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大津遷都1350年 ゆかりの地をめぐる

2017年08月03日 | 雑記帳
史跡 近江大津宮錦織遺跡 第1地点 内裏南門と回廊、柵の跡が見つかり大津宮中心と思われる場所
 住宅の建て込んだ現在の姿から内裏の姿を想像するのは極めて困難だが、
遷都1350年というならやはりここは外せない

高校の日本史の時間は殆ど寝て過ごしていたので、まさに付け焼刃そのものですが、大化の改新で政敵を倒して律令制国家の建設を目指した中大兄皇子改め天智天皇が667年に飛鳥から大津に都を移してから、天智天皇が亡くなり、子の大友皇子(後に弘文天皇という諡号を贈られる)が壬申の乱で天智天皇の弟である大海人皇子(天武天皇)に敗れて廃都となる672年まで、僅か5年の間ですが大津に都がありました。 

今年は大津宮遷都1350年ということで京阪電車を愛する会の恒例の秋のイベントでこれに因んだクイズラリーをやろうということになり、今回はその下調べということで、大津線沿線に散在する天智天皇、大友皇子関連のスポットを巡ってみました。


近江神宮楼門 後ろの森と青空に映えて結構インパクトがある 
 本殿は門の奥、門を入って左側に「時」に因んだ2つの日時計と漏刻、時計博物館がある

年表的には前後することになりますが、基本的に電車の駅順に訪問していきます。
先ずは近江神宮前で降りて大津宮の遺跡といわれる錦織遺跡(冒頭の写真)からスタート、次に天智天皇をお祀りしている近江神宮とまわります。 それにしてもこの遺跡で「大津京」はちょっと言い過ぎやなあ。。。


弘文天皇陵 大友皇子の陵墓で大津市役所の裏手にあり駐車場左奥から近道がある。
 この日は無人だったが宮内庁の事務所もある。
  


旧東海道に面した石坐(いわい)神社 天智天皇や大友皇子が他の神様と合わせて祀られている


石坐神社にほど近い法傳寺 大友皇子を今もその子孫が弔っている


鳥居川御霊神社 天智天皇、大友皇子他が祀られている 
大友皇子はこの地で命を絶ったとの説もある

別所で下車して市役所裏の弘文天皇陵、錦で下車して石坐(いわい)神社と法傳寺、唐橋前で下車して鳥居川御霊神社と、天智天皇もそうですが大友皇子(弘文天皇)にまつわる場所が続きます。 大友皇子は政争に巻き込まれ、戦いに敗れて僅か25歳で自ら命を絶つわけですが、これを哀れと思う人が多かったということかもしれませんね。 


天智天皇陵 三条通の喧騒と離れた静寂の世界がある

最後は昨年に続いて山科の御陵にある天智天皇陵を訪問して今回の関連スポット巡りは終了したのですが、私としては多分食わず嫌いであった日本史も、こうして調べてみると結構面白い・・・という収穫がありました。 
これらのスポットをめぐる京阪電車を愛する会のクイズラリーは11月の予定です。 皆様のご参加をお待ちしております。(詳細は大津市広報等でご案内予定です)
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