取次営業orz

取次の営業とは何か

POP考

2010-12-21 | Weblog
「本読んでないから」とか、「面白い(おすすめしたい)本がないから」という理由でPOPを書かない書店員に疑問を感じます。(取次がエラそうに語るな!ハイごもっとも!)

私は昔、スーパーでアルバイトをしていましたが、店長の指示でPOPを書いていました。安い商品は価格を大きく書いて値段を強調します。新製品には新発売と書きました。類似商品でもプライベートブランドの方が利益が大きいため、PB商品だけにPOPを付けて、顧客を誘導をするようにしていました。(自主的にやっていたわけではありません)

「スーパーと一緒にするな!」

新潮文庫「ゴールデンスランバー」が売れています。何故でしょうか?

「面白そうだからだよ!」

勿論そうなんDEATHけど、それだけが理由であれば、ハードカバーを買えばいいのです。
私は、「お得感」が理由なのではないかと思います。文庫版(税込900円)はハードカバー(1,680円)に比べ、780円安いわけです。「面白そうだし、文庫になって安くなったから買おう」という動機での購買行動は十分に考えられます。
そしてこれは、ハードカバーという比較対象が存在することによって、安い(からお得)ということができるわけDEATH。
今年の10月28日に放送されたTV番組『カンブリア宮殿』では、宝島社のInRed(雑誌コード01763)を880円から650円に値下げしたことで、部数が3倍に伸びたという事例を紹介していました。

しかしながら、「安い」とか「○○円お得」という類のPOPを書店で見かけることはほとんどありません。

"書店員がおすすめしたい本"というニュアンスのPOPを、無理やりスーパーに置き換えるとこのようになります。
「自分でその製品を使用してみて、すごく使いやすくて便利だったからPOPを書いた」
「その商品を食べてみたら、今までにないくらいおいしかったので、その感動をPOPに表現した」

とてもよいことだと思います。
しかし、POP(販売時点広告)はそれだけではありません。

価格をアピールできる商品もあるでしょう。実用書の様に類似商品がある場合には「一番詳しい」「一番やさしい」等の特性や優位性をアピールできるでしょう。あえてダメな商品と並列するという販売手法もあっていいんじゃないかと思います。

そして、そういったセールスポイントを抽出するのは、書店の仕事であり、版元の仕事であり、取次の仕事だと思っています。取次は、該当商品を他社と比較し優位性を抽出する機能を有しています。

でも、そんなことだれもやりません。



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ポジティブシンキングでいこう!

2010-12-14 | Weblog
取次営業の利点について考えてまいりましょう。

貧困を引き受ける取次営業ですが、悲観することは御座いません。
物が買えない、余暇にお金を使うことができない、ということは決して悪いことではないのです。
月読寺住職の小池龍之介氏は著書「考えない練習(小学館)」の中で、このように説明されております。以下に要約いたします。
"ほしいものを手に入れても、「それを手に入れていない状態に戻ったらどうしよう」という苦が生じる。その繰り返しによって欲の業が積まれていく。欲の業は他の欲望にも転化してゆき、人に対しても、自分の欲を押しつけたいという「」の欲とスライドしてゆく。だから、無自覚的にものを増やしていくと、必然的に人格も次第に悪化していく。"

また、小林よしのり氏は著作「修身論(マガジンハウス)」の中で、浅羽通明氏のこのようなお言葉を紹介されております。
「人間は生産を通じてしか附合へない。消費は人を孤独に陥れる」
「生産において人間は、何らかのかたちで部品となり、また多かれ少なかれ損得計算で動かざるを得なくなって、必要性が主、感情は従となります。しかし消費は一人でだってできる。好きな人と映画を観たいとか、気の合う友人たちと旅行したいという場合も、あくまで感情が主で全てです。そこには人間が否応もなく「附合わされ」結びつけられる義理はないのです。」

マザーテレサの遺品は、サリー2枚だけだったといいます。


釈尊は、苦行の末、悟りを得ることができず、最下層の身分の女性であるスジャータに乳粥の施しを受けたことをきっかけにして、悟りを得たといわれています。
雇い主に鞭を打たれる覚悟で、釈尊を供養したスジャータの慈悲心は、時代を超えて私達の胸を打ちます。自己を犠牲にして他者を救う姿は、まさに菩薩と申せましょう。 

社内カーストに於ける最低身分である取次営業こそは、菩薩になる可能性を秘めた存在であると申せましょう。「それでも、赦し、信じ、愛することができるか」を試されているのです。
業を背負ってまで、私達にこのような場を与えてくださるスタッフの皆々様方には、感謝の言葉も御座いません。


作業漬けになることもまた意味があります。
禅の修業では、何も考えないで無心に作務に集中することを重視します。これは「動の瞑想」であります。作業に忘我で取り組み続けることによって、まったく仕事とは関係のない人生の意味を感じられるようになるかもしれません。


取次営業は修身であります。
取次営業は菩薩行であります。

一切衆生悉有仏性
ナ~ム~

新刊配本考

2010-12-06 | Weblog
「責任販売やインペナ施策を実施した銘柄や店舗は、そうでない銘柄や店舗に比べて返本率が低い」

から、責任販売やインぺナ施策を取次営業が書店にきちんと説明して、もっとやらせろ!
という流れになってきました。
別に間違ってはいないですね。数字的にも正しいDEATH。

ただ、何故"責任販売やインペナ施策を実施した銘柄や店舗は、そうでない銘柄や店舗に比べて返本率が低い"のか?
ということに関して、私はスタッフとは異なる見解を持っています。

スタッフ的な見解はこのようなことだと思います。
"書店がインぺナ条件を理解し、利益を最大化できるよう適正な数を考えて発注を行った結果、返本率が下がった。"

翻って、私の見解は以下のようになります。

■取次営業による送り込みが行われている場合
理由1.単に、商品の力と需要予測の精度が高まったから。
理由2.取次営業の意思が作用した結果。

■書店による発注が行われている場合
理由3.インセンティブには特に関心がなく、単に事前に情報提供があったことで、入荷するかしないかが不明であることに起因する過剰発注をする必要がなくなり、ほしい数を注文できたから。
理由4.ペナルティによるリスクを抑えるため、発注も抑える結果になったから。

スタッフ見解が正しい場合は当然、冒頭に書いたとおり"責任販売やインぺナ施策を取次営業が書店にきちんと説明して、もっとやらせろ!"という解で正しいわけです。

しかしながら、もし私の見解が正しい場合には、全く違った解が導き出されることになります。順に見ていきましょう。

■理由1.単に、商品の力と需要予測の精度が高まったから。
■解1.わずかな売上占有の責任販売だけではなく、そのやり方を新刊配本でもやればよいです。新刊のシェアの方が圧倒的に大きいわけDEATHから。ランク、パターン配本ではダメだということです。

■理由2.取次営業の意思が作用した結果。
■解2.取次営業が新刊配本すればよいです。具体的な方法としては、バラモンが営業に事前に商品情報を提供し、営業がバラモンに配本数を返すという形になります。

■理由3.インセンティブには特に関心がなく、単に事前に情報提供があったことで、入荷するかしないかが不明であることに起因する過剰発注をする必要がなくなり、ほしい数を注文できたから。
■解3.単に事前に書店に情報提供して、書店が新刊配本すればよいです。

■理由4.ペナルティによるリスクを抑えるため、発注も抑える結果になったこと。
■解4.全て買切にしてしまえばよいです。


さらに、何故導き出された解1~4のとおりにできないのか、についても考えてみます。

■解1.わずかな売上占有の責任販売だけではなく、そのやり方を新刊配本でもやればよいです。新刊のシェアの方が圧倒的に大きいわけDEATHから。ランク、パターン配本ではダメだということです。
■できない理由1.版元指定、版元ランクは変えられません。それ以外の銘柄やフリー分のランク、パターン配本をやめて、インぺナ式の需要予測をすることはできますが、それはバラモンの負担になってしまいます。

■解2.取次営業が新刊配本すればよいです。具体的な方法としては、バラモンが営業に事前に商品情報を提供し、営業がバラモンに配本数を返すという形になります。
■できない理由2.バラモンの負担になってしまいます。また、バラモンの配本主導権が脅かされてしまうことになります。

■解3.単に事前に書店に情報提供して、書店が新刊配本すればよいです。
■できない理由3.ワンピース的な商品は書店需要が供給を上回ってしまい、仕組みとして機能しません。しかし、そういったモンスター商品は全体の数パーセントに過ぎませんので、それらの銘柄を除外するか、売上規模に応じて配本上限を設定する形ではどうでしょうか。やはり、できません。バラモンの負担になってしまいます。また、バラモンの配本主導権が脅かされてしまうことになります。

■解4.全て買切にしてしまえばよいです。
■できない理由4.返本率は大幅に下がりますが、販売機会が失われ、結果的に売上に甚大な影響を及ぼすことになってしまいます。


わーわーゆうとりますが、そもそもこれらの解が検討されることも無ければ、話題にのぼることもありません。

私が間違っているのでしょう。

チ~ン・・・。

ナージラーレ

2010-12-01 | カースト制度
バラモン慢心について書き続けてきました。
今回は、バラモンに特有の行為とその意味について考えてみたいと思います。

その横柄な態度(そうでない人もいるんですよ)の中でも、営業にとって最もダメージの大きい行為の一つに、"詰り"があると思います。
詰り行為の実践は、バラモンにとっては様々な意味と利点があります。

まず、論外と思われる意味を敢えて論じますと、「ストレス解消」と「暇つぶし」ということがあります。
バラモンの仕事というのは、基本的にはルーチンワークですから、長期間同じ担当を続けると、業務の流れや仕事の仕方が完成しきってしまい、イレギュラー対応が強いストレスとなります。営業はストレス因子でしかありません。
また、同様の理由で、暇になってしまうケースもあります。同じ仕事を続けていれば、より効率的に作業を進めることができるようになりますから、時間が余ってしまうのです。
所謂、弱い者いじめはストレスの解消になりますし、暇つぶしにもなることでしょう(人によりますけど)。これにより、詰り行為が発生するわけです。

次に、「自分が好き」ということがあると思います。
バラモンは、担当ジャンルにおいて全能に近い力を持つことがありますので、仕事にアイデンティティを感じやすい人は、どんどん自分を好きになっていきます。全能の大好きな私に、営業ごときが文句を言うなんて・・・。これはもう詰るしかありません。

論外はここまでです。

実際には、「暇つぶし」ができる人は一部で、全体的には業量が増えているばすなんDEATHよね。出版物の発行点数が増えているからです。1銘柄を10,000冊配本するのと、10銘柄を1,000冊ずつ配本するのでは、後者の方が業務負荷が大きいと想像できます。(総量規制を行っても、配本点数自体は変わりません)

配本はライン業務ですから"落とす"わけにはいきません。締切に追われる仕事です。翻って営業ですが、自分で調べればすぐわかるようなことを問い合わせているケースも多分にあると思います。
問い合わせる必要のない問い合わせをさせないために、問い合わせる必要のない問い合わせをした営業を詰る、ということには正当性があるような感じがします。
でも、そもそも詰るタイプの人というのは結局、問い合わせの内容はどうでもよくて、問合せそれ自体がウザいので詰ってしまう、というケースがほとんどなのではないかと思います。

しかしながら、その効果は絶大です。多く営業マンが詰られたくないと思っているからです。
結果として、モンスター化した方が得なんです。

また、スマートな方法としては、営業の頼みごとを聞いてあげた(?)上で、詰ってみたり、嫌味を言ったりする、ということがあります。
この方法ですと、営業は頼み(?)は聞いてもらえたので文句は言えませんし、詰り行為の不快感から、以後頼みごと(?)や問合せをしにくくなります。
犬の餌容器に微弱な電流を流しますと、犬はビリビリを嫌って、よっぽど空腹に耐えかねた時以外は餌を食べなくなります(一部は死にます)。
犬の肥満防止に効果があり、餌代も節約できるのです。

さぁ今日もビリビリ飯、いっただっきま~す!



【予告】
今回の記事内容に関しては、具体例をご紹介したかったのですが、具体的であるほど個人を特定しやすくなってしまいます。当ブログの目的は、個人を特定し批判することではありません。取次営業の感情面の質感をお伝えするには、基本的にフィクション形式を取る必要があると思っています。
だので、これらの事柄に関しては「トリツギヲの日常(仮)」というタイトルでシリーズ化し、お伝えしていきたいと考えています。(やらないかもしれないDEATHけど)