明日のドアをノックして

過ぎゆく時の中で、夢の扉をあけましょう

夏休み最後の日(皆藤愛子とれーす)

2005年08月31日 | 皆藤愛子とれーす
夏休み最後の日(皆藤愛子とれーす)

「めざまし体操キャラバン」が終わったので、今日はスタジオからの愛ちゃんです。

Tシャツ姿でない愛ちゃんに少しの違和感を覚えながら、見ておりました。愛ちゃんってスタジオのもとよりも、明るい太陽の下にいるほうが若さを、らしさを発散させているように思うのは私だけでしょうか。

「もう一度キャラバン隊やる?」ていう大塚さん的発言をしようかと思いながら、それはあんまりだ、とも思い直しています。

とはいえ、今日の愛ちゃんに、「プレゼントー!!」ということで、「夏カレー」が中野さんから贈られていました。

そして、「愛ちゃん、今日は何の日?」っていう中野さんの問いに
「 ……   。」 
愛ちゃん答えません。というか、多分答えられません。
愛ちゃんって食べるときは、それだけに集中しているようです。やっと答えて

「夏休み最後の日!!」って答えていました。

当たりです。私もそう言います。でも正解は「831(やさい)の日」だそうです。だから、野菜カレーだったわけね。
「どうせなら、キャラバン達成の記念のもっといいものをプレゼントしてください、中野さん!」とツッコミたくなりながら、見ておりました。

ということで、愛ちゃんおかえりなさい。

「ルール、ルルルー」(皆藤愛子を追って)

2005年08月30日 | 皆藤愛子とれーす

 

 ▲  ちょっとだけ泣きそうな、愛ちゃん(大塚さん、じゃま)


「ルール、ルルルー」(皆藤愛子を追って)

きょうのあいこ!(喜久ちゃんナレーションで)

今日、北海道、中富良野町で「めざまし体操キャラバン」はオーラスを迎えました。愛ちゃんご苦労様!!

「ルール、ルルルー」って「北の国から」の蛍ちゃんだな。でも、キャラバンカーに「ルール、ルルルー」て…

 しかし、愛ちゃんって意外な所で度肝を抜く事をさらりとやってしまう。ちょっとびっくりだ。

とはいえ、楽しませてくれてありがとう。

このあと夏休みとってリフレッシュしてください。でも明日はスタジオ。

「ルール、ルルルー、ルール、ルルルー…」 淳君、キツネを追っ払っちゃだめ。
「ルール、ルルルー」 愛ちゃん、このネタもらっときます。


ブログ検索エンジン

2005年08月30日 | Weblog
ブログ検索エンジン

ブログの検索エンジンには、gooブログ検索、livedoor未来検索、インフォシークブログ検索などがある。

私はgooのブログであるので、その検索を当然のように使っているのだが、その検索の早さは検索エンジン中で「最速」である。最高のパフォーマンスの状態のならばgooの検索は記事を上げた瞬間に検索に引っかかる。普通は10分もあれば検索に十分上がってくる。ただ、調子が悪いと2,3時間掛かる。もっと調子悪いと2日ぐらいかかるのだが。

livedoor未来検索は早くても5,6時間、だいたい一日ぐらい掛かるかな。しかも全ての記事が検索に掛かるわけではないようで、どういう理由で振り分けられているのかは知らないが一向に検索に上がってこなくて、「ガッカリ」てことも多い。

インフォシークのブログ検索は早くても1日ぐらい掛かる。しかも普通は2,3日掛かるようだ。しかも、その検索のフィルターに相当「漏れ」があるようで、ほとんど、検索にヒットしない。

とこのようなブログ検索速度ランキングになるのだが、いつもgooブログ検索のパフォーマンスが良好の状態である訳でないので、その次に、精度が良く、そこそこの速度が出る「ブログ検索」が育って欲しいものだ。そういう意味でlivedoor未来検索に期待をしている私であった。

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わんこそば(皆藤愛子を追って)

2005年08月30日 | 皆藤愛子とれーす
わんこそば(皆藤愛子を追って)

今日の愛子(喜久ちゃんのナレーションで)

今日の愛ちゃんは、岩手県は大迫町、ぶどうの産地からのロケでした。それにしても、「めざまし体操キャラバン」は、とうとう明日の北海道を残すのみ!!になってしまいました。愛ちゃんのTシャツ、ジャージ姿、ポニーテールが明日で最後なのです!!必見です。録画の用意もスタンバイしておかなきゃ!!

キャラバンを支えてくれた「キャラバン号」に労をねぎらうように磨く愛ちゃん。なんかこんなショートコントも見納めかと思うと万感胸に迫る気がします。

で、体操も終わり、名物の「わんこそば」に挑戦する愛ちゃん。おいしそうに食べております。わんこそばをゆっくり食べております。どうも早くは食べられないようです。萌えです。!!
かわいいです。たぶん子供の頃に「ご飯はよーく噛むんだよ。」って教えられたのを実践女子大しておるのです。

大塚さんの「飲み込むんだよ」とのツッコミに

「まだいけます!!」

て答えておりました。かわゆい!!!ということで明日もカンバレー!!

test

2005年08月29日 | Weblog
goo検索

どうなんだろう?今日のgoo検索は不具合があるようです。記事はあがるのでしょうか?

駒大苫小牧高校の優勝取り消されず

2005年08月27日 | Weblog

駒大苫小牧高校の優勝取り消されず

駒大苫小牧の全国優勝変わらず、部長は謹慎 高野連結論 2005年8月27日(土) 20時0分 朝日新聞

「優勝が取り消されなくて良かった」とほとんど誰もが言っているよう。

「生徒に責任はない」から

では、明徳義塾の出場辞退は一体なんだったのか?という気がする。確かに、生徒の問題と部長の問題ということで、責任の所在が違うということであるらしい。また、せっかく優勝して「しまった」のだから、それを取り消すのは、「天国から地獄へ」落とすようで、「忍びない」という、あいかわらず温厚な日本人の節操ない体質が、「優勝取り消し」への嫌悪であるらしい。

でも、これって既成事実が覆されるのが、夏の甲子園での感動を与えてくれたそのドラマを「取り消す」のが、嫌なだけなのか?とも思ってしまう。

自分が言いたいのは、

「明徳との「暴力」の意味の違いを誰か明確に提示してくれ!」ということである。

「明徳義塾の場合は、ベンチ入りメンバーを含む生徒自身が暴力行為に加わるなどしており、酌量の余地はなかった」

としているが、いままでの高校野球の「辞退」の歴史を思い出せば、「メンバーを含む生徒自身が」起こしていない事件でも「辞退」した例はあるのである。「優勝」後の事件発覚であるから、「取り消す」のが不可能であるからといって、明徳の事例を比較して、駒大苫小牧の責任を回避しているのは、均一的な裁量に基づく決定ではない。

高校野球についての「暴力」の定義を誰が、規定しているのか?ということを疑問視しているのである。二つの「暴力」についてその次元の相違を示さないまま、「気分」に乗じる「優勝肯定」を全員の意思にしないでくれ、ということなのである。

しかも、この部長の「暴力」を駒大苫小牧の生徒が全く見なかったのか?という疑問も出てくるのである。その暴力を誰もとめなかったのか?実力で勝ち取った「優勝」であるのだが、「暴力」に対する全員の意識はどうだったのか?それを問いたい。


しかし、結局暴力を受けた子の親父さんがふんだんにマスコミを駆使してこの問題を広げたのだが、この決着には多大のマネーのトラがいたかもしれない、もう飼ったですね、と思う今日この頃の私。ある筋の手法に似通っているのだが。


 


なまはげ(皆藤愛子を追って)

2005年08月27日 | 皆藤愛子とれーす
なまはげ(皆藤愛子を追って)

今日の愛子!!(西ちゃんのアナウンスで)なまはげであった。

「泣く子はいねが~~~~!!!!」

オレが子供だったら絶対泣くな、なまはげ出てきたら。
ていうか、なまはげ、子供がなくまでおどかし続けるだろうし。

ところで、愛ちゃんのリアクションって、大きくない。
「ぎゃー!!」じゃなく「ふへー!!」って感じのリアクション。
それが萌える要素であるけれど。
微笑をたたえたままレポートを進行していく愛ちゃん。うーん、

やっぱり大器である。早稲田だもんな。

愛ちゃんはプロフィールをみると、なぜだかまだ大学生。だけど、すでにお仕事してる。卒業したらアナウンサーなるのだろうか?それとも芸能界入り?

さあ、どっちにするの?愛ちゃん。

「萌え~~~!!」

2005年08月25日 | Weblog
「萌え~~~!!」

エルメス、メイドになってしまったか。イメージ違うけど、それはそれなりに…



♪新しい日々のボクたちは   高鳴る予感がしてるのさ

 君とボクが  夢を叫ぶ    

 世界はそれを待っているんだぜ

 あなたのために歌うのが   これほど怖いのもだとは

 だけどボクら確かめ合う  

 いままでの過去なんて  なかったかのように
  
 悲しみの夜なんて  なかったかのように

 歌い出すんだぜ!!

 世界がそれを愛と呼ぶんだぜ!!

          
           “世界がそれを愛と呼ぶんだぜ”  サンボマスター


  にしても、陣釜さん、暴力振るい過ぎ。

  にしても、塚地、何処行ったんだっけ?

  にしても、阪神タイガース、パソコン直らんと思うぜ。

  にしても、小栗旬の彼女かわいいな

  にしても、…   もういいや。

宮城、中学生警官刺傷事件

2005年08月25日 | Weblog

宮城、中学生警官刺傷事件

<中学生逮捕>「拳銃を奪おう」と警察官の背中刺す 宮城県

警官襲撃の少年、「悪いことした」と泣きじゃくる

少年の自宅を捜索=モデルガンなど押収へ-警官刺傷事件で宮城県警

 <<宮城警官刺傷>中3、別の駐在所から手錠と警棒盗む 

少年による警察官への刺傷事件が宮城県で起こったのは今月23日、宮城県である。少年は14歳の中学3年生。刃渡り20センチほどの刃物を使い「カレンダーを見せて欲しい」と要求して警官が背を向けたその瞬間に襲い掛かった、という。

動機は「拳銃を奪う」というもの。最初は「自殺用」に必要と報じられていたが、その後の家宅捜索ではモデルガンが多数所有していた、という。実際にその自宅の部屋を映したテレビの映像にはいろいろな形のモデルガンが映しだされている。リボルバーやオートマチック、マシンガンタイプのものも見うけられた。

刃渡り20センチほどの刃物ならば確実に人を殺せるだろう。背中の傷は肺までもうすこしだったという。心臓にさされば命はなかったかもしれない。しかもその刃物は先端に加工を施してあったうえに、握りの柄にテープを巻いて(握りを確実にするため)いたことは、「確実な殺人の意思があった」と言える犯行計画である。

しかし、拳銃を奪えなかったこの少年は事情聴取にたいして、

「おまわりさんに悪いことをした」  

 泣きじゃくりながら「大変申し訳ないことをした」  

という。      嘘である。 

警官の体の状態を気遣うほどの感情がある人間が、こんな計画的な犯行を思いつくことはない。犯行が成就しなかったため、自己保身の「いいわけ」を繰り出しているだけである。

自分の欲求に対して、他の人間の命を奪ってもそれを成し遂げたいというのは、精神の未成熟さや倫理観の欠如が疑われる。アニメ、ゲーム、コミックの影響もあったのだろう。インターネットで残虐な画像や映像を閲覧出来たこともその精神に「人間の命の重大さ」を認識できないものを植え付けたのかもしれない。

精神の未成熟な子供はこれらの残虐さを与え続ければ、馴れが生じ、「死」への怖れを欠落させてしまうだろう。

いつからなのか、少年少女の凶悪な犯罪が増加したのは。精神がすさんだ時代が今、訪れている。


『中田三郎』中の人の変遷

2005年08月25日 | Weblog

 

『中田三郎』中の人の変遷

 

        ⇒    

    内博貴                 田口淳之介

 

ドラマ「がんばっていきまっしょい」のキャスト、中田三郎の中の人はなぜか途中で変わってしまったのをご存知の人は少なからずいるだろう。

もう、何の理由で交代してしまったのかを失念してしまった人もいるかもしれないが、逆に中の人が変わったことになんの「違和感を覚えていない」人も多いだろう。

私はその「多い人」にあたる。最初から見ていたわけではないということもあるのだろうが、この二人の違いをジャニーズファンではない人にとって見分けがつく人が何人いるのだろう?

ひょろりと長身の髪の長い美男子、(上の写真は間違っていない筈だが、なぜか、同じ顔にみえてしまう)二人の差がなんであるかちっとも分からない。ジャニーズファンなら見分けられて当然だろうけど、そうでないものにとっては「判別不可」である。

まあ、「違和感」を感じさせないキャスティングをした誰かに拍手を贈るべきであろうか。「がんばっていきまっしょい」がなかなか青春してて好調であるから、もうこの話題には触れないのがいいのかも。

でも、「代わっても違和感なし!!」って言われるのは、内君にとっては悲しいことであろうな。作品に出演する人は

「それが終わるまで心して挑むべきである」

ってのが教訓であるのだろうか。


理不尽といえば理不尽

2005年08月24日 | Weblog

理不尽といえば理不尽

「何杯、めしを食べたのか」と聞かれて、「3杯です」というと、「うそをつくな。おれはちゃんと見てたんだ。2杯しか食べてないべ」

YAHOO NEWS

「正座させられた上、スリッパで頭を殴られた。ほかの部員が出たミーティングに、ただ1人参加させてもらえなかった」

体育会系の部活って理不尽な理由で怒られた上にいじめられるんだな。
強ければ強いほど「淘汰」される人間が増えるってやつですか?

理不尽といえば理不尽な高校野球。

「タッチ」の南ちゃん  

にもう一度活躍して登場してもらって高校野球界を和ませてほしい。

ちょうど実写の「タッチ」やるし、いま注目の長澤まさみちゃんでどうですか?高野連のみなさま。


Yahoo ブログ「coffee 南風」


ヲタ割っ!-おだまりっ!-小田マリ!  

2005年08月23日 | Weblog
ある映画館での特別割引サービスなんだってさ。

ヲタ割サービス

これがいいのは「ヲタ」を証明する証明書なんぞが全く必要無い!ってことで、単に「自称ヲタもOK!」だってことでしょう。

というか、「ヲタ」の認定の試験やパスポートがある訳でなく(しかし、なんか最近は「ヲタ検定」ってのがあるみたい、アキバブログに載ってた)「ヲタ」とは本人が自認すればそれで良いわけで、必ずしも姿かたちが「ヲタ臭」を発散させている人だけが「ヲタ」ということでもないであろう。ただ、多くの場合一見して「ヲタ」とわかるのが普通だが。

しかし、「私はヲタ!」って言い張れるほどの勇気満々の「ヲタ」ってのがいるかどうかは本当のところ不明である。映画館のチケット売り場でこれをいってるのは「ヲタ度係数」の低い「偽ヲタ」か「ヲタ予備軍」かもしれない。

とはいえ、「電車男」に興味がある人はすでに「ヲタ」に心が奪われていて、そのうち2ちゃんねるに「電車男さーん!どこですかー?」なんて呼びかけている人になってるかもしれない。

そう、夜のとばりにヒタヒタと忍び寄ってくる「ヲタ」の怪人に体を占領されて心まで「ヲタ」の怪人になってしまうように…    

    きゃーーーーーーーーーーー!!!!!

ピアノマンの音色

2005年08月23日 | Weblog

      

 ピアノマンの音色

ピアノマンはピアノマンの狂言であった。当初からその真偽を問われていたものの、ここにきて自ら「ピアノマン」ではないことを吐露したピアノマン。

関係者の発言の端々を拡大解釈して「ピアノの名手」との幻影を彼に投射していた人々にとっては、「夢」を砕く結末に驚きを隠せないのか、あるいは「予想は出来た」が、一縷の望みすら否定された結果だったのか、それは今となっては「物語の虚構性」を論じるくらいの切ない空論でしかない。

彼を示す写真の「カメラ目線」を見れば、明らかに不当な演出効果を狙っている雰囲気を否めないのだが、彼を「悲劇のスター」としての話題を振りまいたことには、あらゆる視聴者にとっての憶測を喚起し、議論の的としての存在を訴えた点で意義はある。

彼にとっての任意性は必ずしも自身の意思とは思い浮かばず、謀(はか)られた宣伝材料として世界を駆け巡ったのであると邪推しても、あながち嘘ではないかもしれない。日本での公開を間近に控えた映画のキャストの境遇と酷似(こくじ)していたことは偶然のなせる技か?という疑問も生ずる。

逆に何らの商業性を持ち得ない彼の「創り話」を、「渡りに船」として利用したとするならば、利用者の思惑は見事にその役割を果たしたというべきであろう。隔離された環境下での、意図的な「リーク」は、それを検証できない者にとっては「ファンタジィ」を構成する「にわか」童話作家に仕立ててしまうものだ。

彼は今後どうするのか?「キー」をひとつ奏でながら「本当の」ピアノマンになるのであろうか?物語の結末にハッピーエンドを贈るのは、自身に手によるものであればピアノの音色をきらびやかな「色」にもできよう。

ピアノマン(X51.ORGより)