人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

車内でケータイ

2017年10月31日 | 旅行

新幹線のなかでーー

前の席のおばさんが大きな声で

ケータイでしゃべってるんです。

発車前とはいえ、じっと我慢していたのですが

動き出してもしゃべってる。

とうとう我慢の限界。

立ち上がっておばさんの耳元に

「もすこし小さい声でお願いします」・・・

なんて遠慮深い言い方なの

われながら腹立たしいけれど

どこかのおっさんみたいに怒鳴ったりは

できません・・・

そのおばさん、やっと声を小さくしたのですよ。

これが私なら

と思いました

恐縮してすぐ電話切って

「すいません」なんて

頭下げちゃいそう。

とまあ、

思っていたら帰りの新幹線の中では

後ろの席のおばさん二人が

なんとも大きな声でしゃべり倒している

のでした。

これはケータイではないから仕方ない

ことなんでしょうか

こんなに大声で間断なくしゃべる・・・

日本人でしたよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


ちよっと不便な東京駅

2017年10月30日 | 旅行

 小旅行で山手線東京駅を利用しました

思い荷物とキャリーの客にとって

ここは思いの外

不便でしたね。

というのは

「下のエスカレーター」がないのですよ。

エレベーターはというと

なんとホームの一番はしっこにぽつんと

あるだけ。

気がつかない人だっているでしょう。

品川駅も目黒もその他少しは大丈夫ですが

山手線以外では例えば御茶ノ水駅でも

階段だけだから

荷物抱えてふうふう言いましたね、

若い人だけが対象の駅なんですかね。

ま、学生が多いからいいや

となったのでしょうかね。

しかーし。

なんたって最高に不便な駅は

東横線渋谷ですよ!!

もう、あんな駅金輪際

利用したくないですね。

いくら若い人が多い駅だからって

あんな地下深くから延々

階段を上るなんて。

もちろん、宮益坂まで出る気なら

ぐるぐる回ってエスカレータは

ないことはないのです

けれどねーー

と、不満の多い駅の話でございました。

 

 

 

 


茶番劇

2017年10月25日 | ニュース

国民、というか民衆というか

民意、というか・・・

つまり日本人全体は

そんなに平和ぼけではなかったのかな

とも思わせる

選挙結果だったと思いましたね。

とりわけ民進党の瓦解の素晴らしさ(?)には

あっけにとられました

票欲しさに右往左往

党首みずから自分の党を投げ捨てて

しまうなんて

庶民の私はびっくり。

おやおや

どうなってんの、と同時に

底が知れるとはこんなものです。

けれどこんなふらふらした節操のない人でも

地元で当選しちゃうんですねぇ。

地元ってなんでしょうねえ。

まあ、驚くべき茶番劇でしたが

さすがにどっしりとして

日本をまだしも支えてくれそうな党が

圧勝しました。

でも総理に笑顔はなかった、

というのは

真実を見ているからかもしれしません。

「国民」の怖さ、という真実。

見抜いてしまうという真実。

あれだけメディアが「ハンアベ」と絶叫しても

やはり「国民」は騙されなかった

その怖さを身にしみて知ったからこそ

ーーではないのかな

勝手に想像しました。

ともあれ

「九条」が日本を守るなんて

幻想を抱いている人たちに

この国をまかせたら、と思うと

ぞっとします・・・・

茶番劇は

いつまで続くのでしょうね。

 

 


石見銀山回想

2017年10月24日 | 旅行

昨日は清里回想を書いたので

今日は石見銀山回想です・・・

かつて静もりかえっていた

あの歴史を背負った銀山の町並み

しんとして物音一つ聞こえず

誰にも出会わず

せせらぎの音と

ときたまの小鳥の声と

夏空から時折吹く涼しい風さえ

なにごとか囁くようでさえあった

あの里が

今は観光客でひしめいているようですね。

はるかに見通せるあの一本道を

竹下通りみたいに人が歩く光景は

あまり見たくない・・・

とはいえこれは

地元の人たちにとっては

無条件の喜びでありましょうから

他所の人には発言権はないのかも。

ただただ

残念です!と

歯噛みするばかりなのは

立山も清里もそして

あの神聖な熊野古道さえも

同じなのかもしれませんね。

でもーー

残念です !!!

 

 

 

 

 

 


清里回想

2017年10月23日 | 日記

昨日「立山回想」を書いたので

今日は「清里回想」・・・

これまた半世紀昔の話。

小海線・清里駅の周辺は

ただ一面の高原で

見渡す限り緑の斜面

そのかなたにぽつんと

清泉寮の赤い屋根が見えている

そんな風景で

人家はあたりにまったく見えなかった・・・

あまりの美しさについ下車して

高原を歩いて行くと

向こうから大きな草刈り鎌をかついだ

まるで

猛々しい神のような風貌の若者が

颯爽と降りてきたのでした。

私にとっての清里はこれです。

決してキャンディーの箱をひっくり返したような

ペンション全盛期の

駅に若い女性がきゃあきゃあと群れるような

清里ではありません。

そしてまた今は寂れて

竹下通りがそのまま廃墟になったような

哀れな姿の清里でもありません。

あの頃の清里はその名の通り

ほんとうに「清らかな」「里」だったのです。

私の清里は泣いています。

半世紀ーー

清里の上に流れた時間は

なんと無残であったことでしよう・・・