7月7日にセガから発売される「サクラ大戦Ⅴ~さらば愛しき人よ~」に関して東京都交通局がTカード(パスネット)を発売する事となった。これは何も驚くべき事ではないだろう。東京都交通局は以前から年に二回お台場で開催される「コミックマーケット」の潜在的な支持者であったし、東京都の石原慎太郎都知事はアニメやゲーム等を日本の今後の基幹産業として認識している。そして、「サクラ大戦」は周知の通り帝都・東京を舞台としたゲームなのである。これを民間活力を重視したい東京都が手を拱いている訳がない。
「サクラ大戦Ⅴ」は1996年に発売された「サクラ大戦」シリーズの最新作であり、舞台は東京、巴里を経て紐育の登場となった。「サクラ大戦」というゲームを分かりやすく紹介するならば、主人公他の正義の味方が「愛の御旗」の下で悪を討つという内容である。「サクラ大戦Ⅴ」の舞台は1920年代であるので一概には比較しようが無いが、まさに2001年9月11日の米国同時多発テロ事件後に相応しいゲームと言えるのではあるまいか。紐育華劇(華撃)団星組にも、東京、巴里同様に人種、宗教、国籍を超えた多くの「乙女」が参集する事によって構成されている。指揮官は無論、アメリカ人である。この構図は以前にも当Blogにおいても言及したが、帝国秩序と言わざるを得ないだろう。そして、製作者側に意図があるか無いかは不明であるが米国を主軸とした「有志連合」の存在を思い浮かべてしまう。
しかし、ここで我々は重大な煩悶を抱かざるを得ないのだ。米国は民主主義国家であり、所謂ローマ帝国のような「帝国」秩序とは存在が異なっているのである(「デモクラシーの帝国」という言葉も存在しているが)。現在の国家は民族自決による「帝国」の崩壊によって国民国家を形成していった。この状況を「帝国」で解釈してしまうならば、「国民国家」のシステムを崩壊させようとしてテロ行為を行うイスラム原理主義過激派勢力等が「国民国家」を樹立する存在として描き上げられてしまうのである。一見するならば、帝国秩序として描き出される「サクラ大戦」であるが、その舞台が「帝国」にあごがれ続けるものの(周知の通りニューヨークには「エンパイアー・ステートビル」がある)「帝国」から最も離れた位置に存在する米国に舞台を置いた時にその解釈論は旧来のものと異なった視点を付与されて語られなければならないとも言えるのかも知れない。