。

私は、彼とは仕事だけじゃなく、プライベートでもよく付き合いました。
彼は、退院したばかりの私に、お酒を飲みに連れていってくれました。

酒を飲みながら、音楽やサーフィン、映画の事などを話しました。
彼は、レゲェが好きでした。

私は、私の車の中でボブ・マーリィーやクラッシュなどのテープを聞かせました。

私は、

「クラッシュはパンクバンドなんやけど、レゲェを演るったいね。」

「その頃は、ロックバンドがレゲェを演るのが流行っていた時期でもあるけど、パンクバンドでレゲェ演ってたのは、クラッシュやねー。またそれが、格好いいったいね。」

「最初に演ったのは、エリック・クラプトンやね。ボブ・マーリィの曲やな。」

「次は、イーグルスやね。ホテル・カリフォルニア。」

「ストーンズもしようよ。」

「ばってん、クラッシュが格好いいよ。あの荒けづりなとことか。」

そんな話をしたと思います。私は、CDを聞かせたりしました。




私たちの現場事務所の近所に、お爺さんとお婆さんが営んでいる小さなお店が在りました。私たちは、そこで夕食ぶんの菓子パンやカップヌードル等を買っていました。

ちょうど1月くらいだったでしょうか?雑誌を立ち読みしていると、確かくだらないゴシップ雑誌か何かだったでしょう?(エロ本かもしれない)(笑)

音楽のライナーを読んでいると、クラッシュのジョー・ストラマーが12月に亡くなったと書かれていました。

再結成する直前であった・・・と言うような記事でした。

                       ・・・・・つづく








音楽とは!52

2009-05-29 13:20:00 | 音楽
気持ち的には、すっかりまいっていますが・・・書く!最後まで書いてみる。






病室で、ベッドに横になりずーっと考えていました。先生の言った事がかなりのショックでした。

(後悔しないように生きる・・・?)

(簡単なようで難しい生き方だ。俺にできるとや?)
(今まで、後悔の連続やったよ。)
(土木屋の息子っていうだけで、理不尽な要求をされたり・・・)
(罵られたり・・・)

(ずーっと、後悔しながら生きている。)

(今でもそうだ。そんなにタフに生きているんじゃないのに・・・)

(見た目はかなりタフに見えるんだろうが?)



数時間、考えた後、とにかく自分がやらなければいけない事を簡単に実行できる事から始める事にしようと思うようになりました。

考えていても、時間は同じように進んで行くんだし、もし、本当に3年間で同じように心臓に異変でもあったとしたら、もたもたしていた時間がまったく無駄になってしまうじゃないか?と結論づけました。

・まず、働く事、

・そして、今まで通り子供の養育費を払う事、

・ちょこっとでも貯金して、アメリカに友人に会いに行く事。

この、3つを実行する事をベッドの中で決めました。私の出来るシンプルな事柄です。他人にとっては、くだらない事ですが、私にとっては重大な決心だったのです。

私は、決心し眠りにつきました。


翌朝、朝食をすませた後、母は10時前には退院の為、迎えにきてくれました。

母は、

「どえんね?調子は?」

私、

「うん大丈夫、早うラーメンば食べたいよ。」
「荷物は、もう全部片付けたけん。挨拶だけして行こう。」

私たち親子は、ナースステーションと先生のところに挨拶をしに行きましたが、先生も診察でいなくて、看護師の江○さんもいませんでした。いろいろとお世話になったのをよろしくお伝えくださいと伝言しました。

病室には、明るいコンビニ経営者の方がおられました。

私、

「今日で退院です。いろいろとお世話になりました。」

コンビニ経営者さん、

「うん、良かったねー!先にモツ鍋ば食うてきない!」(笑)

私、

「とりあえず、長浜に行ってきます。」(笑)

コンビニ経営者さん、

「おっ!良かねー。なら大事にね。」

私、

「○○さんにも、よろしくお伝え下さい。」

コンビニ経営者さん、

「うん、わかった言うとこー。」

私は、病室にいない長老の事をコンビニ経営者さんに伝言し病室を、母と二人で出ました。

支払いをすませて、病院を出るとものすごくいい天気でした。

私は母に、

「車のキーば。」

と言うと、母は、

「大丈夫ね、あんたが運転して?」

私、

「病気で手術したっちゃー、俺の方がまだ母ちゃんよか運転は上手かろーもん。早うキーばやんない。」

母は、キーをだし、私が運転しました。

私、

「やっぱー、外はいいばい。今日は天気もいいし。なら、長浜ラーメンば食べに行こうかね。」

母、

「そうやね。」

私たちは、『元祖 長浜屋』に行きました。

まだ、その頃は本店(今は本店は無くなっちゃいましたけど、支店の方はあります。)の方は食券を買うのではなく、注文でした。

「カタと普通。」

と注文すると、すぐにラーメンが出てきました。食べていると母が、

「私、ここのラーメン屋は初めて来たよ。」

私、

「そうね?連れて来た事なかったかいな?俺は高校の頃からよー来よったよ。ほら、ラグビーが終わってからバイトで魚市場に行きよったろーが。」

母、

「そうやったねー。」

私、

「大体、母ちゃんはラーメンあんまり好きやなかったやん。」

母、

「うん、ばってんここのラーメンは好いとうよ。見た目よかあっさりしとう。」
「美味しか。」

私、

「そうね、そらー良かったたい。」

母は、満足そうでした。
私たちは楽しくラーメンを食べ、家に帰りました。

                          ・・・つづく

                     









音楽とは!51

2009-05-27 21:55:00 | 音楽
今日も1日無駄やったようです。ふぃー・・・
診察室を出た私は、ショックで落ち込んでいました。

何でや?3年間30分圏内って?
ストレスの無い仕事って、あるや?仕事はストレスだらけやないや?
治ってないとかいな?
もしかして、3年間に死ぬ可能性があるとかいな?・・・

など、考えていました。

病室には、母が待っていました。

母は、

「どえんやったとね?」

私、

「うん、明日退院って。」

母、

「そうね!良かったねー。」

私、

「うん、・・・・ただね。」

しばらく、沈黙の後、

「ストレスの無い仕事ばせれって。」


・・・

「そしてね、・・・・この病院から30分圏内で仕事をせれって。」

・・・

母、

「どういう事ね?」

・・・

私は、

「わからん、・・・ただ、3年間は30分圏内におらなーいかん。1年に一度検診にこなーいかんげな。」

「ストレスの無い仕事ってあるとかいな?」

母は、黙っていました。

私は、

「それとね・・・母ちゃん。・・・・・後悔せんごと生きて行けって・・・・・。」

母は、絶句してしまいました。

しばらくして、私は、

「とにかく、その後の事は退院してから考えるけんが。」

私もショックでしたので、母に何か言う事が思い浮かびませんでした。

「明日の10時に向かえに来てくれんね。もう渋滞に巻き込まれるけん、早う帰っとき。そえん心配せんで良かくさ、手術は成功やし、酒もタバコも飲んでいいってやけん。」

「もしも、死ぬごと危険やったら、酒もタバコも飲んだらダメって言いなーよ。」

「ね。だけんが心配せんで事故ば起こさんごと帰っとき。」

「明日は、ラーメンば食べに行こう。」

私は、そう母に言いました。

母は、それを聞くと元気を取り戻し帰って行きました。

                         ・・・・・つづく






音楽とは!50

2009-05-26 23:11:00 | 音楽
私の生活状況は、悪くなってきています。ネットの世界から消えるかもしれなくなってきました。早く書き上げてしまわなくてはいけない状況です。

でも心配しないで下さい。体の方は元気なので、ブログの中の経験は2001年の冬の事です。
福岡の某○立病院で手術の後、検査を終え、最終的な診断をされたのは退院の2日前でした。

循環器科の○村先生から、診察室に呼ばれてお話を聞くことになりました。
この同世代の先生は、私が、

「率直にすべてを話してください。」

と話していたので、入院中よく内容を話してくれました。
検査中も冗談ばかり話していたので、不真面目と思われていたかもしれませんが、私は、この先生の言う事は、静かに聞きました。

○村先生、

「○本さん、手術は成功です。発作はもう起こる事はありません。」

私、明るくなり、

「ありがとうございます。これも、○村先生と○生先生のおかげです!」
「看護師さん達も本当によくしてくれました。」

○村先生は、うなづいていました。

私、

「これからは、酒やタバコは辞めたほうがいいのでしょうか?」

先生、

「いえ、いままで通りで大丈夫です。」

私、

「えっ、そうなんですか?」(ハテ?)

先生、

「ええ、大丈夫です。ただ、激しい運動は控えてくだい。」

私、

「ええ、もうラグビーも引退しましたし、激しい運動はしませんよ。」

「先生、WPW症候群のほうも手術でなおったんですか?」

先生、

「・・・・・無言。」

ほんのちょっと時間をとって、先生はこう言いました。

「○本さん、これからはストレスを感じないような仕事についてください。」

私、

「えっ!それって治っていないって事ですか?」

先生、

「いえ、そうじゃないです。発作は絶対にもう起こりません。」
「手術は成功です。安心して下さい。」

私、

「先生、無理ですよ。今の私達世代でストレスを感じない仕事なんてないですよ。それに私の仕事は特に・・・」

先生、

「とにかくストレスを感じないように・・・」

また、しばしの沈黙の後、先生が、

「それと、3年間は○立病院から30分圏内の場所で仕事をして、一年に一度は検診にくるように御願いします。」


私は、

「30分圏内?それは救急車でって事ですか?」

「先生、はっきり言って下さい!治っていないんですか?」

先生、

「○本さん、落ち着いて!お酒も飲んでいいし、タバコも吸っていいです。今まで通りで構いません。発作も絶対に起きません・・・それしか言えないんです!」

先生は、そう言うと涙目になり、黙ってしまいました。

沈黙の後、私は、

「わかりました。」

とポツリと言いました。

(この先生は真剣に私の事を考えているのだ、しかし、医者の立場としてこの先は言えないのだ。)と察しました。

(こんな大きな病院の権威ある医者でさえ、私の心臓の未来ははっきりと言う事は出来ないんだ。)と・・・

私は、もう一度、

「わかりました。」

とつぶやきました。同世代の先生は、涙目で私を見つめ、こう言いました。

「○本さん・・・これから先・・・後悔、・・・・・後悔しないように・・生きて・・下さ・・い・。」

と、とぎれとぎれに私に言い、回転椅子を壁の方に回し、肩を震わせていました。泣いていたと思います。

私は、

「先生、わかりました。本当にありがとうございました。」

私は診察室を出ました。

私は、先生は真剣に私の事を考えてくれたんだ。でも、これから先の事なんて分かるもんじゃないんだ。先生は本当によくしてくれたんだ。手術室の音楽も、ひょっとしたら先生達が、私の為にプレゼントしてくれたのかもしれない。福井で血を5時間も吐き続け発作をおこした私の為に。

入院して、すぐの頃、ナースステーションの看護師さん達の、まるでバケモノでも見るような顔。

いや、ひょっとして・・・検査中も、大きな待合室でも、廊下でも同じ町内の人達に何人か出会った。町内の人は22で父親を亡くし兄弟で苦労して来た事は知ってるはずだ。なにがしらか話をした人がいるのかもしれない・・・

そんな、私の為に素晴らしいプレゼントじゃないか?音楽が好きな私の為に・・・

私は、そう思いました。



私は、○村先生のメガネ越しに涙を浮かべ

「○本さん・・・後悔、・・・・・後悔しないように・・生きて下さ・・い・。」

と、とぎれとぎれ言った顔を忘れた事はありません。

                      ・・・・・つづく