終わった、終わった
いろんな役割が終わった
と思っていたら
友だちがわたしのことを「姑になったのだ」と言った。
ところでーー
わたしの一番嫌いな言葉が「嫁・姑」。
そうか。
「妻」「母」の役割が終わったら「姑」という役割もあったか。
これこそが問題なのだった。
いやだ、いやだ。
こんな役割はいやだ。
背負いたくない、こんな役割。
明日は自分の家に帰るけど、
今日はまだ「二人の暮らす家」にいる。
わたしの家なんだけど、
もう、わたしのものではないようだ。
友だちのお母さんは
自分の建てた別荘に
やっぱり娘夫婦が暮らし始めた
けど、夏になると
お母さんは威張ってやってきて
一日じゅう、大きな音でテレビを見ている
夏の終わり。お母さんが帰ると
友だちは言う「やっと帰ったわ」
これだ、わたしがわたしに禁じている構造。
こんなこと言われる存在にならない構造でありたい。
そのためにはどうすりゃいいんだ
今日の思案はここまで。
明日はもう一人の息子の住む都会へ
居場所は離れているけれど
間違いなく「お嫁さん」に接触することになる・・・・
ああ「姑」。
なんていやな言葉。
いろんな役割が終わった
と思っていたら
友だちがわたしのことを「姑になったのだ」と言った。
ところでーー
わたしの一番嫌いな言葉が「嫁・姑」。
そうか。
「妻」「母」の役割が終わったら「姑」という役割もあったか。
これこそが問題なのだった。
いやだ、いやだ。
こんな役割はいやだ。
背負いたくない、こんな役割。
明日は自分の家に帰るけど、
今日はまだ「二人の暮らす家」にいる。
わたしの家なんだけど、
もう、わたしのものではないようだ。
友だちのお母さんは
自分の建てた別荘に
やっぱり娘夫婦が暮らし始めた
けど、夏になると
お母さんは威張ってやってきて
一日じゅう、大きな音でテレビを見ている
夏の終わり。お母さんが帰ると
友だちは言う「やっと帰ったわ」
これだ、わたしがわたしに禁じている構造。
こんなこと言われる存在にならない構造でありたい。
そのためにはどうすりゃいいんだ
今日の思案はここまで。
明日はもう一人の息子の住む都会へ
居場所は離れているけれど
間違いなく「お嫁さん」に接触することになる・・・・
ああ「姑」。
なんていやな言葉。