12/24
旅の思い出として、記す。
世間はクリスマス。
しかしそんな雰囲気とは無縁の私。
人生山があれば谷もあり、いいこともあれば悪いこともある。
23日の夕方、突発的にどこかに行きたくなった。
どこかに行きたい。
無意識のうちに格安航空券を探していた。
さすがに海外は無理だ、国内のどこかに行きたい。
スカイスキャナーで1番安い航空券を探し、翌日のチケットを購入した。
期間は三泊。
三泊程度なら荷物は少ない。
バックパックでは大きすぎるので、1番小さいスーツケースに荷物を詰め眠りについた。
翌朝、LCCに乗るために第三ターミナルへ。
第二ターミナルと第三ターミナルを繋ぐ通路には、世界中の写真と、短いメッセージがプリントされた写真が飾られている。
私はここの写真を見るのが大好きだ。
一枚一枚眺め、自分が行ってきた国を思い出す。
第三ターミナルに到着し、荷物を預けて出発を待つ。
クリスマスのせいか、空港は賑わっていた。
続々と飛行機が離陸し、目的地へと飛びたって行く。
飛行機は窓側だったため、窓から先に飛び立っていく飛行機を眺め続ける。
たくさんの旅人を乗せ、飛び立つ飛行機。
あの飛行機はどこに行くのだろうか。
ぼんやりと考えながら眺め続け、自分の乗る飛行機も飛びたった。
世界一周から帰国して、国内ひとり旅に行くのはこれが初めてだ。
帰国してからあっという間に時が過ぎ、半年も経っていた。
帰国したのは夏だったが、季節が移り変わり、今は冬だ。
この半年の間に本当に沢山のことがあり、色んなことを考えた。
楽しいことばかりではない。
辛いこともあった。
眼前に広がる雲の海を眺めていると、涙が溢れた。
なんの感情かわからないのだが、涙が溢れて止まらなくなっていた。
溢れ出す涙を止める必要はない。
泣きたい時は泣くのが1番だ。
雲を眺めながら、ただ感情のままに涙を流し続けた。
三時間のフライトを経て、飛行機は目的地に到着した。
大好きな場所、沖縄だ。
沖縄は私のとって特別な場所だ。
5、6年ほど前にも突発的に沖縄に行ったことがあった。
離島の民宿に泊まり、民宿の人やリゾバの人たちと飲み、みんなで夜の海でシュノーケルをした。
多くの人たちの優しさに触れ、悩みはすっかり消えていた。
帰り際に、民宿のお母さんの
「辛いことがあったら、いつでも来なさい」
この言葉が嬉しかったのをよく覚えている。
飛行機から外に出てビックリ。
太陽がギラギラと照りつけ、夏のような日差しだ。
暑くて当然、この日の最高気温は25度もあったのだ。
年末で25度って……
今回は本当に何も決めずに来てしまったため、空港に着いてから何をしようかな、ととりあえず考えることに。
しかし考えたところで何かいい案が出るわけがない。
とりあえずゆいレールに乗り、国際通り方面へ向かうことにした。
スーツケースをゴロゴロ転がしながら、県庁前駅で下車。
着いた先は、対馬丸記念館だ。
対馬丸とは、集団疎開をするために多くの児童を乗せた大型の貨物船のことだ。
しかし出航後に対馬丸はアメリカ軍の攻撃を受け、沈没してしまう。
これによって多くの児童が亡くなった。
把握しているだけでも人以上が亡くなっており、正確な数は未だに不明らしい。
受付にスーツケースを預け、館内を見て回る。
沖縄戦が悪化すれにつれ、女性、子供、老人は沖縄以外の本島へと疎開させよ、と命令がくだされる。
中には両親と離れるのを嫌がり、対馬丸に乗船直前まで泣いて嫌がった子供達もいるそうだ。
そんな我が子をなんとかながめすかし、安全を祈って多くの親たちが我が子を対馬丸に乗せた。
「先に行っているから、あとでまた会おう」
まさかそれが最後の言葉になるなんて、誰がその時予想しただろうか。
アメリカ軍の攻撃により対馬丸は敢え無く沈没。
何千人もの尊い命が失われたが、幸運にも生き残った人達もいる。
しかし彼らは自分だけが生き残ってしまったことに罪悪感を感じ続けたという。
なんの罪もない人々が死に、罪悪感に苛まれる。
戦争によって生まれるものは悲しみと絶望しかない。
亡くなった人たちの写真と、生き残った人たちが亡くなった人たちへ捧げた詩を読んでいると、涙がこぼれた。
沖縄の人たちはみんな優しく、海も街並みも大好きだ。
しかし戦時中はここは戦火に呑まれ、那覇市は廃墟と化した。
沢山の人の犠牲の上に今の沖縄がある。
過去を知り、この悲劇を2度と繰り返してはいけないと強く感じた。
対馬丸記念館を見終え、外に出ると雨が降っていた。
また雨か…
自分であまり言いたくないが、私は雨女だと思う。
雨、時には台風にかち合うときもある。
ここから近くにビーチがある。
雨の中のビーチってなぁ…
どうしようか悩んだが、せっかくなのでビーチへと向かって歩き出した。
ビーチに着くと、雨足は更に強くなってきた。
波は白波を立てており、美しいビーチを見てのんびり、なんて雰囲気は皆無だ。
落胆に暮れながらもビーチを眺めていると、近くにいた男性に話しかけられた。
近所に住むという男性は、仕事が休みだから海に来たらしい。
しかしあいにくのこの天気。
二人で世間話をしながら、雨が落ち着くのを待ち、雨足が弱くなったところで彼に別れを告げて国際通りへと向かうことにした。
フードをすっぽりとかぶり、足早に進む。
国際通りは沖縄で1番有名な通りだろう。
1.6キロに及ぶ通りには多くの店が軒を連ね、観光客の呼び込みに余念がない。
賑やかな通りは避け、私は路地裏に進んで行った。
観光客向けの通りはあまり興味がないので、奥にある地元の人が集う飲屋街に行きたかったのだ。
国際通りから2キロほど歩いたところ、牧志公設市場近くにある飲み屋通りに到着した。
まずはお腹が空いたので適当に目に入った沖縄そば屋へ入ることに。
店内はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、ディープな感じに興味が湧いたのだ。
カウンターにいた店員の女性に沖縄そばを頼む。
390円。
最高♡♡♡
少しぬるめだったが、そばは美味しかった。
そばを堪能したところで店を出て、次は店の前の立ち飲み屋で飲むことにした。
ここにいるお客さんはみんな沖縄の人のようだった。
賑やかな雰囲気と、少し酔いが回ったせいか気分が良くなって来た。
一杯で酔ってきたため、立ち飲み屋を後にした。
再び国際通りに戻り、ある人と待ち合わせのために集合場所へと急いだ。
ノープランの旅だが、一つだけ決めていたことがあった。
それは何か?
カウチサーフィンをやる。
サーフィンといっても波乗りのサーフィンではない。
カウチはソファーのこと、つまりソファーを渡り歩く、ということだ。
カウチサーフィンは欧米を中心に世界中にユーザーがいる。
簡単に言ってしまえば、旅人がその地に住む人の家に泊まる、というサービスだ。
基本的に無料。
そして地元の人のため、色々な情報を教えてもらえるのだ。
日本ではあまりユーザーはいないが、那覇市に感じの良さそうなユーザーを見つけたので連絡をすると、すぐに快諾をしてくれた。
待ち合わせに到着すると、仕事帰りの今回お世話になる男性が待っていた。
彼は生粋の沖縄っ子。
そしてカメラマンだ。
軽く挨拶を交わし、彼の車に乗り込んだ。
私は人によっては人見知りするのだが、彼はとても話しやすかった。
アメリカに留学し、中南米を放浪していたという彼。
今までに日本人、外国人を問わず20人以上を家に泊めたという。
同じように海外を放浪していた身として、彼の話しが面白くない訳がない。
会ってすぐに打ち解け、車内でずっとおしゃべりを続けた。そしてあっという間に目的地のアメリカンビレッジに到着した。
ここは沖縄の北谷にある巨大な娯楽施設だ。
クリスマスのため、敷地内はイルミネーションがキラキラと輝きとても綺麗だった。
軽めのタコス。
うまし。
カメラマンの彼。
写真を撮るからこっち向いて!と、何度もシャッターを切った。
私も写真を撮るのは好きだが、撮られ慣れてはいない。
引きつった笑顔をしながら、微妙なポーズを取り続けた。
アメリカンビレッジは米軍施設が近いせいか、アメリカ人が多い。
多くのアメリカ人達が、同じようにクリスマスを楽しんでいた。
まさかこんなに綺麗なイルミネーションを見れるなんてなぁ…
ぼんやりとイルミネーションの光を眺めていると、
「こっち向いて!」
と彼に声をかけられ、ふと我に返った。
夜景を堪能したところで、彼のご自宅に向かう。
家に着くと彼のお父さんが起きており、挨拶を交わす。
もう20人以上も家に旅人を泊めているせいか、お父さんはさして驚きもせず軽く会話を交わすだけだった。
その日の夜は、オリオンビールを飲みながらいろんな話をした。
何故カウチサーフィンを始めたのか、
仕事はどんな感じなのか、
アメリカでの留学生活のこと
話は尽きず、深夜の2時までずっと話をしていた。
笑いすぎて声が枯れてしまい、眠る頃にはおかまのような声になっていた。
笑うと元気になるなぁ。
沖縄1日目から笑いまくり、満足した気分でその日は就寝。
旅の思い出として、記す。
世間はクリスマス。
しかしそんな雰囲気とは無縁の私。
人生山があれば谷もあり、いいこともあれば悪いこともある。
23日の夕方、突発的にどこかに行きたくなった。
どこかに行きたい。
無意識のうちに格安航空券を探していた。
さすがに海外は無理だ、国内のどこかに行きたい。
スカイスキャナーで1番安い航空券を探し、翌日のチケットを購入した。
期間は三泊。
三泊程度なら荷物は少ない。
バックパックでは大きすぎるので、1番小さいスーツケースに荷物を詰め眠りについた。
翌朝、LCCに乗るために第三ターミナルへ。
第二ターミナルと第三ターミナルを繋ぐ通路には、世界中の写真と、短いメッセージがプリントされた写真が飾られている。
私はここの写真を見るのが大好きだ。
一枚一枚眺め、自分が行ってきた国を思い出す。
第三ターミナルに到着し、荷物を預けて出発を待つ。
クリスマスのせいか、空港は賑わっていた。
続々と飛行機が離陸し、目的地へと飛びたって行く。
飛行機は窓側だったため、窓から先に飛び立っていく飛行機を眺め続ける。
たくさんの旅人を乗せ、飛び立つ飛行機。
あの飛行機はどこに行くのだろうか。
ぼんやりと考えながら眺め続け、自分の乗る飛行機も飛びたった。
世界一周から帰国して、国内ひとり旅に行くのはこれが初めてだ。
帰国してからあっという間に時が過ぎ、半年も経っていた。
帰国したのは夏だったが、季節が移り変わり、今は冬だ。
この半年の間に本当に沢山のことがあり、色んなことを考えた。
楽しいことばかりではない。
辛いこともあった。
眼前に広がる雲の海を眺めていると、涙が溢れた。
なんの感情かわからないのだが、涙が溢れて止まらなくなっていた。
溢れ出す涙を止める必要はない。
泣きたい時は泣くのが1番だ。
雲を眺めながら、ただ感情のままに涙を流し続けた。
三時間のフライトを経て、飛行機は目的地に到着した。
大好きな場所、沖縄だ。
沖縄は私のとって特別な場所だ。
5、6年ほど前にも突発的に沖縄に行ったことがあった。
離島の民宿に泊まり、民宿の人やリゾバの人たちと飲み、みんなで夜の海でシュノーケルをした。
多くの人たちの優しさに触れ、悩みはすっかり消えていた。
帰り際に、民宿のお母さんの
「辛いことがあったら、いつでも来なさい」
この言葉が嬉しかったのをよく覚えている。
飛行機から外に出てビックリ。
太陽がギラギラと照りつけ、夏のような日差しだ。
暑くて当然、この日の最高気温は25度もあったのだ。
年末で25度って……
沖縄最高だろ\(^o^)/
今回は本当に何も決めずに来てしまったため、空港に着いてから何をしようかな、ととりあえず考えることに。
しかし考えたところで何かいい案が出るわけがない。
とりあえずゆいレールに乗り、国際通り方面へ向かうことにした。
スーツケースをゴロゴロ転がしながら、県庁前駅で下車。
着いた先は、対馬丸記念館だ。
対馬丸とは、集団疎開をするために多くの児童を乗せた大型の貨物船のことだ。
しかし出航後に対馬丸はアメリカ軍の攻撃を受け、沈没してしまう。
これによって多くの児童が亡くなった。
把握しているだけでも人以上が亡くなっており、正確な数は未だに不明らしい。
受付にスーツケースを預け、館内を見て回る。
沖縄戦が悪化すれにつれ、女性、子供、老人は沖縄以外の本島へと疎開させよ、と命令がくだされる。
中には両親と離れるのを嫌がり、対馬丸に乗船直前まで泣いて嫌がった子供達もいるそうだ。
そんな我が子をなんとかながめすかし、安全を祈って多くの親たちが我が子を対馬丸に乗せた。
「先に行っているから、あとでまた会おう」
まさかそれが最後の言葉になるなんて、誰がその時予想しただろうか。
アメリカ軍の攻撃により対馬丸は敢え無く沈没。
何千人もの尊い命が失われたが、幸運にも生き残った人達もいる。
しかし彼らは自分だけが生き残ってしまったことに罪悪感を感じ続けたという。
なんの罪もない人々が死に、罪悪感に苛まれる。
戦争によって生まれるものは悲しみと絶望しかない。
亡くなった人たちの写真と、生き残った人たちが亡くなった人たちへ捧げた詩を読んでいると、涙がこぼれた。
沖縄の人たちはみんな優しく、海も街並みも大好きだ。
しかし戦時中はここは戦火に呑まれ、那覇市は廃墟と化した。
沢山の人の犠牲の上に今の沖縄がある。
過去を知り、この悲劇を2度と繰り返してはいけないと強く感じた。
対馬丸記念館を見終え、外に出ると雨が降っていた。
また雨か…
自分であまり言いたくないが、私は雨女だと思う。
雨、時には台風にかち合うときもある。
ここから近くにビーチがある。
雨の中のビーチってなぁ…
どうしようか悩んだが、せっかくなのでビーチへと向かって歩き出した。
ビーチに着くと、雨足は更に強くなってきた。
波は白波を立てており、美しいビーチを見てのんびり、なんて雰囲気は皆無だ。
落胆に暮れながらもビーチを眺めていると、近くにいた男性に話しかけられた。
近所に住むという男性は、仕事が休みだから海に来たらしい。
しかしあいにくのこの天気。
二人で世間話をしながら、雨が落ち着くのを待ち、雨足が弱くなったところで彼に別れを告げて国際通りへと向かうことにした。
フードをすっぽりとかぶり、足早に進む。
国際通りは沖縄で1番有名な通りだろう。
1.6キロに及ぶ通りには多くの店が軒を連ね、観光客の呼び込みに余念がない。
賑やかな通りは避け、私は路地裏に進んで行った。
観光客向けの通りはあまり興味がないので、奥にある地元の人が集う飲屋街に行きたかったのだ。
国際通りから2キロほど歩いたところ、牧志公設市場近くにある飲み屋通りに到着した。
まずはお腹が空いたので適当に目に入った沖縄そば屋へ入ることに。
店内はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、ディープな感じに興味が湧いたのだ。
カウンターにいた店員の女性に沖縄そばを頼む。
390円。
最高♡♡♡
少しぬるめだったが、そばは美味しかった。
そばを堪能したところで店を出て、次は店の前の立ち飲み屋で飲むことにした。
ここにいるお客さんはみんな沖縄の人のようだった。
賑やかな雰囲気と、少し酔いが回ったせいか気分が良くなって来た。
一杯で酔ってきたため、立ち飲み屋を後にした。
再び国際通りに戻り、ある人と待ち合わせのために集合場所へと急いだ。
ノープランの旅だが、一つだけ決めていたことがあった。
それは何か?
カウチサーフィンをやる。
サーフィンといっても波乗りのサーフィンではない。
カウチはソファーのこと、つまりソファーを渡り歩く、ということだ。
カウチサーフィンは欧米を中心に世界中にユーザーがいる。
簡単に言ってしまえば、旅人がその地に住む人の家に泊まる、というサービスだ。
基本的に無料。
そして地元の人のため、色々な情報を教えてもらえるのだ。
日本ではあまりユーザーはいないが、那覇市に感じの良さそうなユーザーを見つけたので連絡をすると、すぐに快諾をしてくれた。
待ち合わせに到着すると、仕事帰りの今回お世話になる男性が待っていた。
彼は生粋の沖縄っ子。
そしてカメラマンだ。
軽く挨拶を交わし、彼の車に乗り込んだ。
私は人によっては人見知りするのだが、彼はとても話しやすかった。
アメリカに留学し、中南米を放浪していたという彼。
今までに日本人、外国人を問わず20人以上を家に泊めたという。
同じように海外を放浪していた身として、彼の話しが面白くない訳がない。
会ってすぐに打ち解け、車内でずっとおしゃべりを続けた。そしてあっという間に目的地のアメリカンビレッジに到着した。
ここは沖縄の北谷にある巨大な娯楽施設だ。
クリスマスのため、敷地内はイルミネーションがキラキラと輝きとても綺麗だった。
軽めのタコス。
うまし。
カメラマンの彼。
写真を撮るからこっち向いて!と、何度もシャッターを切った。
私も写真を撮るのは好きだが、撮られ慣れてはいない。
引きつった笑顔をしながら、微妙なポーズを取り続けた。
アメリカンビレッジは米軍施設が近いせいか、アメリカ人が多い。
多くのアメリカ人達が、同じようにクリスマスを楽しんでいた。
まさかこんなに綺麗なイルミネーションを見れるなんてなぁ…
ぼんやりとイルミネーションの光を眺めていると、
「こっち向いて!」
と彼に声をかけられ、ふと我に返った。
夜景を堪能したところで、彼のご自宅に向かう。
家に着くと彼のお父さんが起きており、挨拶を交わす。
もう20人以上も家に旅人を泊めているせいか、お父さんはさして驚きもせず軽く会話を交わすだけだった。
その日の夜は、オリオンビールを飲みながらいろんな話をした。
何故カウチサーフィンを始めたのか、
仕事はどんな感じなのか、
アメリカでの留学生活のこと
話は尽きず、深夜の2時までずっと話をしていた。
笑いすぎて声が枯れてしまい、眠る頃にはおかまのような声になっていた。
笑うと元気になるなぁ。
沖縄1日目から笑いまくり、満足した気分でその日は就寝。
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