こんにちは!担任助手の松田です~
つい先日生徒と話していると、なんとたまにこのブログを見てくれているとのことでした!担任助手以外でブログを読んでいる人を聞いたことがなかったのでとても驚きでした...。面白い文章が書けるよう精進します!
さて、夏休みももうすぐ終わり、高校生のみなさんは新しい学期が始まることかと思います。しかし、学校生活が戻ることで、友達と会えて嬉しい!という人もいれば、面倒だなと思う人も中にはいるのではないでしょうか。前回のブログでも書いたのですが、学校特有のクラスというコミュニティってどこか生きづらいというか、どうしても周りに合わせなければいけないという不自由さがあるかと思います。実際自分もその一人で、それなりに学校生活は楽しいものの、どこかズレみたいなものを感じていました。
そういったことを考えていると、結局誰と接しているときが本当の自分なんだろうと疑問に思いました。今までの生活、そして今の生活でも、色々な人との関わりがあって、誰と一緒にいる時でもそれぞれの楽しさを感じる反面、自分が出している「自分像」みたいなものは人やグループによって違っていたり、自分の全てを出しているわけではなかったりしていて、じゃあ自分はみんなに本性を隠して、仮面を被って接しているのではないかと考えました。
でも、そもそも本当の自分なんてものは1つではないのかもしれません。
最近読んだ平野啓一郎著の『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本では、唯一無二の本当の自分なんてものは存在しなくて、個人に対する概念として「分人」(著者による造語)という様々な人との関わり毎に見せる多種な人格の集合体が、本当の「自分」であるということが述べられていました。色々な人との関わりを通じて、それぞれの場面で見せる口調や態度、コミュニケーションの取り方が繰り返されていくことにより、「分人」という新たな人格が生まれます。様々な関わりの中で、世間話くらいの会話しかない関係もあれば、自分の悩みを相談するなど込み入った話が出来る関係もあるように、場面毎に自分が持つ「分人」の大きさは違ってきます。でも、複数ある「分人」はどれも自分を形成するものであって、1つの人格によって人間は成り立っているわけではないということだそうです。
確かに高校生の時の自分も今の自分も、対人関係において仮面を被っていたわけではなく、相手との相互作用の中で自然とその振る舞いが生まれていたのかもしれないです。そのため、人によって自分の在り方、というかふるまい方も変わっていたのかなと思います。
大学から社会へと出ていく中で、自分達には「個性」というものが求められるようになってきます。そうしたことを考える中で、自分とはいったい何者なのだろうかと悩んでしまう事もあるかと思います。でも、色々な自分がいて、その集合体が自分であるという風に考えれば少し気持ちが楽になるかなと思いました。
とはいってもこれも1つの考え方なので、正解不正解はないと思います。ただ、いろいろなことを考えて生きていく中で、自分の考えだけでなく外部からの刺激を得ることも大切だなと感じました。
受験勉強をしていく中で、いろいろな勉強法や受験方式などにさらされて、何が正しいのか分からなくなることもあるかと思いますが、自分の考えと外からの知識を上手く組み合わせて、しんどいことも乗り越えていってもらえればと思います。