日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

イザベラ・バード・ビショップ 『朝鮮紀行』(「三十年前の朝鮮」)18 敎育、貿易、財政    

2019-08-31 20:43:52 | 朝鮮・朝鮮人 

「三十年前の朝鮮」
イザベラ・バード・ビショップ女史著
法學士 工蔭重雄抄譯   


イザベラ・バード・ビショップ「30年前の朝鮮」 

18 敎育、貿易、財政 

〔教育の概要〕

 朝鮮の敎育法は従來愛國者、思想家又は真面目な人を出すべく失敗であった。

数育法の概略を話すとコウだ。普通書堂と称する學校に於ては生徒は床の上に直に坐り支那文の教科書を滕の前にチャンと置き、上體を前後左右に揺り動かし、聲の届く限り聲の出る限り高聲に朝から日沒迄同じ所を繰返し繰返し暗記する、支那字の手習をする、支那聖賢の話やら、神話的の歴史を學ぶ、博學で尊大振った、そして大きい眼鏡をかけた先生は手に笞を有ち書物を前にして喧々噪々たる讀み方を訂正して呉れる。生徒は斯のき教育を彼れ是れ十年を授けられて科擧の試験を受け得る年輩になる。

 

〔科擧〕 

 科擧とは千八九十四年迄繼績して毎年京城に於て行はれた欽定試験であり、官吏登用試験である。

官吏たらんとする者は此の試験に及第するを要し青雲の志ある者は此の登龍門を超へなければならない。然るに上述の如く朝鮮の数育法には想像力を養成すべき何等の方法を講せす、己か住む世界を解釋すべき何等の學課を授けない。六かしき支那文字を學習する努力、自己一人を満足せしむる智識は元より排斥す可らざる精神修養に相違ない。孔子孟子の道義的教訓は假令不完全なりと雖も尊崇す可き價値、理念を含んで居る。

 

〔教育法の欠點〕

 然し乍ら之を以て現代教育の全部として賞讃する譯には行かない。狭量、因盾、自惚、尊大振ること、労働を賤しむこと、我利々々の利己主義、公共観念の缺如、社曾的の不信用、二千年前の風俗傳説に盲目的に服從すること、智識見識の狭きこと、道義心の淺薄なること、及婦人を虐待して怪しまざること悉く是れ朝鮮教育法の生み出した缺点である。

 

〔新教育起る〕

 科擧の試驗せられて當局の官吏登用方法は自ら変化して泰西の學風興り、諺文の利用盛となり、漢文全能の時代は終り、新思想暫次擡頭し、新育方法によりて總て教育其のものを一新し學術の趣味を鼓舞奬勵する必要を認めた。而して此等の主張は京城を中心として四方に流れ出た。
 現今(千八百九十七年十月)朝鮮語を以てする官立諸學校の外に官立英語學校あう、外國語學校あり、幾多のミスションスクールがある。英語學校では百名の生徒は制服を着用し英國兵の教練を受けフットボールなどの遊戲さへ輸入し、其の様子なら態度なら語學なら進歩中々に著しく敎官を心から信頼して居る。英語學枚に倣って日語學校、佛語學校、露語學校も出來甚だ盛んである。

 露語學校経営者ピルコフ氏は露國陸軍軽砲兵大尉で其の生徒は佛語學校生徒と共に露国士官の兵式操作練を習って居る。

 

〔培材學堂〕

 此等諸學校中数育に道徳に智識上に最大の効果を收め得たるは培材學堂で、其の名は千八百八十七年國王陛下親しく御撰定になったものだ。本校は亞米利加メソジスト、エジスコバル教曾に屬しシヴィー、ジー、アッペンツエラー僧正既に十一年間校長として働いて來た。爲めに校風振ひ愛國的精神が生徒間に澎湃として起った。

 實際に本枚が深い印象を興へた事も、智識を廣め道義心を深くした事も疑無き顕著なる事柄である。或は朝鮮を救ふべき源泉は此処より流れ出づるのではあるまいか。本校に於ては基督の教義は勿論教へると共に禮拜堂の集りは強制的に強られる、而して其の生徒は會て千八百九十年軍隊騒の折には軍服を給輿せられた事もある。

 支那語諺文科に於ては支那古典及萬國歴史を教へ、神學科英語に於ては英語の他歴史地理算術化學博物の初歩を教授し、手藝科に於ては印刷製本を試み、何れも生徒滿員の状況である。本校の数育の健實有効なるを認め既に千八百九十五年政府は本校生徒二百名迄の月謝を負担し並に教師若千名の俸給を支給することにした程である。

 

 同教曾は培材學堂の外に男女の學校を作り特に産業上の訓練を施し、米國プレスピテリヤンは種々有要なる學校を建て特に女子教育に精力を集中して居る。

 佛蘭西のレシエラ、デ、ミスシオーン、トランゼールは京城に孤児院及小學校を興し二百六十名以上の生徒を収容して居る。主義とする所は孤児を導きて善良なる羅馬舊教徒たらしむるに在る。小學校では諺文及支那文の讀み書きは勿論或る程度迄は支那古典も教へる。宗敎教義は諺文で教へ他日朝鮮人教化の階梯たらしめる。孤児院では單に諺文のみを敎授し、年十三となれば京城か田舍の教會に引とられ農業なり商業なりを敎へ込むか又は教曾に使ってやる。少し年をとれば縫針世帯の道を教へ、十五歳となれば信徒の孤児男子と結婚せしめる。京城に近く龍山がある。
 龍山には羅馬舊教の神學校があって僧呂を養成して居る。

 

〔日本人側の學校教育〕

 以上の外に日本人海外敎育の學校がある、日本人基督数徒の手により千八百九十六年設立せられたるもので漢文、諺文、作文及泰西の學門修業の便法としての日本語を課し、諸種の科學及宗教も講義して居る。期の如く種々の學校は次々に設立せられ千八百九十七年(明治三十年)現在ではミスション、スクー及其他の外國人経営の學校生徒合計九百に達して居る。元来子供は老人の親である。

 學生時代に受け入れたる思想、人生観等は生涯を貫いて容易に髪化せざるものである。他日此等の學生は國民の中堅となり国家に寄輿する所尠からぬものがあるだらうと思ふ。

 総體朝鮮の散育改善思想は日本人が勢力を張り改革を企てたる時にせるもので小學校、中學校及師範學校を普及せしむる豫定であった。而して此の計劃は曲りなりにも寳現せられ小學児童既に千人を超へ算術、地理、歴史又は先進文明の梗概などを學んで居る。加之七十七人からの留學生は官費を以て日本に派遣せられて居る。聞く所によれば語學には最も堪能なるも数學及論理學の才能に劣って居る様だ。然し乍概括して朝鮮教育の将来は有望では無いとは言へない。 

 

〔外國貿易〕

 朝鮮の外国貿易は年額百五十萬磅に過ぎぬが、一千二百萬人以上の人口を包容して居る國柄から推しても看過す可からざるものであらう。
 第一現在の貿易額は開港以來僅か十三年後の状況たることを承知してかからねばならぬ。朝鮮は純粋の農業國にして而も其の農法たるや原始的なるを顧る時に、到る所肥沃なる田野は山脈に隔てられて各孤立して交通の便を缼けることを顧る時に、
 朝鮮農夫は今日漸く海の彼方には米豆に對し無限の需要の存在せることを知り初めたることを顧る時に、
 更に人民の莫大なる綿織物の需要は海外より棉糸布を輸入して有利に手にし得べく、外國産の貨物を輸入して諸種の幸福を増加し得べく、更に此等の事實が単に鎖国隠遁の門戸を破りたるばかりの時節なるを顧みる時に、
朝鮮質易の小額なるに驚くと同時に将来大に發展すべき餘地の綽々たるを感ぜざるを得ない。

 輸入貿易は千八百八十六年(明治十九年)二百四十七萬四千百八十九弗なりしが同千八百九十五年(明治二十八年)に於ては六百五十三萬千三百二十四弗に増加して居る。

 

〔輸出品〕

 輸出品の重なるは大豆、乾魚、牛皮、人蔘、紙、米、海草等で仕向地は支那及日本に限られて居る。尤も朝鮮は日本の米倉と看做すべく千八百九十年の輸出品既に二十七萬磅に達して居る。輸出先が日清両國に限らるるに反し、輸入先は欧米諸國及印度等がある。私の見る所では他日道路が改造せられ鐵道が布設せられ百姓が官吏及貴族の壓制誅求より免れる時代が到來したならば斯くも見苦しき貧乏状態を脱し得て、一方には生産を増加し一方には清費を増加し物質の幸福を享け生を楽しむ事が出來るだらう。
 既に一部の住民は露西亜統制の下に此の曙光に浴して居るではないか。朝鮮が舊態を脱し文化の自由を味ふべき時機の到來は最早疑われぬ理由がある。二十世紀の初期に朝鮮外國貿易が年額一億圓に達すと聞くも敢て驚くに足らぬ。此の貿易に英國が如何なる地歩を占め得るかは将来の重要な問題であらう。

 

〔日本の成功せる所以〕

 朝鮮市場に於ける英國の好敵手は日本である。日本人は二十時間以内に船を朝鮮海岸に送り運輸業を独占し得るのみならず炯眼敏捷、能く機を察し、不撓不屈なる進取的國民である。英國商品は日本の安価品によりて駆逐せらるるは避け難き勢ではないか。鐵、小刀、燐寸、針、鋤、鎌、石鹸、香水、石油、洋燈、包丁、鐵釘等は概ね日本品の占む所だが、綿糸布類が日本品の競爭を受くるに至っては英國人は緊褌一番せなければならぬ現象であらう。

 

 朝鮮の輸入額は千八百九十五年に於て八十七萬五千入百十六磅なりしものが翌千八百九十六年には七十萬八千四百六十六磅に減少して居る。而して此の減少の主因は英國品の輸入減少に在りて日本品は何等減少する所のみならず却て増加したものさへある。
 日本製シーチングは英國製及米國製の減少せるを償って尚ほ餘りある増加を示し、日本製綿糸は英國製及印度産の綿糸を逐年駆逐して居る。日本線糸は英國よりも非常に安価に印度産よも遥かに品が上等で而も同価格を以て販売するから日本製が歡迎せらるも亦理由ありと謂はねばならぬ。

 

 然し乍ら私の両度に互る旅行で開港場も内地も奥深く観察した結果によると、日本品の優勢なるは必しも右の如き関係からばかりでは無い。現に日清戦役終了後支那人は英國の保護の下に追々に朝鮮に帰還し、既に日本人に對し企業に取引に竸爭を始め、マンチエター産を上海から輸入して版路を拡張して居る。
 日本品が竸爭場裡に優勢の地位を占むる所以は恰もペルシャ及中央亜細亜に於ける列国商品の競爭と其の勝敗の原因に彷彿たる所がある。即ち需要者の趣味嗜好に通せざる供給者は破れる。領事其他外交官の報告を無視する商人は負ける。自己製法に執着して需要者の好む色合、柄、幅等を顧み無い商品は賣れぬ。包装荷造りが需要者の手頃と感ずるもので無ければ取引は起こらぬ。

 英國製綿糸布の需要の増加せざるが其の劣等なるが故では無い。朝鮮人の欲する所を無視するが故である。鑑む可きであらう。

 

 朝鮮市場に於て日本人の成功せる所以は、彼が一衣帯水の関係を巧みに利用せるのもならず能く都鄙の需要状況を精査し能く朝鮮人の趣味を解する故である。日本より来る綿糸布は陸揚げすれば直ちに子馬に積載する様に梱包してあるし、更に其の幅、其の長さ、其の価格、其の色柄共に朝鮮人向きに出来て居る。若し英國商品を更に朝鮮に入れる為には恰も日本人が試みたるが如く綿布の幅は十八吋とし長さも朝鮮地木綿織と同一とし、地合も数度の洗濯に堪ゆる如きゴツイものを造らねばならぬ。此れが商売の道であらう。
 何はともあれ日露両国の援助の下に朝鮮は暫次開発され一歩一歩外國商品を購入する実力を得つつある。此の状況に在りながら英國商品のみ独り貿易上の劣敗者たるは本國の製造家が朝鮮人の趣味性格に無頓着であるからである。

 

〔金地金の輸出〕

 金地金の輸出は年々増加し.千八百九十六年に於ては元山一港より百九十萬弗に達して居る。而して此の金輸出を加算する時は朝鮮の輸入超過は約五萬磅に過ぎなくなる。それから朝鮮近海には英國旗を掲げた船は一向に見へぬ殆どが日本の独占に委ねた形で、僅かに露西亜船が競争を試みる位である。尚朝鮮貿易は単に三つの開港場に於てのみならず未開港の沿岸に於て及び支那露國の国境方面に於て相當営まれて居るが其の価額は不明である。

 事実上朝鮮貿易は日本の独断場である。私は日本を以て英國の好敵手と謂った所で日本の物価は急速に騰貴しつつある。勞銀は年々引上げを要求せられて居る。遠からず英國と同様の状態となって餘り安く賣り込むことは困難になりはしないか。英國と日本の真の競争は其の時に行われに相違ない。

 

〔租税〕

 財政方面は私は餘り言うことを有たぬ。歳入の大部分は地税で、地税は豊沃の地一結に付き六弗、山間の地一結に付き五弗、家屋税(京城は例外)一戸に付き年額年額六十錢、其他人蔘税等合せて歳計大略四百萬弗、之を以て正規の歳出を償って餘りがある。然し乍ら官吏の腐敗其の極に達し徴収されたる租税の三分一位しか国庫にはいって来ない。幸に地税の負担は非常に軽い。若し夫れ政府が国民敎育に熱心で而も之に要する費用に窮するならば酒税煙草税を新設して優に之を求めることが出來るだらう。
 蓋し酒幕の如きは京城のみにて四百七十五戸に登り煙草店は千百軒に達する。加之新に税源を搜索せすとも租税徴収の法を厳重に適切にしたらば現制の儘にて収入は著しく増加すること請合いである。

 

 既に指摘したる如く朝鮮宕吏の腐敗は言語同断である。千八百九十五年迄は國庫の紊乱手もつけられなかったが、概括して財政は有望である。千八百九十五年の暮、税関監督ブラオン君は無給の財政顧問を置き国庫の支出は皆國王の裁可を必要する制度を建てられる様陛下に進言した。総體朝鮮人の脳髄は奸策を回らし公金を着服する手段を発見するには驚くべき才能を所有して居る。又朝鮮官吏程不真面目で而も絶滅し難きは世の中にあるまい。

 外國人顧問が漸く一方面の不届者を押へ付けると直ちに他方面の奴がニヨキニヨキ頭を擡け始める。實に手に終へない厄介者だ。然し有爲な欧米人が財政整理の衝に當って其の基礎を強固に築きつつある。細心なる管理、線密なる節約。國庫組織の整理、地税徴収法の改善、歳出入の権衡等極力勵行せられた。

 お蔭を以て千八百二十七年三月に至る一會計年度には尠からざる剩餘を生し、日本より借入れた三百萬圓の中百萬圓は之を返還することが出來た。のみならす千八百九十九年迄に悉皆の外國債は之を辨濟する見込が充分に立った。そしたら借金なしの國、澤山の剰餘分を殘す有福な朝鮮となるのだ。

 

 千八百九十六年の財政は上乗の成績を擧げた。何しろ此の年を以て新たに二個聯隊が増設せられ、旧式の言はゞ無用の玩具的工厰は廃せられ露西亞技師を聘して面目を新たにし、慶雲宮は新築せられ、閔妃改葬の巨費も支辨せられ、而も京城西部の改修費用も支出した。且つ軍隊警官の俸給も月々滞り無く支拂ふし官吏には充分の俸給を輿ふると共に戸位餐のウヨウヨした奴サン達を暫次に淘汰して居る。

 銀貨、銅貨は第一装飾にもなるし段々廣く流通する様になって穴開きの葉錢を駆逐して居る。銀行も漸く社会の知る所となり利用せらるるに至った。



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