日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

吉田松陰「吉田松陰から某へ 安静六年正月十一日」

2023-04-15 19:35:18 | 吉田松陰

吉田松陰より某へ 

安政六年正月十一日 

吉田松陰 

 今日は亡友重輔が命日なり。
僕は生を獄舎にぬすみ、亡友に九泉に恥ずるなり。

 もはや国家の一大変と申すものにつき、清末、岩国に走るも苦しからず、
おそれながら君公へ与訴(よそ)も苦しからず。

国相府の定算はいかん。
御参府論もそれなりにして置くつもりか。
国相府なお命脈あらば君公へ申しあげようもこれあるべきこと。
前田諸人も役目をすてて論ずることはとても出来まじ。
しかし浅智(せんち)なこと。

今日極論役目をかえることあい成り候えば、
行府の奸使傾覆(けいふく)ののちは立派なことなるが、
それが出来ぬとはさてもさても。

沢山な御家来のこと、吾輩のみが忠臣にこれ無く候。
吾輩皆に先駆(さきがけ)て死んで見せたら観感して起るものあらん。
それがなきほどでは、なんぼう時を待(まち)たりとて時は来ぬなり。

 ただいまの逆焔は誰がこれを激したるぞ、吾輩にあらずや。
吾輩なければこの逆焔千年たつてもなし。
吾輩あればこの逆焔はいつでもある。
忠義と申すものは鬼の留守のまに茶にしてのむようなものではなし。

吾輩屏息(へいそく)すれば逆焔も屏息しようが、
吾輩ふたたび勃興すれば逆焔もふたたび勃興する、いく度も同様なり。

その内には御参府もあい成り、たとえ天下無事にて御帰国ができ候とも、
吾輩逆焔とあい抗するはやはり前のとおりなり。
その内に天朝の御論もどうとか片づくか寝込むか、
なんにしても勤王の間に合い申さず候。

 桂は僕無二の同志、友なれど先夜この談に及ぶことあたわず、いま以て残念に覚え候。
江戸居りの諸友久坂、中谷、高杉なども皆僕と所見違うなり。
その分れるところは、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり。
さりながら人々おのおの長ずるところあり、諸友を不可とするに非ず。

もつとも功業をなすつもりの人は天下(てんか)皆みな是これ、
忠義をなすつもりはただ吾同志数人のみ。

吾等功業にたらずして忠義に余りあり。

いく回も罪名論行つまらざること僕一生のあやまちなり。(以下欠)

 

           「現代日本記録全集 2 維新の風雲」筑摩書房

             1968(昭和43)年9月25日初版第1刷発行


この記事についてブログを書く
« 吉田松陰 「留魂録」 | トップ | 菊池 寛著『大衆維新史読本』... »
最新の画像もっと見る

吉田松陰」カテゴリの最新記事