書店「こんなセットたのんでねぇ!送り込みだ!引き上げろ!事故処理しろ!」
よくある話DEATHね。
まずは「送り込み」の定義について考えてみましょう。これは2つあると思います。
・定義1:新刊委託条件ではない商品を、書店の意思を確認せずに送品すること。
・定義2:書店の望まない商品を送品すること。
定義1は正しいように見えますが、これでは重版配本できませんね。
定義2は間違っているように見えますが、実際にクレームを付ける書店はこちらの定義を採用しているんじゃないでしょうか。「ワンピースが送り込まれた」とか「1Q84が送り込まれた」とかあまり聞きませんね。
なのでここでは「書店の意思を確認せずに、新刊委託、または重版配本でない商品を送品すること」と定義しましょう。
―何故送り込みがあるのか?―
送り込みは営業の責任において行われています。
会社としては「送り込み」という行為は存在しないのです。
基本的に送り込みになるような商品は、ちゃんと注文書があって受注を吸い上げる形になっています。いるはずです。ですから、受注が集まれば送り込みは発生しないのです。
受注が集まらないのです。
もっと言ってしまえば集める気もありません。ピュアな営業なら、注文書の束をセレクターよろしく書店に持ち込んで受注促進をかけるでしょう。そして、受注獲得の難しさ、時間的制約の厳しさを思い知ることでしょう。
つまり、売れそうにないセットや企画が、タイトな締め切りで大量にあるということです。しかもそれにノルマが課されているということです。
我々取次営業は、仕入系スタッフに言われるがままに目標数を押し頂き、送品店を申告します。あくまでも"受注店"という形で。クレーム・トラブル等があっても、それは「受注店である」と嘘の申告をした営業に全責任があるのです。
書店「そんなの断ればいいだろ!自分の営業成績上げたいだけだろ!」
少なくとも私は、送り込みで営業成績を上げようと思ったことはありませんし、担当書店との関係が悪くなるだけで結果的にはマイナスだと思っています。しかし・・・。
"スタッフ>営業"というヒエラルキーが厳然として存在し、我々はそれに抗うことができないのです。(このあたり話は別の機会に書きます)
書店「そんなの全部取次の都合だろ!書店に押し付けるんじゃねぇ!」
おっしゃる通りです。でも、どうですかね?
実際、取次都合としか言えないセットは多いと思います(大半です)。仕入系のスタッフが送品前年比という数字で動いていて「去年○千万円セットを送品してるから今年もやらなきゃ」的な。
または部戻しが発生しているケースもありますね。よく知りませんけど。とりあえず仕入れれば出版社からお金が貰えるという。
でもですよ。実際すべての企画に目を通して、発注するかしないか判断できます?締切守れます?
取次「注文書は全てWeb公開するので、いるものは発注してください。見逃し、発注忘れ等、救済しません」的なことになったらどうします?(厳しいようで正しい。それでよいという志の高い書店員もいらっしゃることでしょう)
それと、出版社の営業はどう動いているんですかね?「この書店は自社の営業で促進して、あの書店は取次営業に促進させよう」みたい線引きはどこでされるんでしょうか?特に高額本や豪華本は、御社の足で説明して1冊1冊受注すべきなんじゃないですか。人がいなくて?周りきれないの?めんどくさいんでしょ?
ともかく、送り込みはまだまだなくなりそうにありませんね。
個人的には送り込みはある程度やむを得ないと思っています。出版社との関係もありますからね。いざヒット作、良好書が生まれた時に、こういうことで確保できる部数が変動することもあるんじゃないですか。
抱き合わせ商法に近い考え方ですけど・・・。
書店は不要なセットが送られてきたら、即返品すべきだと思います。文句言いながらも並べたり、あるいは引き上げ事故処理させたりするのは、結果的に"返品がない"という判定になり、更なる送り込みの助長に繋がりかねません。
ノイジーマイノリティーは、サイレントマジョリティーには敵わないのです。(ノイジーマジョリティーならどうか?恐くて会社に行けません)
でも、返品しても逆送になる商品もありますよね。延勘だから3ヶ月は返品できないとか。これについては、弁解の余地がありません。ごめんなさい。
実際、こうした条件によって送り込みにくい、またはできない企画が増えつつあります。最近の流行は「計画販売制」ですね。
次回はこれがテーマです。
よくある話DEATHね。
まずは「送り込み」の定義について考えてみましょう。これは2つあると思います。
・定義1:新刊委託条件ではない商品を、書店の意思を確認せずに送品すること。
・定義2:書店の望まない商品を送品すること。
定義1は正しいように見えますが、これでは重版配本できませんね。
定義2は間違っているように見えますが、実際にクレームを付ける書店はこちらの定義を採用しているんじゃないでしょうか。「ワンピースが送り込まれた」とか「1Q84が送り込まれた」とかあまり聞きませんね。
なのでここでは「書店の意思を確認せずに、新刊委託、または重版配本でない商品を送品すること」と定義しましょう。
―何故送り込みがあるのか?―
送り込みは営業の責任において行われています。
会社としては「送り込み」という行為は存在しないのです。
基本的に送り込みになるような商品は、ちゃんと注文書があって受注を吸い上げる形になっています。いるはずです。ですから、受注が集まれば送り込みは発生しないのです。
受注が集まらないのです。
もっと言ってしまえば集める気もありません。ピュアな営業なら、注文書の束をセレクターよろしく書店に持ち込んで受注促進をかけるでしょう。そして、受注獲得の難しさ、時間的制約の厳しさを思い知ることでしょう。
つまり、売れそうにないセットや企画が、タイトな締め切りで大量にあるということです。しかもそれにノルマが課されているということです。
我々取次営業は、仕入系スタッフに言われるがままに目標数を押し頂き、送品店を申告します。あくまでも"受注店"という形で。クレーム・トラブル等があっても、それは「受注店である」と嘘の申告をした営業に全責任があるのです。
書店「そんなの断ればいいだろ!自分の営業成績上げたいだけだろ!」
少なくとも私は、送り込みで営業成績を上げようと思ったことはありませんし、担当書店との関係が悪くなるだけで結果的にはマイナスだと思っています。しかし・・・。
"スタッフ>営業"というヒエラルキーが厳然として存在し、我々はそれに抗うことができないのです。(このあたり話は別の機会に書きます)
書店「そんなの全部取次の都合だろ!書店に押し付けるんじゃねぇ!」
おっしゃる通りです。でも、どうですかね?
実際、取次都合としか言えないセットは多いと思います(大半です)。仕入系のスタッフが送品前年比という数字で動いていて「去年○千万円セットを送品してるから今年もやらなきゃ」的な。
または部戻しが発生しているケースもありますね。よく知りませんけど。とりあえず仕入れれば出版社からお金が貰えるという。
でもですよ。実際すべての企画に目を通して、発注するかしないか判断できます?締切守れます?
取次「注文書は全てWeb公開するので、いるものは発注してください。見逃し、発注忘れ等、救済しません」的なことになったらどうします?(厳しいようで正しい。それでよいという志の高い書店員もいらっしゃることでしょう)
それと、出版社の営業はどう動いているんですかね?「この書店は自社の営業で促進して、あの書店は取次営業に促進させよう」みたい線引きはどこでされるんでしょうか?特に高額本や豪華本は、御社の足で説明して1冊1冊受注すべきなんじゃないですか。人がいなくて?周りきれないの?めんどくさいんでしょ?
ともかく、送り込みはまだまだなくなりそうにありませんね。
個人的には送り込みはある程度やむを得ないと思っています。出版社との関係もありますからね。いざヒット作、良好書が生まれた時に、こういうことで確保できる部数が変動することもあるんじゃないですか。
抱き合わせ商法に近い考え方ですけど・・・。
書店は不要なセットが送られてきたら、即返品すべきだと思います。文句言いながらも並べたり、あるいは引き上げ事故処理させたりするのは、結果的に"返品がない"という判定になり、更なる送り込みの助長に繋がりかねません。
ノイジーマイノリティーは、サイレントマジョリティーには敵わないのです。(ノイジーマジョリティーならどうか?恐くて会社に行けません)
でも、返品しても逆送になる商品もありますよね。延勘だから3ヶ月は返品できないとか。これについては、弁解の余地がありません。ごめんなさい。
実際、こうした条件によって送り込みにくい、またはできない企画が増えつつあります。最近の流行は「計画販売制」ですね。
次回はこれがテーマです。