日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

福澤諭吉 『亞細亞諸國との和戰は我榮辱に關するなきの説」

2019-07-27 21:13:55 | 福澤諭吉


 亞細亞諸國との和戰は我榮辱に關するなきの説 
    福澤諭吉

 

 近日征韓の議論新聞紙上に飛雨をなし、
世人の耳目も此論題に集るを以て、
我儕の論鋒を之に向けること數囘、
未だ心に慊らざりしが、
福澤君より此論題に關する一議論を寄るに會へり。
固より社論と方向を同ふするを以て、之を掲げて本日の社論とす。

 世の中の事に就き輕重大小を見分るは甚だ難きことなり。
譬へば爰に一個の人あり、手足に怪我をして流血淋漓たらんには、
傍の人皆是を見て驚かざる者なし。

 醫者よ藥よとて其手當をすることならん。
されども其實は深く恐るゝに足らず、
捨置くも自然に癒るものなり。

又一個の人は其の容貌健なるには非ざれども、
さしたる病症も見へず、
唯朝夕少しく咳嗽して時々微熱を發する位のことなれば、
素人の目には之を病人とも思はずして、
動もすれば打捨て置くこと多けれども、
其實は肺の病にして必死の期遠からず、
幸にして去年の冬を過ごしたれども、
今年の春に至て果して斃るゝことあり。

 

 僅かに身體の事にても斯の如し。
況や世の中の人事に於てをや。
輕重大小の紛らはしくして處置を誤ること甚だ多し。
故に人事を處するには外形に拘はらずして其内情を察し、
内實に困難なるものを先にして之を救はざる可らざるなり。


 今日我日本の有樣を太平無事として悦ぶ者は甚だ少なし。
學問未だ上達せず、商賣未だ盛ならず、
國未だ富まず、兵未だ強からずとて、
之を憂るに非ずや。

 一口に云へば日本は未だ眞に開化の獨立國と稱す可らずとて之を心配することなり。
此心配を抱く者は獨り政府の役人のみならず、
凡そ此國に生れて國に叛くの惡心なきより以上の者は、
共に此心配を與にする筈なり。

 此一段に至ては國内の人民、上下の別なく、
華士族も平民も、目暗らも目明きも、學者も役者も、敵も味方も、
異頭同心に一方に向ふことならん。

 今この國の獨立如何の心配ある其源を尋るに、
我日本は亞細亞洲の諸國に對して其輕蔑を受るが爲歟、
我學問の彼に及ばざるが爲歟、
我商賣の彼に劣るが爲歟、
我兵の彼より弱きが爲歟、
我富の彼に若かざるが爲歟、
是等の箇條に於ては我輩一も彼に恥るものなし。

 我輩の思ふ所にては、
我日本は亞細亞の諸國に對して一歩をも讓らざる積りなり。

 されば我國の獨立如何の心配は別に源因を求めざる可らず。
即ち其源因は亞細亞にあらずして歐羅巴に在るなり。

 虚心平氣、
以て我國の有樣を詳にし、
之を歐米諸國の有樣に比して、
學問の優劣、商賣の盛否、國の貧富、兵の強弱を問はゞ、
殘念ながら今日の處にて我は未だ彼に及ばずと云はざるを得ず。

 然り而して學問と商賣と國財と兵備とは一國獨立の元素なれば、
彼に對して此物に欠典ありとすれば、
我國の獨立如何は唯歐米諸國に對して心配あるのみ。

 故に今我邦の困難事は一概に外國交際に在りと云ふ可らず。
余輩は此外國の字義を狹くして歐米諸國との交際に付き困難ありと云はざるを得ざる也。

 近來世間に洋學の道開けたりと雖ども、
我國人は彼に學ぶのみにして未だ彼に教る者あるを聞かず。

 開港場に貿易ありと雖ども、
商賣の權柄は彼の手に在りと云はざるを得ず。

 世上に物産製造の企なきに非ざれども、
我國人は彼に資本を借るのみにして未だ彼に貸す者あるを見ず。

 英米の軍艦は日本海を横行して我國人の膽を奪ふ可しと雖ども、
我國の兵備未だ以て之に敵對するに足らず。

 是等の諸件は實に我國威に關することにして、
其事跡に見はれたるものは枚擧に遑あらず。

 日本國に屬したる貿易運上の權も我一方に在らず、
裁判の權も我政府の自由に任せず、
現に内外の間に起る公事訴訟も我國人は常に被告と爲て彼は常に原告たり。

 遇ま我人民より訴ることあるも、
能く曲を伸ばす者は十中一に過ぎず。

 概して云へば我日本は歐米諸國の人民に對して曲を蒙る者と云はざるを得ず。
但し其交際の外形は美にして互に輕擧暴動なきを以て、
遠方より之を皮相する者は外形の美に欺かれて或は意に關せざるもの多しと雖ども、
少しく内情に注意することあらば果して至難至困の勢を見出す可し。

 歐米の交際は我日本國の肺病と云ふ可きものなり。

 右の次第を以て考れば、
我日本は亞細亞の諸國に對して和戰共に國の榮辱に差響くことなし。

 永遠の事を心配するときは、
戰て之に勝つも却て國の獨立に害ありと云はざるを得ず。

 近く其一證を示さん。
昨年臺灣の一條は我國の勝利と云ふ可し。
之がため臺人も恐入りたることならん、
支那人も閉口したることならん。

 されども此勝利の後、此勝利の勢を以て、
聊かにても歐米の交際に差響き、
歐米の人民に對して我國威を燿かし、
暗に彼を恐れしめて彼を制するの勢を得たるや。

 十目の見る所にて毫も其痕跡なきに非ずや。
此一條に付き今日に殘りたるものは、
軍費數百萬圓の不足あるのみ。

 去年若し此數百萬圓を費さずして之を轉じて外債の一部を拂ふことあらば、
我全國の人民は負擔の一部を卸して永遠獨立の一部を助け、
全國肺病の一部を癒したるに非ずや。
思はざる可らざる也。

 歐米諸國に對して、
我學問の不熟、我商賣の拙劣、我兵備の不足等は姑く閣き、
簡易明白、
何人にも分り易き我國の損亡は今の外債なり。

 之を人に聞く、
方今我國の外債凡そ千五百萬圓、
元利共に償却して今後毎年二百萬圓づゝを拂ひ、
凡そ二十年、共計四千萬圓の金を拂て皆濟たる可しと。

 歐米諸國の政府にも國債なるものあれども、
大概皆自國の人民に募りたるものなれば、
自から借りて自から拂ふものなり。

 然るに我國債は商賣の敵國に借用したるものなれば、
拂ふ所の利金は一度び去て復た返らず。

 四千萬の内、元金千五百萬を引き、殘二千五百萬の利足を二十に分てば、
一年に百二十五萬圓なり。

 此高を償ふがため、
毎年我國民の膏血を集めてこれを外國に輸出するとは惜む可きに非ずや。

一俵二圓の米なれば、
毎年作り出したる米の内より六十萬俵餘の高を集めて、
之を海に投ずるに異ならず。

 又金の損得のみに就て云へば、
英國と戰ひ負けて二千五百萬圓の償金を拂ふに異ならず。

 何れにしても外債は我國の經濟にからみ付たる肺病と云ふ可し。
前日余が著述したる文明論之概略第六卷の四十二葉に、
巨艦大砲は以て巨艦大砲の敵に敵す可くして借金の敵に敵す可らずと云へり。
參考す可し。

 近日世上に征韓の話あり。
一と通り聞けば伐つ可き趣意もなきに非ず。
野蠻なる朝鮮人なれば必ず我に向て無禮を加へたることもあらん。
道理を述て解すこと能はざる相手なれば、
伐つより外に術なしと云ふ説もあらん。

 加之これを伐たんと云ふ輩は敢て私心を挾むに非ず、
愛國盡忠の赤心を事實に顯はさんとすることなれば、
一概に之を咎む可らずと雖ども、
國を愛するには之を愛するの法なかる可らず、
忠を盡すには之を盡すの路を求めざる可らず。

 其法と路とを求るには、
心を靜にして永遠の利害を察すること最も緊要なり。
彼の手足の怪我を見て狼狽するが如きは思慮の足らざる人と云ふ可し。

 朝鮮交際の利害を論ずるには先づ其國柄を察せざる可らず。
抑も此國を如何なるものぞと尋るに、
亞細亞洲中の一小野蠻國にして、
其文明の有樣は我日本に及ばざること遠しと云ふ可し。

 之と貿易して利あるに非ず、
之と通信して益あるに非ず、
其學問取るに足らず、
其兵力恐るゝに足らず、
加之假令ひ彼より來朝して我屬國と爲るも、
尚且之を悦ぶに足らず。

 蓋し其故は何ぞや。
前に云へる如く我日本は歐米諸國に對して竝立の權を取り、
歐米諸國を制するの勢を得るに非ざれば、眞の獨立と云ふ可らず。

 而して朝鮮の交際は假令ひ我望む所の如くなるも、
此獨立の權勢に就き一毫の力をも増すに足らざればなり。

 朝鮮は彼より來朝して我屬國と爲るも之を悦ぶに足らず。
況や事を起して之と戰ふに於てをや。
之に勝て榮とするに足らず、
之を取て利するに足らず。

 巨萬の軍用金を費して歐米の物を仰ぎ、
歐米の船艦を買ひ、
歐米の銃砲を求め、
錢を歐米の人に與へて物を朝鮮の國に費し、
結局我外債の高を増して、
毎年海に投ずるに等しく償金を拂ふに等しき利足を外國に輸出するに過ぎず。

 青年の書生と雖ども、
數學の初歩を學び得たるものなれば、
明白に解す可き算當に非ずや。

 永遠の利害を察するとは此邊の損得を思慮することなり。
愛國の至情を擴て獨り自から沈思せば必ず大に發明することあらん。

 方今我國は正に借金の敵に向て戰ふ可きの秋なり。
先づ此勁敵を壓倒して安心の地位を作り、
砲艦の戰の如きは他日徐々に其謀ある可きなり。

 征韓論者の云く、
征韓は固より好む所に非ざれども、
既に雙方の間に釁を開く上は、
一國の榮辱に於て捨置く可らず、
大義名分は金のために誤る可らずと。

 一應尤の言なれども、前に云へる如く、
我日本は親の病氣にも等しき歐米交際の困難なるものを抱けり。
今親の大病にて家内を靜謐にせざる可らざるの時に當り、
門外に折助が亂妨喧嘩するとて、
之に取合ひ、之と爭鬪して、
家内の靜謐を妨げ、親の病氣に害を加ふ可きや。

 人心ある子弟ならば理も非も問はずして何事も後日の事に附し、
其折助へは酒手にても取らせて追ひ返し、
穩便に取扱ふこそ孝子の處分と云ふ可けれ。

 今の朝鮮人の無禮は折助の亂妨に異ならず。
之を度外に置くも何ぞ國の榮辱に關することあらんや。
論者は我日本をして折助と鬪はしめんと欲する乎。
余輩は本國のために却て之を恥るなり。

 論者又云く、
朝鮮は目的に非ず、
朝鮮に事を始て次で支那に及ぼし、
支那の富を取て以て今日の費を償ふ可しと。

 盛なる哉、此言や。
支那をして孤立せしめなば此言或は當る可しと雖ども、
今日世界の有樣に於て支那は決して孤立するものに非ず。
支那帝國は正に是れ歐米諸國人の田園なり。

 豈他人をして貴重なる田園を蹂躪せしむることあらんや。
事こゝに至らば、歐米の人は支那人を憐むに非ずして、
自から貿易の利を失ふを惜み、
自から利するの私心を以て支那を助るや必然の勢なり。

 假令ひ自から利するの私心なきものとするも、
嫉妬の念を以て必ず他の所業を妨ることある可し。


 今を去ること十餘年、
魯西亞人が對馬に上陸して地を占めんとせしとき、
英の公使は力を盡して之を防ぎ、
遂に其地を去らしめたることあり。

 當時英公使の盡力は日本の爲にしたるに非ず。
英國の面目として、魯人の日本に地を占るを惡み、
其權力を嫉て之を妨げたるのみ。

 萬國の交際に於て權力を平均せしむるものは嫉妬の念に生ずること多し。
此亦心得ざる可らず。

 されば日本人の思ひの儘に朝鮮に勝ち、
朝鮮丈けは外國人が傍觀するものと假に定るも、
支那に至りしとき日本人が四百餘州を蹂躪するを見て手を拱することあらんや。
是れも永遠の事なり。
今より考へざる可からず。

 是に於てか愛國盡忠の輩は人事の輕重大小を辨別し、
志を遠大にして眞に我國の獨立を謀り、
亞細亞諸國の交際に於ては和戰共に我獨立の權力に差響くことなきを知り、
我獨立は歐米に對立して始て滿足す可きを知り、
此獨立は學問と商賣と國財と兵備と四者各其釣合を得て始て安心の場合に至る可きを知り、
亞細亞諸國との和戰に由ては四者を目的として一も所得ある可らざるを知り、
加之戰へば必ず此四者を退歩せしめ、
殊に國財の如きは第一番に不足を生じて却て外債を増す可きを知り、
今日朝鮮の事件は恰も手足の疵の如くして深く憂るに足らず、
其無禮は恰も折助の亂暴の如くして之を度外に置く可きを知り、
歐米の交際は肺病の如くして早晩必死の患ある可きを知り、
國の榮辱は一朝に在ずして永遠に在るを知り、
愛國の志あるも愛國の路を求むるの緊要なるを知り、
一朝の怒を忍て他日大に期する所あるこそ、
眞の日本人に非ずや。 

 人誰か愛國の至情なからんや。
余輩も日本國中の人民にして、
國の一部は自から擔當する者なれば、
只管他人の好尚に雷同するを得ず。
敢て愛國の趣を述ること斯の如きなり。

 論者又云く、
征韓論の人心に萌芽するや日既に久し、
焔々の氣鬱結して遂に臺彎の師と爲り、
其餘焔尚消滅せずして遂に今日に至りしものなれば、
何れにも其流通の路を設けざる可らず、
即ち今日の事は鬱焔を洩らし滯水を通ずるの權道にして、
勢こゝに至れば止んと欲して止む可らざるものなりと。

 其意味を察するに、
此論者は前の二論者に比すれば全く所見を別にしたる者にして、
中心征韓の非を知り、
國の獨立のために實に害あるを辨じながら、
唯勢に迫られて止むを得ざるの策に出で、
止むを得ざるの拙を行ふと云ふものゝ如し。

余輩は甚だ以て不同心なり。

 抑も征韓論とは何れより來りしものなるや。
天より降るに非ず、地より生ずるに非ず。

 征韓を以て日本國の利益と思ふ人の口より出たる議論なり。
其人は木石に非ず、水火に非ず。

 正に人心を具して道理を辨ず可き人類にして、
然かも愛國の情に乏しからざる人物なれども、
唯其所見近淺にして方向を誤るのみ。

 今若し此人の心をして方向を改めしむるを得ば、
征韓論は立所に止む可し。

 論者若し征韓の非を知らば何ぞ直に其非を述べ、
或は書に記し或は言に發し公然と之と唱へざるや。

 一點の愛國心に符合する所あれば、
異説爭論も遂には一に歸せざるを得ず。

 然るに今其沙汰もなく、
唯此論者の如く世間の人氣を測量して、
或は其餘焔を洩らすと云ひ、
或は其渟滯を通ずると云ひ、
人を視ること水火の如く、
手術を以て之を御せんとするは、
同權の人類に對して無禮なりと云ふ可し。

 抑も亦彼の征韓論者の少年輩も、
其熱中の甚しきに至ては、
或は水火の如き勢もありて、
水火の如く御せられて申譯なき場合もあらん乎、
誠に氣の毒千萬なりと云ふ可し。

 人は此世に居て他の拙を憂へて其不足を補ふ樣にこそありたきものなれ。
然るに己が熱心の甚しきよりして、
他人のために憂へらるゝの目的と爲るとは淺ましきことならずや。

 少しく勘辨せざる可らず。
兎に角に政治學者の權謀術數は余輩の知る所に非ず。
余輩は日本國中の良民たる地位と面目とを全ふせんがため、
亞細亞の和戰は國の榮辱とするに足らず、
朝鮮の征伐は止む可しとの説を主張し、
之を天下の公議に附して、
一人たりとも此説に同意する者多きを願ふなり。

  〔明治八年十月七日「郵便報知新聞」社説欄〕
    「郵便報知新聞」報知社 



最新の画像もっと見る