Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

裁判員制度について思うこと

2008-09-03 05:50:23 | 政治
裁判結果に関する新聞記事を読んで、違和感を感じるのは私だけでしょうか。

いつもいつもあるわけではありませんが、ある事案が裁判になって、その判決内容が、その新聞社の主義主張に沿うものならば「その判決は妥当だ。訴えられた者は判決に従え」といい、もしその逆だった場合、「この判決にははなはだ疑問である」といいます。

最近はインターネットで情報を得る人が爆発的に増えましたが、その背景には新聞社というマスコミに対するある種の疑問が多くの人の中にあったからだとも思います。そういいつつも、私はいまだにネットで大きな新聞社の記事をはしご読みすることを日課としているのですが。

アメリカではすでにこれから日本で始まる裁判員制度と似たような制度のあることをご存知だと思いますが、裁判員に選ばれたことは今まで一度も無い、という友人がほとんどの状況でなんと私は2回も呼び出しを受けたことがあります。

見るからにいかめしい封筒にて郵送されてきたその呼び出し状は、日本でも「赤紙」に喩えられたりもしていますが、確かに「有無を言わさぬ」物でした。

「あなたは裁判員に選ばれました。何月何日の何曜日にどこどこの裁判所に来てください。」

「あなたはこれを拒否できません。拒否した場合は罰則が与えられます。」

政府関係から直接手紙が来ることなど滅多にありません。特に私はまだ市民権を持っておらず、アメリカ人でもないのです。ですからはじめてこの手紙を受けたときは正直「自分が何か悪いことでもしたのかな」と、心当たりを頭の中でぐるぐる考えたほどでした。英語で書かれた文面で、裁判所だとか、罰則だとか、そのあたりの単語しか拾わずに読みましたので、そう思ったのかもしれません。しかし心当たりがなかったことは幸いでした(笑)。

その時も、そのあとに呼び出しが届いたときも、どちらも「アメリカ市民ではない」ことを理由に断りました。日本の場合は選挙権を有する人を対象にくじで決めるようですが、こちらは納税している人間を対象にくじをするのかもしれません。

アメリカ人の友人と話していて、そのときのことが話題になったことがあります。そして、彼にこのような制度を持つことに対してどう考えているのか聞いてみました。

「裁判官も完璧な人間ではない」

単純に言えば彼の答えはそのようなものでした。ですからこの制度については、彼は肯定的に受け止めています。多くの民意を反映させることが結局は公正?公平?な結果に結びつく、と彼は考えているようです。

先ほど書きました、新聞社の記事の書き方も、世論と全く相容れないところで論説は出来ないでしょう。そんなことをしたらその新聞は売れなくなってしまいます。新聞社も最後は営利企業です。結局はその時々に、より多くの人が納得する結論を導き出すことが、結果に対して責任を持つ、という意味でも望ましいでしょう。

ただこのアメリカの裁判員制度も全く問題が無いわけではないようです。企業対企業の裁判など、一方の企業が外国企業の場合、どうしても「身内かわいさ」が出てしまうのは人情でしょう。実際日本の企業がアメリカで訴えられて敗訴する例はよく目にします。ブリジストンがフォードに訴えられたことは記憶に新しいですね。あの時は和解になりましたが、もし根拠も乏しいにもかかわらず、裁判でフォードがごり押ししようとしていたのなら大問題です。

日本の裁判員制度では、このような裁判には対象外にしているようです。これは日本人がより中立、公正を重んじる国民性であることをよく示していると思います。


しかし私も人の子。やられたらやり返せばいいと思ってしまうのですが、みなさんはどうでしょう。


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