夢ら咲(むらさき)長屋の休憩所を出てきて、すぐ前の称念寺にいます。
今の今井町は、この寺の境内地を中心として発達した寺内町でした。
寺の草創は、室町末期の織田信長が誕生したあたりらしいです。
本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたことに始まります。
ここから、次の図の黄色の線に沿って番号順にウォーキングを続けます。
この称念寺のある通りを御堂筋と言いますが、これを西に歩きます。
歩いてすぐに、右手に「今井まちづくりセンター」がありました。
平屋建ての老朽家屋を譲ってもらって、再生した建物。
今井町町並み保存会の活動拠点として使われているようです。
次の観光ポイントの「豊田家」に向かいました。
ゆっくり歩いて2、3分で、右手に豊田家がありました。
屋根は入母屋造、本瓦葺きで、軒は高く、2階軒は出桁造となっています。
旧は、木材商だったので、2階正面の壁に丸に木の字の紋をつけていました。
豪壮な雰囲気を感じます。
ここの納戸の敷居は一段高くなっていて、「敷居が高い」の語源になった高い敷居があるそうです。
建物正面一階の下の方に、駒つなぎがあるのがわかりますか。
ここは、ボランティアガイドがいっしょでないと中は見学できないようです。
豊田家の東隣の細い路地の風景です。
ここからさらに西へ歩きます。
また、2,3分歩くと、「豊田家の本宅」の前に来ます。
今日は、絵を描いている人によく出会いました。
団体さんで、来られているようです。
これから、このすぐ右手にある「紙半豊田記念館」に入ります。
ボランティアの人だと思うのですが、見学している間、ずっと丁寧に説明してくださいました。
たくさんのことを聞きましたが、ちょっとしか頭に残っていません。
(こういう時は、録音しておいて方がいいみたいです。これからの教訓にしたい……。)
「蒔絵印籠」、当家当主が愛用していた、約200年前のもの(江戸時代中期)。
「刀剣」
蔵から20数振りが発見されたそうですが、手入れが悪くて、鍔のみを展示しているとのことです。
殆どは、大名貸しの抵当物件らしいです。(江戸時代後期)
かんざしや櫛。
この家の女性が愛用したもので、かんざしはサンゴ、鼈甲が用いられ、櫛は、金蒔絵が施されています。(当時の女性の贅沢品)
「青貝大硯箱」(左)
螺鈿細工が特徴……。
「銭箱」
「千両箱」
江戸時代に実際に使用されていました。
当時の商売の繁栄が想像されます。
蔵から出てきた6箱のうちの一つだそうです。
説明の方が、これを持ってどれぐらい重たかったか体験してくださいと言われました。
もちろん小判は入っていないので箱の重さだけですが?……。(千両分入った重さは、約50kgと言われています。)
鼠小僧が千両箱を持って、屋根を飛びまわる映画を見たことがありますが、あれは嘘だということです。
「両替商の天秤」
この家で使用していたもの。
右端に見えるのは、「棹秤(携帯用)」、てこの原理を利用して測ります。
金銀、タバコ、白粉、生薬を測りました。
「大名貸証文』
芝(今の桜井市)の織田藩への貸付金証文。
織田藩は、織田信長の弟で茶人でも有名な織田有楽斎が藩主でした。
歴史小説を読んでいてもこの名前がよく現れます。
「旗本貸証文」
まだまだ、ここの見学は続きますが、ブログを読むのも疲れるでしょうね?。
次回のブログに続きます。