今も飛行可能状態にある52型丙。ただ単に飛ばす暇がないことが一番の延命理由でしょう。
「これどこで買ったんだ?」
「どの会社が作ってる?」
公園で飛行させるとそんな質問を必ず受けます。ゼロ戦の飛行姿はアメリカ人をしても目を見張るものがある様です。
私がゼロ戦にここまで惚れ込んだのはどうしてだろう?と考えたことがあります。
中学の頃見た映画、「零戦燃ゆ」これも影響大だったような。
祖父が海軍で潜水艦乗りをしていたことも影響していたと思います。飛行機とはあまり関係の無い部署でしたが実際のゼロ戦を見る機会はあったようで時々話をしてくれてました。その祖父は今はもう他界しています。
で、
中学の頃はもっぱらゼロ戦に関する書籍とプラモデルに熱中しました。
プラモデルの方は当時の極小モーターと蓄電池を小さな機体に組み込んでプロペラを回す改造をしたりして遊んでました。
高校生になるとバイトも始め、ラジコンのゼロ戦を手に入れることも出来るようになりましたが当時はまったく操縦など出来ないことを自分でも分かっていましたのでおっきなプラモデル(それにしては値段が…)を買ったようなものです。
自転車で香川から京都までわざわざゼロ戦の実機を見るために行ったこともあります。京都に辿り着くのに2日かかりました。途中竹やぶでテントを立てて一泊です。しかも雨でした。
ゼロ戦にお目見えした次の日は快晴。初めて実機のゼロ戦を目の当たりにした時の感動は今でも覚えています。
「で、でかい。」
いつも模型ばかり眺めていたからでしょう。実機を見たときの第一印象はそうでした。
結局その日ははしゃぎっぱなしで当時のゼロ戦搭乗員の飛行服まで借りて写真を撮ったりして「来て良かったー。」と大満足。帰りも自転車でしたが行きよりも下りが多かったせいか帰りは楽だったような…
そして現在。
数年前にラジコン飛行機を始めてからあれよあれよという間にゼロ戦まで辿り着きました。ある意味夢がかなった瞬間でしたね。あの機体を思い通りに飛ばせる感動。言葉には表せません。
この機体にここまで惹かれるのはどうしてでしょう?
ゼロ戦のデビュー当初無敵と言われる程の機動性を発揮し、実際華々しい戦果をあげます。
善悪はこの際おいておいて、世界を相手に戦争をはじめた開戦当初は芸術的なまでの機体の完成度、そしてそれを乗りこなすこれまた職人技を持つ搭乗員で世界の空を席捲。
消耗戦を経て数で太刀打ち出来なくなった時には一撃百殺を目論んで特攻攻撃。
世界相手の戦争でどの場面でもゼロ戦は常に第一線で飛んでいました。
そう、最後はぼろぼろになりながら。
「零戦燃ゆ」の一節に確か、
「こいつだってお前の棺桶になんかなりたくない筈だろ!」
そんなくだりがあったと記憶しています。
戦争に負けたのですからこの素晴らしい飛行機に対する運用に問題があったのは否定できません。
ですがこの飛行機は、
「なぜか分からんが美しい」
のです!
あんまり言うと「じゃあ三菱の車に乗れよー。」と言われそうでこの辺でやめます。
アメリカで模型ゼロ戦パイロットやっている者の独り言でした。
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