石丸さんの動画見ていただけたでしょうか。
賛否両論、好き嫌いのはっきり分かれる
タイプなんじゃないかと思いますが、
小池さんとか、蓮舫さんなんていう、すでに
絶対無能かつ有害って事が証明されてる人達
とは比べるのも失礼なほどに優秀だという事
だけはわかっていただけたと思います。
とうちゃんは、この石丸さんて人おもしろい
と思って動画を見続けてて、
で、優秀な人なんだろうだけど どーも
全面的には賛同できないんだけど 今の日本
には必要な人材なんだろうけど うーん
なんだかなあ……
みたいな感想なんですよね。
このややこしい気持ちの中身は、
日本の国の形を変える覚悟を突き付け
られる戸惑いと不安なんじゃないかな、
って思うんですよ。
とうちゃんは、群馬に住んでた頃、町内会の
お仕事引き受けてたことがあるんですけど、
そこでは何か決める時に、お茶飲みながら
だらだらだらだら時間かけてね、世間話を織り交ぜ
ながら、ほんとに無駄と思えるほどの時間をかけて、
しゃべりつづけるんですね。
けれど、それはつまり、情報の共有を図りながら
丁寧に合意を形成してゆく、っていう、
高度な話し合いの技術かもしれないんですよ。
(それか単なる暇つぶしかもしれないんですけど)
で、町の為には、誰かが面倒を引き受けなきゃなら
ないとか、ばかをみなけりゃならないってときには、
なぜその「誰か」が「あなた」なのか、ってところを
よーくわかってもらえるまで説明して、気持ちの
すり合わせをして、そいで納得してもらえたなら
うんと感謝して、酒飲んでシャンシャン。
っていうようなね、そういう手続きを踏んで町内会
というめんどくさい共同体が、維持されてゆく。
そうやって苦労の果てに維持された包摂的な環境が、
個人の帰属意識を養い、ひいては国としてのまとまり
を生み出す。
というような仕組みがぎりぎりで機能して
なんとかなってるのが今の日本だと思ってるんですよ。
アメリカ人だったらイエスかノーか、多数決とって
ハイ決まり、センキュー!
ってところを、白黒をはっきりつけるんじゃなくて、
灰色の、妥当な濃度を探るってのが、いなか者の話し
合いの基本方針なんですね、おそらく。だから
何よりも気分が優先で、合理性とか効率とかいっさい
気にしない主義。
とうちゃんは、安芸高田の議会のおじいさんたちを
擁護するつもりはさらさらないんです。
けれど、石丸さんが戦って、否定しようとして
いるものの本質が、あのポンコツ達の後ろにある、
この国の昔からのまどろっこしい
やり方なんだとしたら……。
って、そこが心配になっちゃうんですよ。
昔からのやり方って言ったって、明治維新とか
敗戦後のGHQによる洗脳の時代を挟んでるんだ
から、どれだけのものが残ってるって言えるんだ。
みたいな意見もあると思うんですけど、
それについては「日本語」そのものに刻み込まれた
仕組みによって、現代に伝わってるんじゃないかな
って思います。
とうちゃんは、先祖代々の由緒正しきいなかもの
なので、農耕民的な考え方がよくわかる気が
してるんですけど、畑仕事をする人たちというのは、
並外れた雨風や日照り、地震、洪水等々の
人間の力じゃどーにもならないものに日々
さらされてますから、なにかというと
「まあ、しょーがねえわなあ」
みたいな気分になりがちで、それは
天下国家の問題に対しても同様に働くんです。
だからとうちゃんは貧乏なくせに
消費税値上げとか、支給年金の減額とか、
あんまり文句言ったことなかったんですよ。
さすがにワクチンだけはゴネましたけど……。
つーか、アレ打った人の数考えると、日本人全体が
お百姓体質って考えていいんでしょうね。
で、そういう考え方、感じ方と通じてる気がするん
ですけど、日本人の言葉の使い方って、
「引っ越す事になりました」とか、
「離婚することになりました」みたいに、
当事者意識が欠けてるっつーか、責任逃れ感が
強いっつーか、ヘンな言い回しが多くないですか。
自分で決めたんだから、「~します」とか、
「~することにしました」がより正確な表現で
すよね。「なりましたー」ってのは、
なんだか、いつのまにか、寝て起きたら、自動的に
そーなってた。 みたいな時の言い方でしょ。
そういう言語感覚の人たちが大勢集まってできてるのが
この国だから、自分で決めたくない。波風立てたくない。
断定的に言い切りたくない。憲法問題やら、原発のコトやら、
いろんなことをあいまいにしておきたい。
っていう国になっちゃってるんですよ。
……きっと。
石丸さんの論法って言うか話の進め方ってのは、
白なんてありえませんよ、黒ですよ!あたりまえでしょ!
ハイ、オッケー!!
みたいな感じなので、日本の、田舎の、低脳の、
お年寄りたちには合わない。あたりまえ。
もしもこの人に都政をまかせるなら、まかせる側も、
相当な覚悟を決める必要があるんじゃないでしょうか。
特に、ものの考え方まで変えられてはいけない
ってところがみそで、日本流のまどろっこしい
話し合い方を、全否定しちゃいけないと思うんですよ。
それは日本の国を穏やかに保ってきた知恵なんです。
白黒つけるだけが能じゃないし、根回しもアリなんですよ。
安芸高田のジジババが低脳だっただけで、やり方
そのものが悪かったのではないと思います。
たぶん。
とは言え、この国が置かれた危機的状況を鑑みれば、
悠長な話し合いなどしていられる余裕が無いのも
あきらかですし……。
なので、もうしばらくとうちゃんは
悩んでみようと思います。
ま、現状マスコミの報道では小池さん対蓮舫さんという、
目糞鼻糞対決ということになってるそうなので、
とうちゃんの心配はまったくの杞憂に終わる
のかもしれませんけどね。