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王権神授説という愚論~Destiny考

2005年04月24日 12時01分48秒 | 世情雑感(サブカルチュア)

 「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」も中盤を迎えており後半に登場してくる新型MSがHP上等で明らかになって来ている。例えば、本作の主人公たるシン・アスカはディスティニーガンダムに搭乗する事となるし、作品中において絶対的な力を持っているキラ・ヤマトもスーパーフリーダムガンダムに搭乗する模様だ。この作品が国家が最高主権を持つと言う現在と同様の国際秩序を持ちながら、その中にキラ・ヤマトそして「アークエンジェル」という武力を私する異端分子が存在し、その異端分子がこの世界において最強の力を保持していると言う異質性については当Blogにおいても以前から言及している。どうも各種情報を総合すれば、この状況は改善する事無くストーリー後半においても悪化する一方のようである。
 今回は題名に「王権神授説」という言葉を掲げた。王権神授説とは「”国王の支配権は王の先祖が神から直接に授けられたものであるから、失政の場合も国民への責任はない”とする絶対王政を正当化するイデオロギー」(「世界史B用語集」、山川出版社、1995)である。この世界において武力と言う側面における支配権は、地球連合にもザフトにもない。それは核エネルギーを動力源とするフリーダムガンダムの強大な武力とキラ・ヤマトのSEEDという卓越した能力に依拠している。そして、キラと「アークエンジェル」はその武力を「正義」という名の恣意的解釈によって行使している(この点において第26話に於けるアスラン・ザラの指摘はある意味で正しい)。つまり、「失政の場合の国民への責任」は戦闘における必要最低限度の犠牲と解釈出来るが、この場合は王権神授説等より更に性質が悪いのかもしれない。キラは王権を神授されたと言うよりも自身が「神」となってしまっており、神政となっているからである。この神政の致命的欠陥は補償が為されないと言う事であろう。近代国家は徴兵制によって国民皆兵体制を採り(徴兵も志願制も本質的に相違は無い。此処での意味は身分階級差による差別が無いと言う点である)、国家はその国家の命令による犠牲者に対しては補償を行う事になっている(現実に当てはめれば、戦前の我が国における靖国神社のようなものだ)。近代国家として存在しているであろう地球連合でもザフトでもそれは機能しているのであろうが(それは無論、心理的側面まではカバーしていない)、キラと「アークエンジェル」にはそれを遂行する能力は無い。つまり、キラと「アークエンジェル」がもたらす必要最低限度の犠牲者はまさに殺され損という形になっているのである。
 このように考えると、「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」は一種の革命戦争を描こうとしているのかも知れない。OP映像等にはキラのスーパーフリーダムガンダムとアスカのディスティニーガンダムが干戈を交わすシーンが見られるが、これは前作によって誕生した「神」であるキラ・ヤマトを民衆(地球連合/ザフト)の代表であるシン・アスカが打倒しようとしている姿のかも知れない。ここでは敢えて「神」が現存する人間――「現人神」――となっている点は指摘しないでおこう。この作品が現実の国際政治へのアンチテーゼを含んでいるとする主張が正しいのであるならば、それは極めて恐ろしい現実を我々の前に導き出してしまうからだ。