向こうに見える城の櫓を想わせる建物は今西家です。
戦国時代の構造様式を残していて、別名「八棟(やつむね)」と呼ばれたそうです。
目の前に見える濠は、この古い町並みを取り囲む環濠で、外周には三重の環濠跡が今でも残っています。
この環濠は巾約5.45mを有する濠をめぐらしていました。
さらに、その内部には同じく環濠をほり上げた際の土を積んで3間の土塁を築きました。
もちろん、この町を防御するためです。
次の地図の黄色の線にそって番号順にウォーキングしていきます。
今西家の正面に行きました。
この今西家は、今井町の西端にあり、「惣年寄」の筆頭を勤めました。
この今井の環濠集落は、最初は寺内町として始まり、のちに自治権を持つ町として発展します。
今西家は、大坂夏の陣で、大野治房を撃破した功により、徳川家康より薙刀来国俊を拝領しました。
内部の土間には、お白州があり、いぶし牢等も残っており、陣屋として使われました。
ここから、本町筋を東へ歩きます。
この町は、東西約600m、南北約310mです。
全建物の数が約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物がありました。
それらのうちに、国の重要文化財が9件あり、日本遺産に認定されます。
歩いていても、そこらじゅうに素晴らしい建物があります。
写真を撮る枚数がどんどん増えました。
さらに東へゆっくり歩いていると、左手に食事ができそうな古い町家があらわれました。
「古伊」という店の名前が見えます。
ちょうど、昼時になっていたので、中に入ろうとしましたが、中は大勢の行列ができており、1時間待ちらしいです。
諦めました。
スマホで調べてみると、この家は、古服の再生を生業とする古服屋に始まり、材木木挽き商を、さらに酒造業・酒卸問屋をへて、今現在は茶屋…………。
ここから、さらに東へ………
この辺まで、今西家から約10分ぐらいかかりました。
右側に、しゃれた喫茶店があります。
ここで、この本町筋を東へ見た風景です。
このすぐ先の四つ角を右に曲がりました。
すると、私にとって、とても楽しい風景があらわれます。
楽しそうに、絵を描く姿…………。
むこうに見えるのは、「称念寺の太鼓楼」。
次の観光ポイントの「旧米谷家住宅」は公開されているのですが、12:00から13:00の間は閉まっています。
ここで、時間待ちをすることにしました。
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