明日のドアをノックして

過ぎゆく時の中で、夢の扉をあけましょう

Ns'あおい

2006年01月31日 | Weblog
Ns'あおい

Ns'あおい意外なことに「本格派」。
フジのナースものというので、「コメディ」くらいに思っていたのだが、医療現場の抱える問題に真面目に取り組んでいるドラマだと思う。原作は漫画なんだな。私は好きです。ホームページでは医療用語の解説もあったりして、これを読んでドラマを見るとより楽しめるかもしれません。

もしかしたら、日本の「ER]をめざすのか!?「Ns'あおい」 ちょっと違うか。

杉田かおるもNHKの大河を蹴った甲斐があったってことなのか!!  まあ、いいか、それも。

『日本のチェ・ジウ』、高橋美鈴

2006年01月29日 | Weblog

『日本のチェ・ジウ』、高橋美鈴


  

     チェ・ジウ                高橋美鈴

言わずと知れた韓国のスター『チェ・ジウ』さんと、NHKの朝の顔の『高橋美鈴』さん。
かねてから『高橋美鈴』は『日本のチェ・ジウ』と感じていたのだが、検索してもこれを言ってる人がいないので、私が言ってみる。

似てると思う。綺麗に通った鼻筋。あごの形。顔の輪郭。長身で華奢な体。利発そうな面持ち。出来れば二人を並べてテレビに映してほしい。上の写真見てたら、どっちが、どっちか分からなくなりそうである。

美鈴さんは私的には好きなんですね。こういう「きっちりした」女性が私的には「萌え萌え」です。「美鈴」て名前も、「美しいものが鈴を鳴らすようにある」ようでいいです。



『きっこの日記』について

2006年01月29日 | Weblog
『きっこの日記』について

今インターネットをやって社会の動向を探っている人にとって、この『きっこの日記』を知らない人はいないかも知れない。「マンション耐震偽装問題」や「ライブドア問題」の「裏事情」を余すところ無く、歯に衣着せぬ物言いで「ざっぱり」と切り刻む、「日本のご意見番」といったようなブログを書く人である。

その情報の確かさは「きっこ」さんがブログで追求したことが後日、捜査陣やマスコミによって検証され、報道され、その情報を「なぞるように」事実の裏付けがなされる程、確かなのである。「あびる事件」や「菊間事件」でも、誰もが「知り得ない」事実を、誰よりも速く、誰よりも確実に日本中の、一般ピープルにもマスコミ各社にも、政治家さんにも、届けてくれるのである。しかも、その情報はみんなが知りたいことを、ジャンルを分け隔てることもなく、迅速に届けてくれるのだからちょっと「ビックル」なのだ。(ちなみに私はビックル全部飲むと気分が悪い。ヤクルトぐらいの量が乳酸菌飲料としては最適。と私のトリビアでした)

この「きっこ」さんがどんな人物なのかは知らないし、特に探りを入れたい訳でもない。本人の言では「ヘアメーク」さんらしい。ブログでは寒い部屋に暖房が入れられない程「貧乏」らしいのだが、私にとっては本人がどんな人間であるかはどうでも良いことで、「確かな裏情報」を届けてくれる「きっこ」さんが「なんかすごいな!」と思っているのである。これも「ブログ」という、「誰もがあらゆることを、なんの検閲なしに語れる」という「時代の産物」のお陰なのであろう。

「裏情報」がそれこそ、「裏」でしか流通しないならば、その「裏情報」を語る人は、語るたびに「命」の危険と隣合わせになる。しかし、「裏情報」を「ブログ」という、「表の」情報手段として流通させるならば、それを読む多くの読者が「裏情報」の「証人」あるいは「目撃者」となる。「裏情報」を語る人のモニター画面越しに守る「ボディガード」になるのである。

彼女の情報を全て信用する必要は無い。彼女の情報が全て本当のものであるかわからない。がしかし、マスコミが、己の企業を、己の命を保身して「言わない事が世間を渡る処世術」として、口を閉ざすのならば、彼女の「ブログ」は日本で唯一の「言論者」になる。命を張った、日本を揺るがす真の「マスコミ」になるのである。

「ブログ」や「掲示板」は今の日本では「マスコミ」より真実を語っているだろう。「ライブドア事件」がらみで「殺された」野口英昭氏のことを知るのには、既存の「マスコミ」がなんの力もないことを知った今では、そのことを強く痛感する。これからは日本中の一個人の「考える力」のネットワークが「マスコミ」を凌駕していく時代になるのかも知れない。

『白夜行』の武田鉄矢

2006年01月27日 | Weblog

『白夜行』の武田鉄矢

ドラマ『白夜行』の武田鉄矢は怖い。金八先生ってこんなに怖かったっけ?
何時の間にか顔の皺が多くなって、刻まれた皺の数だけ「凄み」が増幅する。多分彼の「関西弁」は何か異質な「関西弁」ぽいですが、これも「鉄矢流」関西弁と思えば、それはそれで成立する。
「なんばしよっとかいな!」の武田鉄矢は、「金八」を卒業して別転地に演技の幅を広げるらしい。普通はドラマは「主人公による、主人公のための」ドラマになり勝ちなのであるが、このドラマは主人公の存在感よりも遥かに「脇役」の「存在感」が勝っている。『松浦 勇』役の渡部篤郎もなんか怖いよね。『ケイゾク』見てたけど。

役者に「鬼気迫る」演技を与えているのは、結局のところ「本」が良いのであろう。演技に疑問を差し挟む隙を与えないほどの「本」ならば、その演技に迷いがあろうはずがない。今後の動向がどうなるかは不知であるが、最後まで緊迫感のあるストーリーと役者の演技を期待している。


センター試験、ICプレーヤーで2000円アップ!

2006年01月27日 | Weblog

センター試験、ICプレーヤーで2000円アップ!

センター試験 ICプレーヤー実は“受験生買い取り”

なにかと物議を醸し出したセンター試験の英語での「リスニング」。今年から導入されたのはいいが、ICプレーヤーなるものを個別に受験生に与えて、イヤホンで聴くというものであった。その中でICプレーヤーの不具合やら誤操作で受験生の内461人が再テストになったそうだ。

リスニングなら教室にあるスピーカーを使って問題を読み上げれば良いような気がするのだが、スピーカーからの聞こえる「音」が着席位置によって、それぞれ異なるから「平等な」試験実施の為には、『ICプレーヤーを個別に与えるのが最善の方法』であったらしいのだ。

大学入試センター
ICプレーヤーの使用の理由を語るニュース映像

でも蓋を開けてみれば、「461人が再テスト」という事態を生み出したわけである。受験生は問題を解くのに一生懸命になっているはずなのに、肝心の問題を「聴き取れない」「操作できない」との、受験には必要のない苦労で頭を悩ませる事態に陥ったわけである。

これは辛いね。誰もが電子機器の操作が「簡単!」と思ってる人だけでもなく、誰もがイヤホンの大きさに耳が合うというわけでもなく、誰もがそのICプレーヤーが完全に機能してないことを他人と比較してわかるわけでもなく、しかも、「なんかおかしいな?」との疑問を持ちながらも、「ICプレーヤーがおかしいんです!」と言うことの出来ない内気な人も「再テスト」を受けてない人の中にも多数いたのでは?との推測もあながち嘘ではないように思うのである。女の子だったら言えないかもしれないね。

こんな受験だけに力を集中できないような「リスニング」の試験って必要なのであろうか?しかもその「ICプレーヤー」てのは「その試験だけにしか使えない!」らしくて、その保持してても「意味が無い!」という。この「使い捨てICプレーヤー」は受験生の記念品にもならず、その逆に「忌々しいもの」との烙印のもとに、ヤフーオークションあたりでライブドア株さながらに、売りが大半を占めて買い手がつかないほどの「暴落商品」らしいのである。

せめてMP3プレーヤーになるってのだったら話はわかる。「128Mのメモリーが入っています!音楽を入れて楽しめます!」て言うのだったら受験料2000円アップでも「まあ仕方ないか!」ってなるだろうに、「使い捨て」商品をその後どう「使え!」というのだろう?

新制度導入によって誰が「得」をしたのであろうか?この「ICプレーヤー」に費やした費用は

受験生50万人×2000円=10億円
あるいは50万人×3000円=15億円




なのである。これは発注受けた企業は「ウハウハ!」ですね。その企業といえば他の誰も使わないメモリースティックを使いつづける、業績悪化で坂道を転がるようにして転落している、「ソニータイマー発動!」って言われている、てもう言ったけど、「技術のソニー」ですね。昔ならソニーの製品は信頼性が高いものとの評判があったけれどもね。

この「ICプレーヤー」の使用はこれから何年も続くとなれば、このメーカーにおける収益も多大なものとなるであろう。しかも、この収益は多分、大学入試センターとメーカーの「密約」によってこの契約は「複数年契約」になっているに違いない。しかも未来永劫で独占的なものとして。
この契約は、メーカーにも「儲け口」であるのと同様に、「大学入試センター」(独立行政法人)の「儲け口」でもあるのである。それなりの「キャッシュバック」はあるだろうし。

誰が儲かって、あるいは儲かり続けるか?

という問いには、おのずと分かると言うものであろう。この辺の「カラクリ」というのは、「リスニングテスト」という「大義名分」を得た人間には、楽に考えられるものかもしれない。

この「カラクリ」は一旦どこかに置いておくとして、

普通の商品ならばこの「461個の不具合」は50万個の0.1%程度の「不具合」であり、歩留りとしては悪くないようなのであるが、こと「人生を左右する」くらいの受験においてこの「不具合」が適当なのかどうかといえば、やっぱり適当ではない。受験生にとっては「再テスト」までの心の不安は、受験生以外の人間には理解されないであろう。「再テスト」を受ける時間は、本来ならば次の日への心の、体の準備であるはずなのに、自分の「非」に無い「不具合」でその時間が奪われるというのは、どう考えたって許されることではない。

出荷段階で使用テストを繰り返したのか?との批判もあるかもしれないが、どうしたって機械に「不良品」はつきもの。それを限りなく0に近づけるのはメーカーの使命なのであるが、不良品がどうしても出てしまうのが必然ならば、この「ICプレーヤー」による「リスニング試験」はやめたほうがいいのでは?と思う。

私の提言としては「ラジオ」を使え!ということである。NHK第2あたりを使ってリスニングをしたらいいのでは?と思う。AM電波なら全国津々浦々聞こえるのではないでしょうか?受験生に「ラジオ」を持たせて、一個1000円ぐらいで配布してもいいから、使わせたらいいのではないだろうか?使えない「ICプレーヤー」よりもまだマシだろうと思うのであるが。災害の時にも使えるしね。

技術の進歩は確かに生活に有用であることも多いのであるが、その技術の進歩が逆に

「無駄なもの」を多量に産してしまう、というのは真理でしょうか?

 

 

 

 

 


野口英昭氏の死についての「疑惑」

2006年01月25日 | Weblog
野口英昭の死についての「疑惑」

堀江元側近割腹自殺の波紋…首の両側、両手首に腹部(夕刊フジ)


「自殺」と報道されている。警察がそう発表したからか?

「おかしい?何か変だ!」誰もがそう思うが、マスコミはこぞってこの件に関しては突っ込んだ報道をしていない。「他殺」を疑うこともないようで、あるいはその「疑い」は「自分の身を危うくするもの」として忌避されているようだ。

『駆けつけた救急隊員は「首の両側、手首も両方切っていた。腹部も切り、血の海だった」と証言』

だそうだが、自殺をする人間が「手首も両方切る」だろうか?

切った部位の順番がわからないが、一番始めに切ったとしたら、その他の部位は痛くて、あるいは刃物が握れなくて切れないだろう。では最後に切ったかと言えばそれも考えづらい。死ぬためなら、首の両方と腹、そして片方の手首を切れば「十分」のような気が私にはするのである。なにもわざわざ両方の手首を切る必要がないのである。というか、そこまでやることは「不可能」なのである。

実際には「自殺」である傷と考えるより、眠った、あるいは失神した人を、首から手首、そして腹と上からそして右左と順番に、几帳面に切りつけたような傷に私には思えるのである。実際に見たわけではないのであるが、そう考えるのが「不自然ではない」と思えるのであるが。

しかも、死んだ場所が「カプセルホテル」というのも腑に落ちない。カプセルホテルって分からない人に説明すると、和室にある「押し入れ」のような広さで、箱みたいな2階建ての空間の犬小屋みたいな「ホテル」である。そんな中で「自殺」したなんて、私には考え付かない。その「ホテル」は立ちあがることも出来ないほどの空間であり、決して「自殺」する人が「この世の最後の場所」に選ぶとは、どうにも理解できない。

死ぬには、あまりにも「寂し」過ぎる場所なのである。

なにかの得体の知れない「力」が働いているとしか思えない。この「死」の真相の解明がなされないならば、日本は「闇」の力に牛耳られることになる。そんな「恐怖」が蔓延することになる。

ライブドアについて書いてみる

2006年01月25日 | Weblog
ライブドアについて書いてみる

ここ10日程日本中は「ライブドア」パニックに揺れた。
しかし、堀江貴文の「逮捕」によって「ライブドアショック」はある程度沈静したかのようにみえる。市場は安定傾向にあるように見え、マスコミのライブドア報道もこれから激減していくだろう。

だが、株の暴落に、いままでの「投資」の大半を失った人は多いだろう。降って沸いた「青天の霹靂」の出来事に、我を失って茫然自失の人も居るのかもしれない。「株は怖い!」と今更ながらに気付いた人もいるかもしれない。堀江貴文に「お金」も「心」も捧げてしまって途方に暮れている人もいるかもしれない。

堀江貴文という「虚構」が作り出したものが「幻影」であるとするなら、それを阿片を吸うように「溺れて」いた人には、その「毒」を解毒するにはかなりの時間が必要であろう。その「毒」を解毒出来る人はまだ、これからの「手立て」はある。心配なのはその「毒」を解毒出来ない「弱き者」である。自身の「希望」を、自身の「夢」を託した者にとっては、この「幻影の崩壊」を理解が出来ずに、あるいは頑なに信じたく無いために、心に不安定を助長する。

この「不安定さ」がこの人らに「現実からの遊離」を出現させなければと、思う。全てが「幻影」だったならば、個々の心に内在する投影された「像」もまた「幻影」なのだ。それを「かつての」実態物として捉え続けるならば、本当の「カタチ」を作り上げることは出来ない。人を信じることが「不可」になったのならば、自分の信念で自分の「像」を作り出さなければならない。受動することだけを良しとするな。自分の心でものを見ろ。

と、思う自分がいます。




test

2006年01月13日 | Weblog

 

 

 web手話辞典    から大部分を引用しています。(「淡い」は手話勉強会 から)

 

昨年末の「紅白」の一青窈の「ハナミズキ」がとてもよかったので、手話を歌詞につけてみました。でも、私はそれほど詳しくはないので、これでいいのかは分かりません。ただ、なんとなくこの曲には「手話」が合いそうだったので、作ってみました。


 

 

 


身近にある危険―秋田・泥湯温泉、火山ガス事故

2006年01月04日 | Weblog
身近にある危険―秋田・泥湯温泉、火山ガス事故

泥湯温泉事故、父親も死亡 母子の死因は急性硫化物中(asahi.com)

昨年末に起きた悲惨なニュース。秋田・泥湯温泉での事故だ。
火山ガスが危険であることの認識は、火山近くにいない人間にはほとんど知ることはないだろう。温泉に泊まりに来た観光客には、少し硫黄臭くても、「これが温泉の匂いだね」ぐらいにしか思わないだろう。しかし、実際はこの火山ガスと言うのは、高濃度のガスを吸い込めば「即死」するほどのものであるという。

火山ガスの種類と災害

事故は、雪の中に溜め込まれた高濃度の硫化水素ガスに、落ち込んでしまったのが原因であろう。ただ、その危険を、正月の休みを温泉宿でゆっくりしたかった観光客に理解しろ、と言うのは酷な話である。駐車場の脇に積もった雪で「遊んで」みようと思うのは、雪が深く積もっているのが珍しい子供には、当然のことである。そんな近くに「即死」させるほどの有害な火山ガスが噴出しているとは、考えつかないだろう。

「H2S(硫化水素)」というのは、上のサイトの説明だと、

「温泉地帯でよく感じられる匂いの元です.実際にはかなりの低濃度(敏感な人は0.1ppm以下)で匂いを感じ取ることが出来ますが,危険な濃度になると逆に匂いを感じなくなるので注意が必要です」

ということだ。この説明どうり、この事故の際には、なにも匂いが感じられなかったのだろう。というか、もし、匂いが感じられたとしても、穴に落ち込み、瞬間に失神した子供を助けようとするのは、親なら誰しもやることであろう。
その際に「もしかしたら、ガスの危険があるのではないか?」など、考える余裕すらないのが、当然なのであるが。

ただ、こういう事故というのは、山中であれ、貯水槽であれ、頻発している。この場合、多くのケースで「一瞬にして、失神し、即死」に至っているケースが多いのである。ガスは目に見えない分、その危険性が「見えない」のであるが、その危険性ははるかに高いものであると考えなければならないであろう。