管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

若い先生へ 道徳は自信をもって指導できますか?

2020-05-17 14:30:47 | 勉強、授業
悲しいかな、私には「できません。」
 理由はいくつもあるのですが、1番の理由は「道徳」という「特別の教科」は、「科学でない」からです。例えば算数や理科は、人間が時代を超えて発見したり証明したりした事柄の集大成です。数理科学、自然科学、物理科学、化学とか呼ばれていることにも表れています。国語にしても、教え方や何を重点にするかは統一されたものはないにしても、それぞれの考えで到達した事柄を学ぶことにおいては、算数などと似た側面があります。人文科学などとも称されていますから。
 つまり教科と呼ばれているものは、人類の叡智を、言い換えれば「真理」を追求し、しっかりと受け継ぐ学問群と言えるでしょう。
 しかし、「道徳」だけは違います。「特別の」と、苦し紛れの形容詞がついていますが、これは断じて教科ではない。そう思っています。
 ですから、学問的な到達点とは関係のない「常識」「マナー」「ルール」「エチケット」・・・を学ぶものだけに、それをどう教えていいものか、いや、教えていいものか、いつも悩みながら授業を行っている私です。

 ※同じように考えている教師から、「道徳読み」「途中読み」「批判的読み」といった方法の書籍、意見が出されていますが、どうも私にはしっくりとは馴染めません。「今やらなければならないとしたら、この方法しかない」といった危機感は伝わりますが。

戦前の教訓が生かされていないことも
 2つ目の理由は、戦前の教訓が少しも生かされていないということです。
 私も戦後に生まれ、直接の戦争体験はありません。
 父方の伯父が零戦の操縦士であり、訓練中に事故死したこと、母方の伯母が代々木上原に住んでいて東京大空襲に遭い、着の身着のままで逃げ回ったこと、父が徴用された工場で、右手の親指を決断してしまったこと。そのくらいしか、私の周りの戦争の傷跡が思い浮かびません。それらは、すべてあとから聞いた話です。
 幼少のころ、伯母(空襲で逃げ回った)と池袋に行った際は、北口の地下道を通るのがとても怖かったことも、ひとつの「体験」です。地下道には、その両側に「白い装束」の傷痍軍人が何人も座り込んでいて、アコーディオンを弾きながら「寄付」を募るのです。(すでに戦後、10年以上経っていましたから、大半は「ニセモノ」だと後から聞きましたが)
 そのときは何も気づかなかったのですが、大きくなって、「もし戦争がなかったら」と思うようになってきました。
零戦の伯父の奥さんは、その後再婚。良い旦那に恵まれたとはいえ、配偶者の事故死で、当時の幸せを打ち砕かれたことも確かです。空襲で逃げ回り、財産を燃やしてしまった伯母は、その後露天商から再出発しました。生涯独身であったことも戦争の影響があったようです。父も、親指のない生涯を送り続けることになります。
 私の親類は、まだ良い方だったのでしょう。
 親を亡くし、兄弟を亡くし、夫を亡くし、さらには「外地」で人を殺め、それからの人生が、運命が大きく変わらざるを得なかった方は、それこと限りなくいたことでしょう。

 戦争に向かって突き進む時代、そして戦時中、国民を「喜んで」死に追いやったもの、疑問もなく「お国のため」として、「殺人」たる戦争にのめりこませた要因のひとつに、「修身」の存在がありました。

 詳しくは書きませんが、国家が生き方の善し悪しを決めていたのです。国のため、天皇のために、生きるのだ、死ぬのだと、子どもたちは、学校で毎日教え込まれたのでした。
 戦後は、その誤りを反省し、「修身」は廃止になりました。「国が国民の生き方を説いてはいけない」という教訓です。

 「内容が戦前とはちがうから、いいんじゃないの」と思っている方もいることでしょう。私も以前はそう思っていました。しかし、問題なのは、「国が国民の道徳、生き方を束ねてしまう」ことなのです。

 1974(昭和49)年、首相在任中の田中角榮は、児童教育指針として【「五つの大切、十の反省」】を掲げました。
「五つの大切」
1 人間を大切にしよう  2 自然を大切にしょう  3 時間を大切にしよう 4 モノを大切にしよう
5 社会を大切にしよう
「十の反省」
1 友達と仲良くしただろうか  2 お年よりに親切だったろうか 3 弱いものいじめをしなかったろうか
4 生き物や草花を大事にしただろうか  5 約束は守っただろうか  6 交通ルールは守っただろうか
7 親や先生など、ひとの意見をよく聞いただろうか  8 食べ物に好き嫌いを言わなかっただろうか
9 ひとに迷惑をかけなかっただろうか  10 正しいことに勇気をもって行動しただろうか
 
 なにか当たり前のような言葉の群ですが、当時、これが発表されたときに、国民から、マスメディアから、「国家が国民に道徳を説くべきではない」と、激しく批判を浴びました。上から命令調に、国民に対して「かくあるべき」を説くことが、「戦争への一里塚」だとして、拒否されたのです。(内容の是非ではないこと、わかりますか)

★時の施政者が、国民に向かって「道徳」を説くことは、戦後になっても、何回もなされています。上に紹介した以外でも、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く・・・」と発言したこと。(2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における森の発言)最近では、幼稚園で「教育勅語」「五箇条のご誓文」を園児に唱えさせているという報道に、柴山昌彦・新文科相が10月2日の就任会見で「教育勅語」について、「アレンジをした形で、例えば道徳等に使うことができる分野は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」などと発言をしたり、文科省では、教育現場での扱いについて、そのまま教え込むことはできないとしつつも、「学校において教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だが、憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない。」と、後退した評価、活用の道を示したりしました。いつの時代も、国民の道徳形成に、自分の考えを押しつける政治家はつきもののようです。

 「長いものには巻かれろ」といった、主体性のない国民、従順なだけの国民を作っていくことこそ、戦争に繋がるものだとされたのです。学校で教える道徳も、その延長上にあるのです。

 3番目には、教える「徳目」について、また「教材」には、大きな落とし穴があるということです。道徳は、ある場面に出会ったときに、どういった基準で考えればいいか、そして、どのような行動を起こせばいいか、その判断をするための力を養うトレーニングをする教科だと考えます。
 教科書を読めば一目瞭然ですが、そこには圧倒的に「物語」が掲載されています。そして、その教材文の大半は、ねらいとする「徳目」に結びつけようとする文脈、登場する人物の性格・言葉遣い、状況などが満載されています。
 たかだか数ページの物語の中で、子どもたちに、「誠実」やら「友情」やらを感じ取らせる目標のようですが、みなさんの実生活を思い出してほしいのです。
 たとえば、友だちから「お金を貸して欲しい」という依頼を受けたとします。あなたは、その時に何を考えますか。
「その友だちとの関係の深さ」「信頼に足る友だちなのか」「何に使うための金なのか」「金を渡して、それが友だちのためになるのか」「自分は、金を貸して困ることはないのか」「貸さないとしたら、関係はどうなるのか。反対に貸すとしたら、どうなるのか」・・・
 たくさんの視点に立った判断が必要になるのが、現実の生活です。自身の中にある「誠実」や「友情」のために、その時に考えた、たくさんの条件を駆使して結論を出すのです。
 しかし、教科書の物語には、それを可能にするほどの豊富な「手がかり」がないものがほとんどです。つまり、それらを少ない指導時間の中で、確認し、類推し、あるいは無視して、授業を終えなければなりません。(これについては、いずれ詳述します)手がかりのない(少ない)事例から、何が誠実か、真の友情かの行動の指針を出すとすれば、それは誤った判断を導くものとなるのは当たり前のことです。
 
 総論ですが、私の道徳指導の逡巡は、以上3つの疑念があるからです。
 しかし、それでも指導しなければならない現実。それについては、またお話していきたいと考えています。