「夜光杯」
南海でしか採れない貴重な夜光貝を加工し、家紋入りの盃で酒宴を楽しんでいました。
商売には欠かせない「そろばん」です。
「古銭」
手前の真ん中に、「和同開珎」が見れます。
いろんな古文書……、大福帳、勘定帳も?……。
歩きまわって、書き記したと話されていました地図です。
今の地図と比較しても驚くほど正確だということです。
左が「質屋業鑑札」、右が「矢立」。
上が「お菓子入れ」、下が織部焼の「菓子鉢、香入れ」です。
重箱、五重箱等々………………。
金の屏風、……貴族を描いています。源氏物語かも?…………。
この家の当主の肖像画です。
当主は代々「紙屋半三郎」を襲名しています。
この肖像画は6代目で、この家の中興の祖であるそうです。
この時期に、豪商と呼ばれ、苗字帯刀を許されました。
伊万里焼、鍋島焼、九谷焼…………。
ここに、「なんでも鑑定団」はきたことがないそうです。
たぶん、いくらするかわからないほどのお宝の山だそうでした。
「東洲斎写楽」
左から、京燒き茶碗、呉器茶碗、志野焼香炉、……。
これは何だったか?、説明は聞いたのですが?……、5月の節句の武者幟のような記憶があります。
上に見えるのは「貝合せ打掛」、この家に幕末に嫁入りした時の花嫁衣装でした。
「竹の子重」。
たぶん、使い終わると、順に一番下の重の中に全てしまえるようになっているのだと思いました。
ロシアの人形のマトリョーシカのように…………。
「獏の枕」
なぜか、「大阪大相撲番付表」がありました。
当時は、横綱がなく最高位は大関でした。
「鹿皮の羽織」
これで、見学は終わりです。
女性の説明が丁寧で、非常に面白いでした。
外へ出て、すぐ前の豊田家の本宅の方へ移動します。
そちらも、見学できるそうです。
中に入りました。
この家は、天文年間(1532年〜1555年)から、肥料・綿・油・木綿等の商いを始めました。
江戸時代初期には、大和で、大問屋になっていました。
その後に、両替商・大名貸も行います。
「結界」。
帳場机または帳箱を囲む格子で、金銭を出し入れする帳場と顧客を仕切る境として使用されました。
いろんな古いものが並んでいます。
二階へ上がる箱階段
天井のすごい梁
この本宅でも、非常に貴重なものを見ました。
外へ出て、次の観光ポイントの「今西家」に向かいます。
(次の図の10番へ移動します。)
ゆっくり歩いたので、約10分ぐらいで、よく写真で撮られているビューポイントにきました。
この風景を味わいながら休憩しました。
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荒木貞二
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