一年生で福岡に引っ越した時
確か「中島ヒコーキ」の社宅に
住むことになったと
記憶しているのは
とても不思議なのです
というのは父が勤めだしたのは
長崎の炭鉱事務所だったから。
姉は「それは中島炭鉱」よと
いうのですが
それならなぜ私は
「中島ヒコーキ」という名を
覚えることになったのか
わからないのです。
確かに炭鉱に勤めていた父ですから
飛行機であるはずもありません
が
幼い私の強い記憶の中では
どうしたって「中島ヒコーキ」なのです
福岡は雑餉隈
そしてとても立派な社宅
いくつも並んでいました
今はヤフー地図で見ると
マンションがびっしりのようです
でも
私にとってはやっぱり
「中島炭鉱」よりは
「中島ヒコーキ」のほうが
懐かしいのです。
戦争の始まった頃で
そろそろ食料が
尽き始め
やがて日本が恐るべき時代に
突入してゆく
その少し前
「嵐の前の静けさ」
の時代のはなしです・・・